発火する蛇

諸根いつみ

終章

 女はローブを脱ぎ、鏡に自分の背中を映した。

 クリーム色のだだっ広い部屋の壁にかけられた姿見は、その痩せた女なら三人並べても余裕があるほどの大きさ。女はその中に映し出された自分の背中を見て、ひきつったまぶたを限界まで引き上げると、一歩後ろに下がって鏡に近づいた。

 女の背には、薄い灰色の繊細な線で、二人の人物が描かれていた。つぶらな目で上を見上げる赤ん坊。その視線の先で微笑むのは、その赤ん坊を腕に抱いた女性。

 その刺青のデザインは、宗教画的タッチではなかった。どこにでもいそうな母と子の写実的な絵。しかし、その女性には、聖母のような神々しさがあった。まつ毛が少しかぶさっている女性の伏せた目、無邪気に動き出しそうな赤ん坊の半開きの口も、見つめ合う母子の幸せを表している。

 自分の背中いっぱいに広がる刺青を凝視し、女はしばらく動かなかった。顔を正面に戻した時、茶色の古傷が路線図のように走った女の顔からは力が抜け、唇がぶるぶると震えていた。

 女は上半身裸のまま、広くてなにもない部屋の窓のほうへ向かって歩き出した。足取りはおぼつかず、崩れ落ちそうになる筋肉で、体をやっとのことで前へ運ぶ。

 女は窓を開けると、短く刈り込まれた芝生の上に裸足で踏み出した。見開かれた目から涙がこぼれ、盛り上がった傷を避けて顎へ伝う。降り注ぐ太陽の光が全身を燃やすような心地がし、静寂が耳に痛かった。

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