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わたしの誕生日に、アギンは腕時計をくれた。グレーの革ベルトにスカイブルーの文字盤が綺麗。
嬉しかった。とても嬉しかったのだけれど、わたしは物足りなさを感じてしまった。
アギンは、買って来てくれたショートケーキをつつきながらわたしを見る。
「気に入らなかった?」
わたしは激しく首を振る。
「ううん。すごく可愛い」
「ならいいんだけど。どうかした?」
「うーん……来年の誕生日も一緒にいられるかなって思って」
「え? どういう意味?」
アギンはわたしが斜め上の冗談を言ったかのように笑った。
「なんとなくちょっと不安になっただけ。別に理由はなくて」
「うーん。俺もまだまだだな。サヤを不安にさせてるんだから」
「アギンのせいじゃないよ」
「いや、俺のせいだよ。でも大丈夫。ちょっと考えてみるからさ」
そう言っていつもの頼りがいのある笑顔を見せた。
ジビと名乗ったのは、おかっぱと呼びたくなるようなボブヘアをしたモデル体型の女性だった。シンプルな麻のワンピースから伸びた手足は一色の青黒い刺青で覆われている。よく見ると様々な絵や模様がひしめき合っているのがわかるが、一見、蔦のような植物が絡みついているように見える。刺青は首と顔にも侵食していて、頬骨と目の上に繊細な線が渦を巻いていた。その刺青のせいか、浅黒い肌のせいか、年齢がよくわからなかった。
まるで美術館のようなスタジオで、彼女は一人で彫り師の仕事をしているらしい。白くて清潔感のある部屋で、彼女は愛想よくアギンとわたしに説明をしてくれた。
再生医療の発達により、刺青が簡単に消せるようになったこと、新しい膏薬型麻酔薬の普及によって、刺青を入れる際の痛みが最小限になったこと、タトゥーマシンの進化によって、施術時間が大幅に短くなったことで、刺青を入れることの意味が大きく変わってしまったということ。気軽に入れて気軽に消せるようになったことで、刺青が本来持っていた文化的な意味は完全に失われたと言っていいと思います、とジビは言った。
「しかし、肌に針を入れて色を入れることは同じなわけですから、タトゥーを入れられるかたご本人にとって大きな意味があるべきだと思います。もちろん、一度入れられたものをどうするかはお客様の自由ですが、わたしたち彫り師やタトゥーデザインアドバイザーは、お客様が一生このタトゥーと付き合っていただくという前提でやらせていただきます」
ウッド系のいい感じのアロマがたかれた居心地のよい空間で、わたしは眠気に襲われそうになっていた。アギンと一緒にいる時はマスクをしないので、香りが直接届く。
アギンは時々、「なるほど」などと相槌を打ちながら真剣に耳を傾けている。
「また、タトゥーに新たな意味を持たせるため、わたしたちは新たな試みとして、イクスターナライズデザインというものを取り入れております」
ジビはかたわらのPCをこちらに向けた。そこには様々な絵が表示されていた。
「こちらはお客様の許可を受けて公開させていただいているデザインとなります。お客様の潜在意識から専用のAIがふさわしいデザインを生成いたします。分析はすべてAIが行い、情報管理も厳格なルールを設けておりますので、あとでお送りする情報をご覧ください」
「最新の脳科学研究に基づいてるんですよね?」
アギンはソファーから前のめりになって尋ねる。
「ええ」
ジビは嬉しそうにうなずく。
「人間の脳の研究はまだまだ発展途上だと言われています。潜在意識の研究は近年特に力を入れられている分野で、このスタジオで使わせていただいているカプセルも、国の研究所から直接届けられているものなんですよ」
ジビは透明なケースを持ち上げてみせた。中には白いカプセルがいくつか入っている。
「こちらのカプセルを飲んでいただいて、十分ほどお待ち頂ければ、こちらの専用のPCにあなたの脳の情報が送られますので、すぐにお帰りいただけます。時間もかかりませんし、もちろん体への負担もありません。カプセルの中には溶解性ナノマシンが入っていて、脳の情報を集めて送信し、すぐに消えます。情報の分析と構成はPCで行いまして、デザイン案を数パターンご用意させていただきます。デザイン決定後に再びご来店いただきまして、施術に入らせていただきます。もちろん、デザインにご納得いただけるまで何度でも無制限にデザイン案をご提供いたします」
「最近始まった方法なんですよね?」
アギンは事前にいろいろ調べてきたようだ。ジビはうなずく。
「わたしが最初に始めて一年ほどになります。ほかのタトゥースタジオにも広まっているんですよ。やはり科学技術の発達によって、本来タトゥーが持っていた意味がどんどん薄まって行ってしまっているんですね。そんな中で、新たな価値観を生み出せないかと模索した結果でして。AIのデザイン能力と、潜在意識の研究と、人の体に刻まれて共に生きて行く芸術としてのタトゥーが融合することで、新たな文化が生まれるのではないかと考えております」
「潜在意識って、そもそもなんなんでしょうか」
「実を言うと、きちんとした科学用語ではないんです。それくらいまだよくわかっていないものなんですね。しかし、表層意識には反映されない、微細な脳活動があることは、はっきりと証明されているんです。それを潜在意識と呼んでいます。その脳活動と類似している表層意識の脳活動と照らし合わせながら、デザインを生成します。本当の潜在意識は、今の技術では分析することが不可能なので、潜在意識データを手がかりに、その人の本質を反映するようなデザインを釣り上げていく、と言った感じです」
「うーん、やっぱり難しいですね。ウェブマガジンでたまたまお見かけして、面白いなと思っていろいろ調べてはみたんですけど」
アギンは苦笑してわたしを見る。
「サヤはわかった?」
「いや、わかんない」
わたしは正直に答えた。一応きちんと耳は傾けているが、夢物語を聞かされているような気分になってきている。
「すみません、わかりにくいですよね。つまり、人にはそれぞれ、個性的な意識状態があり、それを今の技術でできるだけ正確に取り出すことを試みている、ということなんです」
「なるほど。正解がないからこそ、面白いかもしれませんね」
「ええ、そうなんです」
「失礼ですが、あなたのタトゥーはその方法で彫られたものなんですか?」
「これはその方法で彫ったものです」
アギンの質問に、彼女は右前腕の内側を見せた。ナイフのような鋭い形の模様が描かれている。そこだけが青みの強い色になっていた。
「あとのタトゥーは全部人の手で彫ったものです。自分で彫ったのもありますし、ほかの彫り師さんに彫っていただいたものも多いです」
「人の手で? それはすごいですね」
「ご希望であれば、マシンではなくわたしが手彫りすることもできますよ。お時間はかなりかかってしまうんですけど、中には手彫りがいいというお客様もいらっしゃいますので」
「手彫りだと、背中一面はどのくらい時間がかかりますか?」
「何度か通っていただくことになりますね。デザインによりますが、少なくとも五回、多い場合は十回以上かかってしまうかもしれません」
「ぜひ手彫りでお願いしたいんですけど、いいですか?」
「もちろんです。ありがとうございます」
彼女はタブレットになにかを入力した。
契約を終え、アギンとわたしは外に出た。建物の外には短く刈り込まれた芝生が広がる庭があり、控えめな噴水からチロチロと水が出て、春の柔らかな光を反射してきらめいている。
「なんか静かだね」
わたしが言うと、アギンは駐車場に停めていた車のドアを開けながら言う。
「この辺はあんまり人が住んでないみたいだからね」
「うちの周りもそうだけど、ここはもっとそうなのかな」
わたしは車に乗り込む。
「そうかもね」
周りには大きな家が点々と建っていて、人の姿はない。寂しい街だな、とわたしは思った。
「アギンはさ、自分の潜在意識を知りたいと思ったの?」
わたしの問いに、アギンは「いや」と苦笑した。
「俺がそうしたいっていうんじゃなくて、全部、サヤのためだよ。俺ともっとつながりたいんでしょ?」
彼は、わたしの気持ちを見透かしているように言う。
「ただ、俺の名前を彫る、とかじゃダサいじゃん。でも、これだといい感じかなって思って」
「よくこんなサービス知ってたね」
「たまたまだよ」
「さすがアギン」
照れるように笑うアギンは、まるで子供のようだ。
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