7
わたしは四人乗りのカフェカーに乗ってハーブティーを飲みながら、約束の場所へ着くのを待った。
自動運転車であるカフェカーに備えられている様々な飲み物は飲み放題で、指定すればどこでも行ってくれるし、おすすめのコースを回ってくれたりもする。
約束の場所は閑静な公園だったが、彼の姿はなかった。
指定の場所で路上駐車して待ったが、時間を十分過ぎても現れない。すっぽかされてしまったかと思いかけた頃、スマートフォンに着信があった。フジカゲだった。
彼は遅れたことを詫びると、地震があるかもしれないから気をつけて、と言った。
「え? そんな予報出てましたっけ?」
わたしは意外な言葉に声を裏返してしまった。
「今、カフェカーの中にいますか?」
フジカゲが言う。
「はい」
「そのままそこにいてください」
通話は切れた。
その数十秒後、地震が来た。震度三くらいだろうか。小さなカフェカーはかなり揺れた。
揺れが収まって数分後、公園の中からフジカゲが小走りに現れた。わたしはずらしていたマスクを戻す。
「遅れました、すみません」
カフェカーの中に滑り込んできた彼は、やはりあのパーキングエリアで見かけた異常な男とはかなり違って見えた。顔をしっかり覚えていなければ、別人だと思ったかもしれない。
「遅いですよ」
思わず言ってしまってからハッとした。わたしはもう美女ではないのだ。以前のように、少し失礼なことを言っても笑って許されるわけではない。フジカゲは気にした様子はない。不機嫌そうというわけではないが、まったく感情が見えなかった。
「すみません。ちょっと体調がよくなくて。でももう治りました」
「え、大丈夫ですか?」
「本当に大丈夫です。電磁波がちょっと気持ち悪かっただけです」
「電磁波?」
「感覚が鋭すぎるので。それで地震が来るってわかったんです」
「え……すごすぎませんか」
「地震予報はまだ正確ではないですからね」
なんだか少しずれた発言。もしかして、からかっているのだろうか。あとで本当に地震予報が出ていなかったのかどうか確認してみよう。
わたしは呼び出したことを詫び、なにを飲むか訊いたが、彼は自分でやりますと言って、パネルを操作して、開いた壁の穴から湯気の立つカップを取り出した。緑茶らしい。
「あの、あなたもジビさんのところで施術を受けているんですよね?」
わたしはどうしても彼とジビのスタジオがミスマッチに思えてならなかった。
「いいえ」
「え? あ、もう終わったってことですか?」
「いいえ。潜在意識の分析を二回やってもらったんですが、上手くいかなくて」
「上手くいかなかったんですか? そういうこともあるんですね」
「ジビさんによると、初めてのケースだそうです」
「そうなんですか……じゃあ、もうジビさんのところには行かないということですか?」
「はい。もともと、タトゥーに興味があったというよりは、潜在意識からデザインを生成するということに興味があったので」
「なるほど」
では、あの時話しかけなければ、もう会うことはなかったということか。
「どうして興味が――」
「あの、親戚が調整者だというのは嘘ですよね?」
彼はわたしをまっすぐに見つめて言った。
「え?」
「どうしてそんな嘘をついたんですか?」
怒っている様子はない。純粋に疑問を解決したがっているようだ。
わたしはなんとか自分を落ち着かせた。
「すみません」
なぜか、しらばっくれようなんてことは思い浮かびもしなかった。
「謝ってもらうことはないんですが。どうしてなんだろうと思いまして」
「あの、わたし、初めてあなたを見かけた時、あの、パーキングエリアでのことですけど、すごく衝撃を受けて――」
「すみません、もう行きます」
彼は立ち上がってカフェカーを降りた。
「待ってください」
わたしは身を乗り出す。
「どうしたんですか?」
「もうすぐここを僕の知り合いが通ります。元調整者と一緒にいるところを見られるとあなたの不利益になる可能性がありますので」
「見られて困るなら移動しますから。乗ってください」
「お話の途中なのに本当にすみません。また機会があれば」
彼は有無を言わさず、小走りに立ち去ってしまった。わたしは唖然と見送り、しばらくとどまって、飲みかけの緑茶や通り過ぎる人を眺めた。犬を散歩させる中年男性や自転車に乗る若い女性など数人が通ったが、誰が知り合いなのだろう。どうしてもうすぐ通るなんてことがわかったのだろう。それとも、本当はそんな人はいないのだろうか。
元調整者と一緒にいるところを見られると不利益になる可能性がある、という言葉が気になったので、再び調整者について調べてみた。
やはり、調整者は乱暴で暴力的罪を犯しやすいというイメージがかなり定着しているらしい。世の中の情報に疎いわたしには実感がないが、当人たちにとっては、かなり敏感にならざるを得ない事態なのかもしれない。
わたしが世の中の情報に疎いのはきっと、他人に興味がないからだろう。他人に心があることを疑おうとは思わないが、それを特別に意識することがない。親しくなってから、初めて人を人と認識し始める感じ。深く考えたことはないが、案外わたしは冷血なのかもしれない。
『どうしてお知り合いが通ることがわかったんですか?』とフジカゲにメッセージを送ってみたが、二日経っても返信はなかった。男性から無視されるのは久しぶりだった。いや、もしかすると初めてかもしれない。でも仕方がない。もうわたしは美女ではないのだ。
美女ではないから蔑ろにされても仕方がないという考えが間違っていることはわかっている。でも、人として尊重してほしいという態度を自ら表すことに対する侮蔑を何度も見てきた。わたしはほかの人の意識を変えることなんてできないし、怒ったり悲しんだりするより、諦めたほうが楽でいいと思う。
そんな大げさなことをちらりと考えたことが少し恥ずかしくなった。アギンと外で食事をしている時、フジカゲから返信がきたからだ。
『返事が遅くなってすみません。飼い犬が事故に遭って病院に連れて行ったりしていたら忘れてしまっていました。先日はお話の途中で帰ってしまって本当にすみませんでした。知り合いが通ることがわかったのは、監視カメラの映像の情報取得権があるからです。百メートル先の店先の監視カメラに知り合いが映ったのが見えたのです』
「誰から?」
アギンがステーキを切りながら、スマートフォンを見るわたしに尋ねる。
「ジビさん」
わたしはスマートフォンをバッグに仕舞った。
「予約時間のことで」
「ふうん。ロールキャベツおいしい?」
「おいしいよ。一口いる?」
「うん」
その時、「あれ? アギン?」と、テーブルの横を通りがかった女性が声をかけてきた。
「おー、久しぶり」
アギンは気さくに言う。アギンと同い年くらいの女性は、わたしの顔を見てぎょっとした顔をした。
「どうしたんですか? その顔」
「元気にしてた?」
アギンの言葉に、彼女はアギンに目を戻す。
「あ、うん。アギンって最近、廃墟写真とかも始めた? サイトにはまだ載ってないみたいだけど」
「ああ、うん。なんで?」
「リサが、廃工場に写真を撮りに行ったら、アギンっぽい人を見かけたって言ってたから。わたし廃墟写真好きだから楽しみだな」
「ありがとう」
「じゃあ、またね。お邪魔しました」
「誰?」
わたしは女性の背を目で追って尋ねた。以前のわたしだったら、彼女よりも綺麗だっただろうか。
「元カノだよ」
アギンはさらりと言う。アギンのほうは、わたしが嫉妬するとは思ってもいないらしい。
以前、今まで何人と付き合ったことがあるか、ふざけ半分でアギンに尋ねたことがある。その時アギンは、一人と答えた。絶対嘘でしょ、と言っても、ほんとにほんとに、と言うだけだった。だとすると彼女が唯一の元カノということか。そんなはずはない。
「へえ……廃墟写真って?」
「いろいろやってみようと思って」
「そうなんだ」
夜に出歩いているのはそういうことなのか、と思った。
「見たいな」
「いや、でもなかなか上手くいかなくて」
「そうなの?」
アギンは作品をすべてわたしに見せてくれるわけではない。わたしが強く言わないということもあるが、積極的には見せたくないような態度を取ることも多い。
そのことで距離を感じることもある。誰かには全部見せているのだろうかと気になりもするが、首を突っ込むのはやめようと自重している。それで今まで上手くいっているのだから。
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