新章1

 春の暖かい日差し、近くを流れる川のせせらぎ。わたしはキャベツの収穫をしていた。それほど大きくない畑で、おばあさんと一緒に鉈を振る。機械を導入しない理由は、おばあさんが体を動かすためと、わたしが現れて手伝うようになったためだ。

「サエさん、あとはお願いできるかな」

 おばあさんが手拭いで額の汗をぬぐいながら言った。残りのキャベツはあと十個ほどだ。

「はい」

 わたしは少し背中を伸ばしてうなずく。

「洗うのはまたあとでやろうね。お昼ご飯用意しておくから、収穫終わったら休憩ね」

「はい。ありがとうございます」

 おばあさんはすぐ近くの自宅へ戻っていった。昼ご飯はきっと、おばあさんがつくってくれた、美味しかった昨日の残りのタケノコご飯だ。デザートには、昨日近所の人からもらったミカンゼリーを食べよう。

 重いキャベツを猫車に積み、小屋の中に入れ終えて出てきた時、畑の前に体格のいい中年男性が立っているのが見えた。

 わたしは小屋の前の水道で手を洗った。男性はこちらを見ている。

 無視して家へ戻ろうとした。男性の横を通ろうとした時、「サヤさんですよね?」と声をかけられた。

「セオです。覚えてますよね?」

 一瞬、しらばっくれようかと思ったが、傷だらけの顔を見られてしまった。おばあさんのところに来てから、わたしはマスクをしなくなっていた。

わたしは渋々うなずく。

「はい。お久しぶりです」

「すみません。連絡が取れないので、会いたがっていないだろうということはわかっていたのですが、どうしてもお話を聞きたくて」

「お話できることはないと思います。わたしとフジカゲさんは別にたいした関係では」

 その名前を口にしたのも久しぶりだった。思わず目はおばあさんの家の窓のほうへ向いた。いつものようにメロンが窓の桟に前足をかけて外を見る姿が見えるのではないかと。今はいない。

「でも、少しお話しできませんか。俺にとっては大事な友達なんです」

「ええ、いいですけど。でも」

 まだ昼ご飯を食べていない。

「都合のいい時間まで待ちますから」

 その時、おばあさんが窓を開け、手を口元に当てて呼びかけてきた。

「サエさーん。お客さん? 上がってもらってもいいよ」

「サエさん?」

 セオはわたしを見る。

 わたしはセオに待ってもらうように言い、帽子を取りながら家に駆けて行った。昼ご飯は後回しにしよう。


 わたしたちは卵のように白いセオの車の中で話をした。自分のものだという彼の車は広々とした最新型だった。彼は、内蔵されたドリンクバーからなんでも好きなものをどうぞと言ってくれ、わたしは水だけをもらった。

 彼は苦労してわたしを探したらしい。それはそうだろう。見つからないように身を隠していたから。しかし、元調整者から隠れ続けることはできない。

「あなたから隠れようとしたわけではないんです」

 わたしは不本意にも言い訳がましく言ってしまった。

「別に誰もわたしを探しているわけでもないんですけど……」

 話してはだめだ。話したい衝動が急激にわたしの中で沸騰してきて、わたしは大きな座席の中で縮こまりながら戸惑っていた。セオの目を見られない。初めて会った時は、セオはまったくフジカゲとは違うと思った。しかし、目の中にフジカゲと同じ光を見つけてしまいそうでこわい。もし見つけたとしても、自分の思い込みとして片づけてしまえばいいのだし、セオとフジカゲが似ているとしても、なにもこわがることはないと、わかってはいるけれど。

「フジカゲが心神喪失で無罪になったことはご存知ですか?」

 セオはわたしには興味がないらしい。わたしの怯えに気づいていないような冷たい口調。

「はい」

「今は精神病院に入って治療を受けていて、先日、面会に行ってきました」

「どうでしたか?」

「普通なように思えました。医師によると、退院できる見込みはあるということです」

「よかった」

 それは正直な言葉だった。

「なにがあったか知りませんか? 医師も原因がわからないらしくて」

 そのセオの言葉には、切実な響きがあった。わたしは下を向いたまま答える。

「知りません」

「すみません。俺はひとが嘘をつくとわかるんです。知ってることを話してもらえませんか。元調整者の信用にかかわる問題なんです」

「嘘がわかるって、元調整者のかたはみんなそうなんですか?」

「いや。多分俺がそう思い込んでいるだけです」

「……なんですか、それ」

「俺はジャーナリストでもなんでもないし、ただの退役軍人です。でも、仲間のために、なにもしないでいるわけにはいかないんです。フジカゲの一件のせいで、もとから強かった元調整者への風当たりはさらに強くなりました。家族を守るために家族から離れたやつもいるし、自殺したやつだっているんです」

「そうなんですか?」

 知らなかった。わたしは自分のことだけで精一杯だった。情報収集はしているが、それは殺人事件のことに限られている。

「ほとんど報道されていないので、ご存知なくても無理はありません。あなたを責めているわけではないんです。本当です。でも、あなたはなにかを知ってますよね」

「不確かなことしか」

「それでもいいです。話してくれませんか」

「わたしは、誰かのためになにかしたいとか、助けになりたいとか、そんなこと一切思わないんです。思う資格なんてないんです。今も、おばあさんの畑を無給で手伝ってますけど、それは家においてもらうためで、全部自分のことしか考えてなくて」

「思う資格がない? どういうことですか?」

「わ、わたしは、犯罪の手助けをしました。それだけじゃなくて、凶悪犯を見逃しました。通報の義務を果たしませんでした。今更誰かの助けになることをするなんて、おこがましいんです」

「なにを言ってるのかわかりませんが。どんな悪いことをしたのか知りませんが、これからあなたがなにをするかは自由じゃないですか」

「……そうですよね。全然論理的じゃないですよね。すみません、わたし馬鹿なので」

 わたしは乾いた笑いを漏らす。

「そんなことはどうでもいいんです」

 セオの言葉もどこまでも乾いている。冷静沈着なオーラはフジカゲと似ているが、フジカゲにはこのような辛辣さはなかった。

 フジカゲのことは忘れたと思っていた。でも、全然そんなことはないのだと気づく。

「ほかの人に話すかどうかは話を聞いてから決めます。知っていることを教えてください」

「それは、元調整者のかたがたのためにってことですよね」

「はい。元調整者はとんでもない偏見にさらされて差別されています。それを少しでも払拭しないと」

「でも、以前は調整者の暴力的犯罪率が高かったのは事実なんですよね?」

「確かにそうです」

 セオは少し気分を害したような口調になった。

「しかし、退役してから罪を犯した元調整者は一人もいないんです。このことはきちんと報道されていません。正直言って、調整が精神に悪影響を及ぼしていたのは事実だと思います。でも、退役して、きちんと治療を受けているので、もうそんなことは一切ないんです。ちなみに俺は、暴力的な気分になったことなんて一度もないですし」

「まったく根拠のない偏見がはびこっているということなんですね」

 確かに、少数の人のせいで全体を攻撃することがいいはずがない。それが現状とは違う過去のことが原因ならなおさらだ。

「そうです。あなたは、フジカゲが暴力的な人間だと思いましたか?」

「いいえ」

「元調整者のために、知っていることを話していただけませんか。自分のためじゃないです。仲間のためなんです」

「仲間のため、ですか」

「はい。兵士というものは、仲間意識が強いんです。仲間意識こそが、普通の人を兵士にすると言ってもいいです。肉体や認識能力の強化なんて、関係ないです。仲間のためにという動機がないと、戦うことなんてできませんから。中には、仲間意識のない兵士もいるそうですが、そういう人間は通常の部隊ではなく、特殊部隊へ配属されると聞いています」

 わたしは観念した。セオは諦めそうにない。このままずっとしゃべり続けそうな気配だ。

「わかりました。話します」

 わたしはしどろもどろに、不本意に話を前後させながら、フジカゲがアギンの潜在意識データを無理に見てから、急に様子がおかしくなったことを話した。アギンがしてきたことも、知っている限りのことを伝えた。

 セオはかなり驚いたようだ。フジカゲよりは感情がわかりやすい。

「アギンという人が連続殺人犯だというのは、確かなんですか」

「はい。わたし、死体を埋めるの、一度だけ手伝いましたから」

 その時の夢のような情景は、もとから夢のようであるがゆえに一向に薄まらない。

「今も捕まってないんですね?」

「はい。わたし、殺人事件のニュースだけは欠かさずチェックしていますので」

 そしていつも怯えている。連続殺人事件の報道は途絶えているが、犯人の目星がついたという報道もない。

「未解決のままってことですか」

「はい」

 セオは深刻そうにうなずく。

「そんなタトゥー業者がいることも知りませんでした。通常はなんの危険もないんでしょうが、元調整者の能力と出会ってしまうとそんな不測の事態が起きてしまうとは。でも、必ずしもそれが直接の原因とも言い切れないかもしれませんが――」

 セオの言葉はわたしの耳に入って理解されてはいたが、それに反応することができない。

「サヤさん? 大丈夫ですか?」

 大丈夫なわけない。わたしは無言で首を振った。

「今日はもうやめておきましょうか。また明日お時間頂けますか?」

 セオは丁寧かつ無遠慮に言う。

「明日また来るんですか? こんな地方なのに」

「俺は車で寝泊まりしますので」

 考えてみれば、この車の広さだったら十分部屋の代わりになるだろう。

「そんな、大変じゃないですか?」

 こんな言葉で引き下がるはずはないとわかっていても、意味のないことを言ってしまう。

「全然」

わたしは覚悟を決めた。

「わかりました。一緒に警察へ行きましょう」

「え? 急にどうしました?」

「捕まりたくないと思って、今まで黙ってきました。でも、元調整者のかたがたを助けるために、フジカゲさんがああなってしまった原因を突き止めて公表しなければいけないって言うなら、協力します。わたしは逮捕されても構いません」

 そうか。わたしは今まで、この時を待っていたのだ。無理矢理償わせてほしかったのだ。償いとは、自らするものではないといけないはずなのに。

「いや、今警察に行っても、アギンという人の逮捕に協力することにはなるかもしれませんが、フジカゲのことまで調べてくれるとは思えません。アギンが逮捕されればそれでおしまいにされてしまうでしょう」

「じゃあ、どうすれば」

「ジビという人に会ってみなければいけませんね」

 セオは力強く言った。

 

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