某パーキングエリアで、わたしは首輪から伸びた鎖を男に握られながら、男と並んで塩ラーメンを食べていた。ラーメンはしょっぱすぎて、鎖骨にのしかかる革の首輪は重すぎる。赤くてひらひらしたミニスカートから露出する生足が少し寒い。しかし、わたしは無表情を保っていた。

 聞こえてきた騒がしい声に顔を上げると、少し離れたテーブルに、一様に黒い作業服のようなものを着た集団がいた。フードコートの白く無愛想な照明と、男たちの無遠慮な笑い声が噛み合わず、わたしは思わずその男たちを見つめていた。

 男たちの声は低く、若者とは呼びにくい年齢層。それがさらに違和感を増長させている。いい大人たちが、酒場でもないところで騒げば目立つ。そうでなくても、見た目からして異様だった。なにかが全員、異常に似通っているのだ。服装と引き締まった体つきだけではない。なんだろう。わからない。

「調整者だ」

 わたしの連れの男がつぶやいた。なんの感情も汲み取れない。わたしは、まったく知らない言葉に対して反応することができなかった。

 わたしたちがラーメンを食べ終わる頃、その集団はほかの客となにかもめ出したらしい。

「そう言うならお前がやれよ」

 集団の中の一人が発した笑い交じりの言葉が耳に入ってきた。その男が、白と赤のダイヤ柄のダボダボしたTシャツを着た若者にナイフを握らせていた。太くて黒い柄からきらめく刃が伸びたサバイバルナイフだ。

「やれよやれよ」

 椅子に座っている別の男が若者の手を取り、ナイフの切っ先を自分の額に当てさせる。

 若者は笑みを顔に張りつかせながら震えていた。その若者の隣にいた別の若者が、「だからやめとこうって言ったのに」と言ったが無視された。若者たちが黒衣の男たちになにか声をかけたらしい。

 ナイフを額に当てた男は、両手で若者の手首を握ったまま、力を込めていったようだ。ナイフの刃が、若者を見つめる目の上の額に埋まっていった。

 若者は悲鳴を上げて手を振りほどくと、走って逃げて行った。

 周りの男たちは笑い、そばに立っている男が座った男の頭にナイフを叩き込んだ。

「やめろって」

 ナイフを頭に埋めた男が自分でナイフを抜くと、血が飛び散るのが見えた。男は額から流れる血を無造作に手で拭って振り払う。

「きたねえ」

 再び周りの男たちが笑い声を上げ、そこにあった布巾でテーブルを拭いた男が、その布巾でナイフを刺された男の額を無造作に拭く。拭われた額には傷はなかった。

 じゃれ合う男子高校生たちのようなノリだった。

 わたしは、あまりのことに頭が真っ白になってしまった。周囲の人たちは遠巻きに見るだけで、なにも反応しない。わたしの連れの男が「ふふっ」と静かな引き笑いのような声を立てた。

ナイフを刺された男の顔から目が離せなかった。特徴的な顔ではない。どこにでもいるような男だが、つるりとした肌は不思議と視覚から逃げるようで、年齢不詳。その眼光が鋭いのか優しいのか、印象がわたしの中で揺れ動く。ただ、その造形は目に焼きついた。


 アギンと出会ったのは、首輪好き男のもとを去ってから数日後のことだった。次の男の目星をつけないまま別れるのは久しぶりだったが、男がわたしに飽きてきたことを感じることに耐えられなかった。つまらない男ではあったが、しっかりわたしをつなぎとめようとしてくれるところが魅力だったのに、それがなくなってきてしまったからには、一緒にいる理由がない。

一人になったそのタイミングでアギンに出会ったことも、運命を感じさせた。

 勤め先のバーからの帰り道、毎日通っている広い歩道橋の上で、突然降ってわいたようにアギンはアコースティックギターをかき鳴らしながら歌っていた。

 特別上手くはない。しかし、何人かの若い女性が立ち止まり、彼に熱い視線を向けていた。わたしは聴衆の後方に加わった。

 それから一時間ほど、わたしは肌寒さに耐えながら、ずっと彼の演奏と歌を聴いた。撤収しようとする彼に話しかけ、連絡先を交換した。彼はほかの女性数名とも当たり前のように連絡先を交換していた。

 そこから交際に発展できたのはわたし一人だけだったらしい。彼は複数の女性とデートを重ねていたが、やがてほかの女の影は薄くなり、わたしはアギンのアパートに転がり込んで一緒に暮らすようになった。

 アギンは思ったよりも年上で、音楽や絵で細々とした収入を得ていた。特別な野心はないらしく、夢追い人らしいぎらつきはない。かといって、ベーシックインカムだけに頼って生きている人特有の無気力さもなく、余裕感を漂わせていた。

 彼はお金にも名声にも興味がないらしい。芸術には興味があるはずだが、ほんの趣味程度の情熱しか傾けていないように思える。なにかを探している様子もなければ、不安を抱えている様子もない。彼が持っているのは、健康な動物としての欲求だけのようだ。身なりにあまり気を使ってはいないけれど、生まれ持ったその体と、常に機嫌がよくて穏やかな態度だけで十分すぎる魅力があった。

 わたしはそんな彼と本質的に相性がいいから、急速に惹かれ合ったのだと思った。数か月が経ち、その思いはますます強くなった。

 わたしは、たくさんの男性と接触するために就いていた仕事を辞め、わたしたちは二人のベーシックインカムと彼の少ない収入だけで生活するようになった。それで十分に幸せだった。

 彼は、わたしが友達と会ったり買い物をしたりするために一人で外出する時、一時間ごとの連絡を命じた。その連絡には、わたし自身と周囲の風景が映った十秒以上の動画を添付することが必須だった。ほかの男の連絡先はとっくに削除させられていたし、ほかの男と会うことは禁止。派手だったり露出度が高かったりする服装はもちろん禁止だし、化粧すら一切許されなかった。

 チャラチャラした格好ばかりしていた少し前までのわたしからすれば、スッピンに黒やグレーだけの服装で外を歩くわたしの姿は考えられないものだっただろう。しかし、わたしはそんな自分の変化をあっさりと受け入れていた。値段の張る化粧品や服飾品を捨てることにも、まったく抵抗はなかった。

 だってそれはもう必要ないから。わたしにはアギンがいれば十分だった。束縛してくれることがわたしは嬉しかった。

 ある時、アギンは、仲間と一緒に少し離れた場所にあるスタジオを借りてレコーディングすることになったから、数日間家を空けると言いだした。

 わたしは少し落ち込んだが、寂しいけど行って楽しんできてね、と言った。

 アギンは嬉しそうに微笑み、わたしの頭をなでながら言った。

「サヤは本当に俺のことを大事に思ってくれるね。ありがとう」

 わたしが照れ笑いすると、彼はわたしの頬を軽くつつく。

「それにめちゃくちゃ可愛いよ。可愛すぎて心配なくらいだよ」

 彼はいつもそう言ってくれる。ありがとう、とわたしは言う。

「誰がどう見たって自分のものにしちゃいたくなるに違いないんだから。ほんと、考えものだよ」

 そんなことないよ、とわたしが言うと、アギンは断固として首を振った。切れ長の目の中のブラックダイヤモンドのような瞳がわたしをまっすぐに見る。

「やっぱり対策をしないとね」

 彼はおもむろにカッターナイフを持ってきて、刃をライターの火であぶり始めた。

「これで自分の顔を切ってほしいんだ。俺にはできないから」

 彼はいつものように微笑み、わたしにカッターナイフを握らせた。


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