序章

 若い男が二人、ニュージーランド料理店で食事をしている。木のテーブルの上には、マルゲリータピザとチキンとブロッコリーのピザとビール。初めてのその店の味に、美味いな、と言い合った。

窓から見える夜の国道にはほとんど車の通りがない。店内にも、男たちのほかには、少し離れたテーブルにいる母親と幼女の姿しかなかった。無音の店内に落ち着いた照明。味も雰囲気も悪くなく、夕食の時間帯であるのに人が少ないのは、この町自体が寂れているからだろう。

「それってやばくない?」

 男の一人がそう言ってマルゲリータピザを口に運ぶ。その向かいに座った、半袖からのぞく二の腕に有翼の蛇の刺青をしたもう一人の男は微笑んだ。

「そういう決まりなんだよ」

「そこまでする必要あんの? 別に戦争してるわけじゃないじゃん」

「戦争が始まった時のために常に備えなくちゃいけないんだよ」

「なんでお前、そんなに真面目になっちゃったの?」

「別に真面目になったとは思ってないけど。もともと誰かのために働きたい気持ちはあったし」

「嘘つけ」

「本当だって。でもなんていうか、ひとつのことに集中したほうが楽だってことに気づいたっていうか」

「軍に入るのが楽だって?」

「ある意味そうかもしれないよ。別になめてるわけじゃなくて。俺は今までいろいろ考えすぎてたんだと思う」

「いや、なめてるね。軍に入るのは並大抵のことじゃないよ」

「だろうね」

「それに、体中改造されちゃうんだろ?」

「サイボーグにされるわけじゃないよ」

「それより悪いかもよ。だって脳までいじるんだろ?」

「機能を追加するんだよ」

「いろいろ研究されて、できるだけ脳とか体に負担がかからない方法で調整されるって言うけどさ、もし国に都合のいい思考とかを勝手に植えつけられても気づけないわけだよな?」

「それは兵士だけじゃなくて、すべての人に言えることじゃん? 脳に直接情報を植えつけることだけが思想操作じゃないわけだし」

「まあ、そうだけど。でもこわくないの?」

「全然。もともと俺には、守りたい思想とか自分とかないし」

「そんなこと言うなよ。お前は個性的な人間じゃん」

「そうだとしても、自分の体とか行動が誰かのためになればそれでいいかなって」

 それを聞いた男は温かく笑った。

「参ったな。引きとめられそうにないや」

「なんで引きとめんの?」

「もうなかなか一緒に遊べなくなるじゃん」

「お前も一緒に来ればいいのに」

「絶対嫌だ。頑張れよ。ていうか、お前なら頑張れるよ」

「ありがとう」

 母親と幼女のテーブルに、奥から料理人の格好をした男が出てきて近づいた。笑顔でなにかを言い、幼女の頭をなでる。幼女は「お父さん」と笑った。

「調整者になったら、タトゥーも消えるの?」

 その問いに男はうなずき、自分の二の腕を軽くなでた。

「うん。再生能力がめっちゃ上がるから」

「へえ。じゃあそれも見納めだね」

「そうだな」

 男はビールをあおる。

 軽い気持ちで入れた、なんの意味もない刺青だ。消えようが変わろうがどうでもいい代物。

 男はその一週間後、軍に入って調整者となった。すぐに自分が刺青を入れていたことも忘れた。調整者になったからではなく、自然とただ忘れたのだ。

 もちろん、完全に記憶が消えたわけではない。人の記憶は絶えず精神の海の奥深くに沈んでいって、決して浮かび上がってこないものも多い。それでも、潜在意識が認識能力に侵されても、深海の奥底では、誰にも知られることなく、死ぬまで発火し続ける。


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