6
わたしはマスクをしてスーパーで食料の買い出しをした。気分転換のためにレンタサイクルで少し遠くの大型スーパーに出かけるのが常だ。
買い物カートにトマトや玉ねぎを入れていると、「もしかしてサヤさんですか?」と男性に声をかけられた。
展示会で会った画家の一人だった。
「あ、こんにちは」
わたしは会釈した。
「よかった、人違いじゃなくて。まだアギンと一緒に暮らしてるんですか?」
「はい」
「アギン、大丈夫ですか?」
「大丈夫って、なにがですか?」
「アギン、怪我してますよね?」
「え? 怪我?」
「一週間くらい前だったかな。道で見かけたんですけど、腕を吊ってたから。知らない人と一緒だったから声かけなかったんですけど」
「え?」
わたしは混乱してしまったが、すぐに思い直す。
「人違いじゃないですか? アギンは怪我なんてしてませんよ」
「ええ? 確かにアギンだと思ったんだけどな……」
「知らない人ってどんな人ですか?」
「三十代くらいの女性でした」
「やっぱり人違いですね」
「そうですか……まあ、大丈夫ならいいんですけど。変なこと言ってすみません」
「いえいえ」
名前も思い出せない彼は、あまり納得していないようだったが、それで別れた。わたしは、そんなくだらない勘違いをわざわざアギンに確認するまでもないと思ったので、なにも言わなかった。しかし、忘れようとしても心に引っかかって忘れることができなかった。
三回目の施術の時、わたしは時間より三十分早くスタジオへ行った。入り口のパネルに施術中という表示が出ていたので、わたしは待合室の入り口に立ち、施術室の出入り口を見つめた。
十分ほど経った時、施術室から人が出てきた。あの元調整者だった。
「あ、あの!」
わたしが勇気を出して声をかけると、出口へ向かおうとしていた彼は振り向いた。
「こんにちは」
特に驚いた様子もなく丁寧に会釈する。わたしも慌てて挨拶を返す。
「この前は突然すみませんでした」
「いいえ」
わたしが名乗ると、彼は「フジカゲです」と名乗った。
「あの、わたし、親戚が元調整者なんですけど、なにも話してくれないので、ほかの元調整者のかたにお話を伺いたいと思ってるんです。取材とかそういうことでは全然なくて。ただ、ちょっとお話しできないかと思いまして」
久しぶりに口から出まかせが飛び出た。以前のわたしだったら、顔をしっかり相手へ向けて目を見て話せば、いくらおかしな口実でも、男性から拒まれることはないはずだった。しかし、今のわたしは拒絶への不安で緊張していた。拒絶されたからと言って、困ることはなにもないのに。
「もしよかったら、連絡先を教えていただけませんか?」
わたしは手に持ったスマートフォンを持ち上げてみせる。
「わかりました」
フジカゲはあっさりとうなずき、連絡先交換に応じてくれた。
わたしは体の力が抜けるような思いがし、なぜこんなに緊張したのだろうと自分を滑稽に思った。
ガラスのドアから出て行く彼を見送ったわたしは、スマートフォンをまだにぎりしめていた。
「サヤさん」
ジビが施術室から顔を出す。
「いらっしゃいませ」
「あ、どうも」
「上手くいきましたか?」
わたしはうなずいた。ジビがどう思っているのかは知らないが、それ以上詮索してはこなかった。
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