17
セオとわたしは警察署の簡易ソファーに腰かけていた。メロンはとりあえず警察が預かってくれた。
「大丈夫ですか?」
セオが言う。彼は体格のいい、フジカゲと同じくらいの年齢の中年男性で、元調整者でフジカゲの同期だという。
「ええ、大丈夫です」
わたしはメロンのことを考えていた。フジカゲが逮捕されてしまった今、どうすればいいのだろう。セオが引き取ってくれるのだろうか。でも今その話を持ち出してもいいのだろうか。
「あまり大丈夫そうには見えませんが。ご家族はいらっしゃいますか?」
「いません」
その時、女性警察官が近づいてきた。
「調書を取りますので、お二人ともこちらへどうぞ」
今まで気づいていなかったけれど、どうやらわたしは、都合の悪いことを記憶の中に押し込めてしまう癖があるらしい。しどろもどろなわたしの証言に警察官は明らかにあきれていた。迷惑をかけてはいけないと思っても、自分ではどうしようもないのだ。
わたしは役に立たないと思われたのか、思ったよりもあっさりと解放された。取調室を出ても、セオの姿は見えない。
警察官にメロンのことを尋ねると、被疑者のペットは専門の業者に預けられることになっている、という答えだった。
「どうしても引き取りたいということでしたら、そうしていただくこともできますが。別室で預かっていますので。明日には業者が引き取りに来ます」
わたしは迷った。結局誰かにあげることになるなら、今置いて行っても一緒ではないか。
帰ろうとした。警察署から出て、三十メートルくらいは歩いた。すぐそこに自動タクシーはあったが、少し考えたくて。
わたしは踵を返して警察署に戻った。警察官を捕まえる。
「犬を引き取りたいんですけど」
メロンはすぐに連れてこられた。電子書類に記入してから、そのもふもふした頬をなでた時、突然涙があふれてきた。その涙を、メロンが少し戸惑ったようになめる。
自分の感情がわからない。でも涙が出るということは、きっとつらいのだ。すごく苦しいのだろう。どうしてこんなことになってしまったのか。
数時間前のことを思い返す。
自動タクシーにセオから聞いた住所を言って走らせ、目的地に着くと、セオが道に立っていた。彼は、フジカゲの自宅だというすぐそこにある小さな一軒家に案内してくれた。室内は片付いていて、木のにおいがした。
しかし、フジカゲの姿はなかった。さっきまで居間で横になっていたとセオは言い、慌てた様子で家中を走り回って探したが、フジカゲはどこにもいなかった。そのあとで彼が元調整者だと聞かされ、元調整者がみんなフジカゲのように常に冷静なわけではないのだと知った。
メロンを家の中に置き、セオとわたしはフジカゲを探した。手分けしましょうとわたしは言ったが、なぜかセオは二人で一緒に探そうと言って譲らなかった。あとで、それはセオがフジカゲの異常さに気づいていたからだとわかった。
案外あっさりとフジカゲは見つかった。それは多分、人通りの少ない街に、たまたまその女性が通りかかっていたからだろう。
フジカゲはすでに死体となった女性の腹を包丁で切り裂き、内臓を手で取り出して食べていた。唇をまくり上げて歯を直接肉に当てるようにして噛み切る姿は、普通なら醜く映っただろうが、その場面に当てはまると、口周りが血まみれにならないように気を遣っているようで、人間的で上品に見えた。そう見えるということが衝撃的だった。
わたしは夜のベンチにメロンと並んで座り、やけに冷静に思い出していた。大丈夫。警察署では混乱していたけれど、今は思い出せる。ちゃんと事実と向き合える。
メロンはわたしの膝をかいた。早く帰ろうよ、と言っているようだ。でも帰れない。このまま普通に今まで通りの生活を送ってしまったら、フジカゲのしたことの意味がなくなってしまう。
フジカゲのしたことの意味? わたしは自分の中に浮かんできた言葉を反復する。その意味が勝手にわたしの中で決められていることに驚いた。
わたしを助けるためだ。ほかの誰でもなく、このわたしを。
フジカゲの意志は関係ない。運命と言ったら陳腐に思えるけれど、ほかにどう言い換えていいのかわからなかった。
フジカゲからではなく、ほかのなにかからのメッセージなのだ。
逃げろ。そう怒鳴る何者かの声が聞こえる。自分の声かもしれない。それを無視したとしたら、本当にフジカゲを人より下のものに貶めてしまうことになる気がする。
わたしの考えはすべて間違っているのかもしれない。フジカゲとわたしは関係なくて、運命なんてなくて、わたしがフジカゲに興味を持ったことに理由なんてないのかもしれない。でも、わたしはわたしが大事だと思うことに従って行動しよう。
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