16

「可愛いねー」

 アギンはメロンの頬を両手で挟んでわさわさとなでる。メロンはしっぽを振って嬉しそうだ。

「友達って誰?」

 わたしは飼ってきたドッグフードを袋から出しながら答える。

「ジビさんのところで会った人」

「ふーん。でも急にどうしたんだろうね。事情は全然わからないの?」

「うん」

 わたしはうなずいた。これは正直な答えだ。

「でもさあ、少し預かるならいいけど、ずっと飼うのは難しくない? ここ、犬猫禁止だし」

「そうなんだけど、仕方ないじゃん。この子、大人しいみたいだし、散歩はわたしがするから」

「そうは言ってもさあ。ルールを破るのはよくないよ」

「でも、預かっちゃったんだし……」

「俺が誰かにあげてくるよ。ペット飼えるところに住んでる友達いるから」

「でも……」

「可愛いけど、仕方ないだろ? 俺に任せてよ」

「ううん。やっぱりわたしが返してくる」

「だったら俺も一緒に行くよ。サヤは優しいから、頼まれたら断れないだろ?」

「そんなことない。ちゃんと言えるよ」

「俺もサヤの友達と会いたいから、一緒に行くよ」

「いや、一人で行く」

「なんで? もしかして、その友達って男?」

 どうしよう。もう、言ってしまったほうが楽なんじゃないか。別に浮気したわけではないんだし。

「そうだよ」

 わたしが言うと、アギンは一瞬意外そうな顔をしたが、自然に微笑んだ。

「そうなんだ」

「え……」

 今まで、似たような会話をしたことは一度もない。しかし、わたしの知っているアギンなら、「そうなんだ」で済ますはずがない。きっと、一定の穏やかさを保ちながらも、有無を言わせぬ口調で追及するはず。

「わたし、勝手に男友達つくったんだよ? アギンに内緒にしてたんだよ?」

「そっか。意外だな」

 信じていないのに、信じているふりをしている?

「本当だよ。中年のおっさんで、元調整者なの。ジビさんのところで知り合って」

「元調整者?」

 アギンは少し上まぶたをアーチ型にした。

「そう。わたしから話しかけたの。調整者に興味があったから」

「ふうん」

「いいの? わたしからおっさんに話しかけたんだよ?」

「もう、そういうのやめない?」

「え? そういうのってなに?」

「もう俺たち、一緒に暮らして長いんだし、俺の秘密も話したし、もっと正直に付き合おうよ。あのね、俺はずっと、サヤに合わせてきたんだよ」

「わたしに合わせてきた? アギンが?」

 アギンに合わせたのはわたしのほうじゃないか。いろいろ命令されて、全部従ってきたのはわたし。

「そうだよ。サヤが束縛されたがってるのがわかったから、そうしてあげてたんだよ。本当は、お洒落して男友達と会ったって俺は全然気にしないんだけど」

「え……どうして? そんなことしてほしいなんて、わたし、一言も言ってないよね?」

「なんとなくわかったんだよ」

 アギンはいつも通りの魅力的な微笑みを浮かべる。

「この傷も、そういうわたしへの気遣いだったの?」

 わたしは自分の顔を触る。でこぼこして、引きつった皮膚。

「そうだよ。傷つけてから、不安が減ったでしょ?」

 否定できなかった。

「アギンは、わたしのなにが好きなの?」

「うーん。わかりやすくて、俺のすることに喜んでくれるところかな」

「わかりやすい?」

「うん。それにちょっと変わってるでしょ。ほかの女は、わかりやすくてつまらないから」

「そうなんだ……」

「一緒にその男友達に犬を返しに行こうか?」

「ううん。捨ててくる」

 わたしはメロンを抱き寄せた。

「そう。サヤがそうしたいなら、それでいいよ」

 アギンはメロンに興味を失ったようで、外に夕食を食べに行こうと言った。


 翌日、わたしはメロンを連れてそのあたりをぶらぶらと歩いた。メロンは大人しくわたしの少し前を歩いている。

 近所の公園のベンチに座る。帽子をかぶっていても少し歩いただけで汗ばんでしまう陽気だ。メロンも地面に座ってくれた。まるでわたしを本当の飼い主だと思っているみたい。

 昨夜のアギンの言葉を思い出しそうになり、思考にふたをした。考えたくない。そのことは。

 わたしはリードを握ったまま、スマートフォンでフジカゲに電話をかけた。昨日のフジカゲは異常だった。もとに戻ってくれていればいいのだけれど、不安が募る。

「もしもし」

 応答したのは、聞き覚えのない男性の声だった。わたしは戸惑いながら名乗った。

「あの、フジカゲさんのお電話でよろしかったでしょうか」

「俺はフジカゲの友人です」

 しっかりした男性の声は言った。

「どちら様でしょうか」

「わたしは、フジカゲさんの知り合いで、フジカゲさんのワンちゃんを預かっているんですけど、お返ししたくて。フジカゲさんはどうされたんですか?」

 まさか、なにかまずいことになってしまったのだろうか。事故とか病気とか。

「フジカゲはちょっと具合が悪いようで。でも、たいしたことはありません。犬は俺が引き取りに行きますから、場所を教えてください」

「昨日会った時はお元気だったと思うのですが、どうされたんですか?」

 あれが元気と言っていいのかわからないが、そう言うしかない。

「昨日会ったんですか」

「ええ。入院とかしてるんですか? 話せないんですか?」

 思わず質問攻めをしてしまった。わたしはなにを焦っているのだろう。メロンさえどうにかできれば、それでいいはずなのに。

「あなたは、フジカゲと付き合ってるんですか?」

「いいえ、そうじゃないです。ただの知り合いです。でも……」

「入院はしてません。ただの知り合いでも、犬を預かるくらいだから、親しいと考えてもいいですか?」

「ええ、まあ」

 彼はセオと名乗り、場所を指定してきた。

「申し訳ありませんが、こっちに来ていただけますか」


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