新章3

 ジビに、あのデザイン以外にどんな候補があったのかと尋ねた。ジビは少し首を傾げ、同じような人物画だったと思う、と言った。思い出しにくそうにしていたのは、印象に残っていなかったからだろう。

 気に入ってくれたかと尋ねてきたジビの目には、誇りを持って仕事をしている人らしい輝きがあった。あの時は、感想を言う余裕なんてないままに帰ってしまった。

 わたしは、綺麗なデザインですね、と答えた。嘘は言っていない。実際、わたしの背中の刺青は、名画のように美しい。

 そうですか、よかった、とその日初めて笑顔を見せたジビに、わたしはお礼を言うことができなかった。うわべだけでも礼を尽くしたほうがいいとわかってはいたけれど、軽くうなずくのが精一杯だった。

 セオの車の中で、わたしは自分のスマートフォンを握りしめていた。車はわたしが住んでいるおばあさんの家へ向かってくれている。

「どうして連絡先を消さなかったんですか?」

 セオが尋ねる。

「……わかりません」

 やはりわたしはまだ未練があるのだろうか。考えると恐ろしい。自分がこわい。

「でも助かります。俺が電話しましょうか?」

「あの、電話してどうするんですか?」

「居場所を訊くんですよ」

 どうしてそんな当たり前のことを訊くんだという感じの口調だ。

「訊いて教えてくれると思いますか? そもそも、この番号はもう使われてないかもしれないですし」

「かけてみないとわからないじゃないですか」

 セオはスマートフォンを渡せというような仕草をする。威圧的とまではいかないが、やはり強引だ。わたしはより強くスマートフォンを握りしめる。

「探してることが向こうにバレたらまずくないですか?」

「いや、こういうことは下手なことを考えるより、まっすぐ行ったほうがいいんです。専門外のことをやる時は迷わず正攻法で行け。作戦の鉄則です。俺たちは警察でも探偵でもないでしょう」

「そもそも、専門外のことはしないほうがいいんじゃないでしょうか」

「サヤさんは、俺に協力したくないんですか?」

「いや、そういうわけでは」

「協力するって言ってくれましたよね? だったらそう怯えないでください。いざという時は俺が守ります」

「わたしを守ってくれるんですか?」

「約束はできませんが、全力を尽くします」

 あまり安心できない言葉は誠実さと捉えたほうがいいのだろう。好意的に捉えるわたしはお人好しなのか?

「なんて言ったらいいんでしょうね?」

 もし、万が一つながって話せたら、ということだけれど。

「あなたがかけるなら、普通に会いたいと言えばいいんじゃないですか?」

「まあ、そうですけど……」

 恋愛相談に乗っているような軽さで言わないでほしい。

「やっぱりこわいですよね。俺が上手く言いますよ」

「いえ、わたしが。でも、ちょっと頭の中でシミュレートさせてください」

「いいですけど、考えすぎもよくないですよ。作戦をするときも、シミュレーションは大切ですが、シミュレーション以上のことが起きてしまうことのほうが多いです」

「不安にさせないでください」

「そんなつもりはなかったんですが」

「セオさんはひとの気持ちがわからないみたいですね。ジビさんと話した時も、もう少し優しくできなかったんですか」

「優しく? 丁寧にお話ししたつもりだったんですが」

「丁寧と優しいは違うと思います」

「どう違うんですか?」

「ええっとつまり、丁寧さは礼儀で、優しさは気遣いじゃないですか?」

「そうなんですか? 礼儀も気遣いのうちではないですか?」

「そうかもしれないですけど、あなたは丁寧ですが優しくないんですよ」

「確かに、優しいと言われたことはない気がします」

「やっぱりそうですか」

「……なぜでしょうね」

 純粋にわからないらしい。

「元調整者って、いろいろな能力があるんですよね? それなのに、そんなこともわからないんですか?」

「元調整者だからって偉いわけじゃありませんよ」

 うんざりしてきて、不毛かつ不愉快な会話を展開させてしまう自分に失望した時、車窓の外になにか黒いものが見えることに気づいた。

 車に並走するドローンだった。小さなプロペラが回って皿のように見える。カメラのレンズと、小さなモニター画面がついていて、画面には女性の顔が映っていた。

 ドローンは、窓の外からセオの名前を呼び、メディアを名乗った。

「お話をお伺いできませんか?」

 よく見ると、ドローンはひとつではなかった。一番接近しているものの後ろに、何台も連なっている。

「な、なんですか?」

 わたしは驚いたが、一方、ドローンを黙って見つめるセオの目は、静かな獣のようだった。


 セオは、勝手にわたしの話をメディア関係の知り合いに話してしまったらしい。わたしが咎めると、セオはまったく悪びれることもなく、アギンとわたしの名前、その他の個人情報は出していないから大丈夫だと言った。

「大丈夫じゃないですよ。アギンがわたしを殺しに来たらどうするつもりなんですか!?」

 夕暮れ時、車はおばあさんの家の前に停車していた。セオが取材拒否の意思を伝えると、ドローンはどこかへ去って行った。元調整者の位置情報は国が管理しているというから、国の情報を扱える誰かが情報を売っていると考えられるという。

「まだ報道はされてません。さすがに今の時点では情報不足です」

「そんなのわかりませんよ。どっかのメディアが勝手に報道するかもしれないし」

「不安なら、俺がずっとついてます」

 わたしはため息をついた。

「そういう問題じゃないと思いますが」

「……あれはもしかして、フジカゲの犬ですか?」

 セオの言葉に家を見ると、メロンが窓辺にいてこちらを見つめていた。

「はい、そうです」

 早く家に入りたくなった。

「ずっと世話してくれているんですね。あなたが警察署から消えた時はどうしたのかと思いましたが」

「すみませんでした。可愛がってます」

 わたしは再びため息をついてから、セオに、一緒に家の中へ入って夕食を共にするように提案した。

 それからセオは、おばあさんの家で食事や入浴をして、家の横に停めた車の中で寝泊まりをするということになってしまった。

 正直、安心した面もあったけれど、いずれこの家から去らなければいけない理由ができてしまったと思った。おばあさんはあまり多くを質問しないでいてくれているけれど、それでもすでに知りすぎている。

 セオにはああ言ったけれど、本当にアギンがわたしを殺しに来るとは思えない。名前も一応変え、見つからないようにと考えてはきたけれど、アギンが来るかもしれないというのは、いつか白馬の王子様が現れるというのと同じ種類の妄想に思えた。

 でも、おばあさんをわたしの事情に巻き込みたくない。ここから出たらどう生きよう。また誰かに拾ってもらうことを考えるしかないか。

 ベーシックインカムがあるので、生きるだけなら金銭的にはどうにかなる。しかし、わたしは一人では生きていけない。何度も人間不信になったのに、誰かと一緒でないと、心が耐えられないのだ。

 これからのことをゆくゆくは考えなければいけないが、今しばらくはおばあさんのお世話になろう。

 セオは、一緒にフジカゲに会いに行こうと言いだした。わたしはできるだけ思考にふたをしながら同意した。

 フジカゲが入院している精神病院は、偶然にも、それほど遠くない場所にあった。車で二十分程度。自然に囲まれた綺麗な建物だ。メロンを連れてこようかとも思ったけれど、面会にペットは連れて行けない規則だということだった。

 面会前に、主治医が会ってくれた。その初老の男性の目がわたしのマスクをした顔を怪訝そうに見たことが気になったけれど、彼は、元調整者は国のために働いた立派な人々であり、フジカゲにもセオにも敬意を抱いているということを無駄に熱っぽくわたしに向かって説明した。

「彼は、元調整者へ義務づけられた治療法の研究にもかかわっている人で信頼できます」

 医師と別れて病棟へ向かいながらセオは言った。院内の掃除は行き届いているように見えるし、窓から外光も入ってきている。

「その治療って、どんなものなんですか?」

 わたしは、知人の見舞いに行くと言ったらおばあさんが持たせてくれた、おばあさんが庭で育てている青いデルフィニウムの小ぶりな花束を胸に握りしめていた。

「精神安定剤と認知療法とセラピーを合わせたものです。もちろん、フジカゲが受けている治療とは全然別のものです」

「元調整者が受けているものと、フジカゲさんが受けているものって、両方、かなり影響が大きいものなんでしょうか。ひとを変えてしまうような」

「そうじゃないと意味がないでしょう」

 セオは白い廊下の先を見据えて無表情だ。

 フジカゲは、解放病棟の一室にいた。普通の病院の個室のような部屋。窓辺の椅子に腰かけていた彼は、こちらに顔を向け、少し驚いたような顔をする。

「セオ。……サヤさん?」

 彼は控えめに微笑んだ。


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