15

「ジビさん」

 今回とあと一回の施術で背中の刺青は完成するはずだ。わたしは針を入れられながら言った。

「この前、フジカゲさんと話しましたか?」

 大丈夫。ジビと話をするだけだ。

「ええ、サヤさんが帰ったあとに少しだけ。サヤさん、大丈夫でしたか?」

「ええ。突然すみませんでした」

「いいんです。でもちょっと心配で」

 背中に感じられるジビの手つきによどみはない。

「フジカゲさんとなにを話したんですか?」

「意識分析のことです。データはどうやって保存されてるのか、とか」

「それって、デザインになる前のもとのデータってことですか?」

「はい、そうです。本当はデザインが決まれば破棄してもいいんですけど、デザイン変更や再施術のために五年間は元データを保存させていただいてます」

「じゃあ、わたしのデータも保存してあるってことですね?」

「はい、もちろん」

「フジカゲさんはどうしてそんなことを訊いたんでしょうか」

「さあ……やっぱり、分析できなかったことが引っかかっているんでしょうね。本当に申し訳ないことをしてしまいました」

「でも、ジビさんのせいじゃないんですよね」

「まあ、そうなんですけど、このサービスをしている以上、責任はわたしにありますから」

 そういえば、ジビはフジカゲに負い目があるのか。

「やっぱり分析不能だった理由はわからないんですか」

「それが、ここだけの話なんですけど、やっぱり元調整者であることが関係しているらしいんです」

「そうなんですか」

「研究所の人と話したんですけど、一度調整者になると、潜在意識が消えてしまうらしいんです」

「潜在意識が消える?」

「認識拡張機能のせいで、脳の活動量が大幅に増えるらしいんです。そのストレスに耐えられるような身体改変もされているらしいんですけど。そのせいで、普通の人にあるような潜在意識がなくなって、それで分析不能だったんじゃないかと」

 ジビの口調は少し言い訳じみているように感じられた。分析できなかったのではなく、そもそも分析するものがなかったのだ、ということか。

「それは、すごいですね」

 わたしが言うと、「ほんとですよね」とジビは激しく同意した。

「やっぱり普通の人とは違うってことですよね。それがいいのか悪いのかはわかりませんけど」

 その言葉を聞いて、アギンも普通ではないということを思い出してしまった。

「……サヤさん、どうかされましたか?」

「え?」

「急に体が緊張されたようなので」

「いえ、なんでもないです」

「そうですか。お手洗いは大丈夫ですか?」

「大丈夫です。あの、ジビさん」

「なんでしょうか?」

「今彫ってる絵、どんな絵ですか?」

「あら、完成するまでのお楽しみではなかったんですか?」

「教えてください」

「えっと、すごく美しいデザインですよ。まるでフェルメ――」

「やっぱりいいです。すみません」

「いえ、全然。リラックスしてください。今日の分はもうすぐ終わりますからね」

 施術が終わってスタジオを出ると、わたしはカフェカーに乗ってミルクティーを飲みながら気持ちを落ち着かせようとした。スマートフォンをいじる。フジカゲの連絡先はまだ削除していなかった。先日受信したメールを読み返す。

 わたしは唇をかんでメールを打つ。

『わたしの潜在意識を見ていただけませんか』


 フジカゲからジビに頼むと、意外にあっさりと許可をもらえたらしい。いや、フジカゲの言うことだからどこまで本当なのかわからないが。

とにかく、ジビとフジカゲとわたしは、ジビのスタジオの中のカウンセリングルームにいた。フジカゲの膝の上にはメロンが大人しく座っている。少しはなついたのだろうか。しかし、大人しすぎるような気もしなくはない。

「これがサヤさんのデータファイルです」

 ジビがPCをこちらへ向けた。刺青に覆われているせいで表情がわかりにくいが、気の進まない様子に見える。それはそうだろう。これは本来の業務にはまったく関係ないことなのだから。

「これですね」

 フジカゲには、負い目を利用している後ろめたさはないように見える。

「ちなみにアギンさんのデータはどれですか」

「え? サヤさんのデータを見るんですよね?」

「ええ、そうですが。どうやってほかの人とのデータを区別して保存してあるのかと思いまして」

「それは、名前と日付などのデータを紐つけて――」

「もしそれが間違っていたらどうするんですか? 究極の個人情報とも言える大事なデータなのに、タイトルを変えただけで誰のものなのかわからなくなってしまうんじゃないですか?」

 突然畳みかけるように饒舌になったので、驚いてしまった。

 ジビは、少なくとも表面上は冷静に対応する。

「いえ、タイトルは変更できないようにしてありますし、日付順に並べたフォルダから移動できないようにしておりますので、取り違えてしまうことはあり得ません」

「アギンさんのデータはどれですか?」

 フジカゲの問いに、ジビはPCを操作した。

「これです」

 フジカゲが勝手に手を伸ばしてファイルをタップして開くと、わたしにはまったく意味のわからない、いろいろな文字と数列が現れた。

「ちょっと、なにしてるんですか!」

 ジビの制止を無視してフジカゲはそれを凝視しながら、一瞬で全体をスクロールした。

 すると、フジカゲは目を閉じて腕を組み、ソファーの背もたれに寄りかかった。

「サヤさん、最初からこうするつもりだったんですか?」

 裏切られたような目をするジビに、わたしは激しく首を振る。

「違います。こんなつもりじゃ……フジカゲさん!」

 裏切られたのはわたしのほうだ。わたしはわたしのことを教えてほしかっただけなのに。結局、フジカゲもわたしのことはどうでもいいのだ。

 わたしがフジカゲの肩をつかんでゆすぶると、やっと彼は目を開けた。

 フジカゲは、メロンを抱えてわたしの膝の上に移す。

「メロンをお願いします」

 フジカゲは部屋を出て行った。

「フジカゲさん」

 メロンを抱え、フジカゲに追いついたのは、スタジオ前の歩道だった。

「待ってください。ひどいじゃないですか」

 フジカゲは半分だけ振り返る。目はわたしではなく、どこかわからない空間を見ている。

「わたしは……わたしの潜在意識を分析して教えてほしかっただけなんです。フジカゲさんなら、データを取り出して分析することができるんですよね? だから、わたしをそうしてほしかったのに」

「サヤさん、アギンさんと別れてください」

「あなたには関係ないじゃないですか。わたしはアギンがどういう人だろうとどうでもいいんです。わたしはわたしのことを知りたかっただけなのに!」

「本当にどういう人だろうとどうでもいいんですか? 愛してるんじゃないんですか?」

「愛してるから、どうでもいいんです。わたしは全部受け入れます。そのことを確かめたかったんです。あなたにわたしを見てもらえば、きっと、わたしはそうできるって、確かめられたはずなんです」

「メロンをお願いします」

 フジカゲは諦めたように言った。

「どうしてですか? いつまでですか?」

「なつかないので。サヤさんにあげます」

「ちょっと」

 フジカゲは走り去った。驚くほど速くて、絶対に追いつけない。

空気を染め上げる夕日が綺麗だった。わたしはもぞもぞするメロンを見下す。どこか心配そうな黒い瞳。それがまっすぐわたしを見てくれている。


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