第16話 (挿絵公開予定)
「はい。……じゃあ私は帰りますね」
ひなたはカップに残ったコーヒーを一気に飲み干して立ち上がった。いつの間にやら、彼女の頭と背中からは耳と尻尾は消えている。
「自由に消せるんだな。それ」
「できないと日常生活が大変じゃないですか」
玄関に向かうひなたに続いて司も立ち上がる。
「送るよ。自転車も取りにいかないといけないし」
「もう暗くなってきましたね。ありがとうございます」
「私も行きます!」
「いいよ、天河さんは。それより、今日の買い物の整理をしたほうが良い。姉さんが帰ってきたら仕舞う場所を聞いてみるから」
「そ、そうでした。気を付けて」
「といっても五分もかからないけどね」
軽く雑談しただけで傾いていた日は落ち、辺りは暗くなり始めている。徒歩一分ほどの距離で何が起こることもないだろうが、念のためと司もスニーカーを履く。
靴棚の上に置いてある自転車のカギをとって、玄関を出る。
「じゃあ天河さん、ちょっと出てくるね」
「はい。ひなたちゃんまたね! 教えてくれてありがとうございます!」
「いえいえ、ではまた今度」
◇◆◇◆◇◆
司とひなたは軽く雑談をしながら夜の道を歩く。
「びっくりしたよ。まさか二尾が猫又だったなんて」
「教えるつもりはなかったんですけどね。まぁ仕方ないです」
「普段は猫耳出さないのか?」
「……触りたいんですか?」
ひなたの質問に言葉が詰まる。
正直に言うと、家で話している時ですら触りたくてうずうずしていたのだ。手がひなたの耳に伸びそうになるたびコーヒーを飲んで無理やり落ち着かせていた。
ただ、女性の頭を不用意に撫でるのは失礼ではないか。いくら司とひなたは中学からの付き合いとはいえ、親しき中にも礼儀あり、頭を撫でるには躊躇いがある。最悪、セクハラと訴えられてもおかしくない。
「うん。まぁ……」
濁した返答をしていると、ひなたの住むアパートに着いた。わかっていたことだが、歩いてすぐの距離だった。
「ありがとうございます。自転車はそこにありますよ」
「あぁ。ありがとう」
「ではまた、次の家庭教師の日にでも」
ぺこりとお辞儀をして少し古くなった階段を上るひなた。自転車のサドルを上げ、カンカンカンと階段を上るひなたの後姿を見上げると、服の隙間から猫の尻尾が見えた。
「まぁ、気が向いたらいつか触らせてあげます」
「え……⁉」
司の返答を待たずして、ひなたは自室のドアを閉めた。
取り残された司は自転車を押して今来た道を自転車を押しながら歩いていく。
最後の言葉とドアの隙間からのぞいた二本の尻尾が頭から離れなかった。
夜の道には街灯の明かりがつき、必要以上の明るさが目に染みる。
「チチチチ……」と雀の鳴き声が聞こえた。吊られて空を見ると、すぐ近くに雀が飛んでいるのが見える。
(天河さんはたぶん妖狐? みたいなもので二尾は猫又か……)
思ったより自分の常識は通じないらしい。
『気が向いたらいつか触らせてあげます』
先ほどのひなたの言葉を思い出し、不意にドキッとする。
「あ、やばッ」
ペダルに足をぶつけ、自転車が大きく傾く。吊られてハンドルを握っていた司も引っ張られるように倒れ、夜道に大きな音が響いた。
とっさに両手を地面についたため大事には至らなかったが、派手に転がってしまう。
「いった……あー、恥ずかし――ぃ?」
パンパンと両手を払って起き上がろうとした時、妙な悪寒が走った。
夜の道に冷えた風が吹く。切れかけた街灯は点滅を繰り返す。差し掛かった十字路の先は暗く、人の気配が全く無い。
そのとき、一際強い風がふき、体が浮きそうになる。
『お前、転んだな?』
「な、誰⁉」
低く、靄のかかった声が司の鼓膜を震わせる。人ならざる気配に振り向いたとき、目の前には夜の空でも目立つ黒い影が襲い掛かってきた。
「うわああ――ッ⁉」
嫌な知識が司の頭をよぎる。その妖怪は夜中、人の後ろをぴったりとくっついているという。そして、その妖怪は人が転ぶとすぐさま噛み殺すと言われている。
悲鳴を上げる声をふさぎ、司を押し倒したソレは迷うことなく司の首に噛みつく。
鋭い歯が首に刺さり、痛みに目を見開く。だが、振りほどこうにも大きすぎるソレに力で抗えない。
抵抗もできず、助けも呼べず。なすすべ無いまま、司の意識は一瞬で刈り取られてしまった。
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