19. 変身の瞬間〜レベッカの美しさ

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超一流デパートのお得意様専用の個室。見たこともないような美しいドレスと素敵なアクセサリーに囲まれ、レベッカは夢がまだ続いているような気持ちになる。アンドリューは「キルトのお礼だ」と言いながらも、レベッカに強く惹きつけられる。


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〈バーグドーフ・グッドマン〉──知らない人などいない、ニューヨーク屈指のデパートだ。もちろんレベッカですら知っている。だが、お得意さま専用の個室なんて、そんな場所が存在することは知らなかった。

エレベーターをおりるとカーペット敷きの廊下が続いていた。そして部屋にはいるとさらに毛足の長いじゅうたんが敷き詰められている。高級そうな革張りのソファセット、天板がガラスのコーヒーテーブル、奥はカーテンで仕切られていて、おそらく着替えるスペースになっているのだろう。

 またしても初めて見る世界だわ。レベッカは夢のつづきのなかにいるような気持ちのままでいた。

 アンドリューに引っ張られるようにしてソファに腰をおろすと、すぐに香り高いコーヒーが出てきた。

「こんなところで買い物したことなんてないわ」

 レベッカはすっかり気おくれしていた。

「別にここに来たからって、ダイヤや金の延べ棒を買うわけじゃない。ただほかの人に邪魔されず、ゆっくり静かに買い物ができるっていうだけでね。値段だって下のフロアで買うのと同じだよ」

 そうは言っても初めての経験に、すっかりとまどっているレベッカは、気持ちを落ち着けようとコーヒーを飲み、ふうっとため息をついた。

「それならいいけど」

「だが、今日は全部僕に任せてほしいな」アンドリューがにこやかな笑みを浮かべて言った。

「そんなにしてもらう訳にはいかないわ」レベッカはおどろいて言った。

 そんな様子にかまうことなくアンドリューは続けた。

「僕だってキルトについてはそれなりの知識があるんだ。手作りのオリジナルキルトの価値ぐらい知ってるよ」

 レベッカはまたしてもアンドリューに押し切られた形になってしまった。

 アンドリューはレベッカのサイズを確認してもらうと、得意先係の店員に指示して、フォーマルすぎず、ちゃんとしたレストランへ行ける服とそれに合う小物類を持ってこさせた。

 次々にラックに掛けられていく何枚ものドレス。やわらかそうな素材、軽やかな色合い、あるいは少しゴージャスな素材感のあるツーピース、手作業で細工されているらしい胸元の刺繍などなど……。布に興味のあるレベッカは、いつのまにかラックに近寄って手で触れ、それらに見入っていた。

 さらに、それに合うヒールのあるサンダルやパンプス、イヤリング、ネックレス、バングル、ワンポイントのベルト……装飾的な小物も次々に運びこまれてくる。

「ねえ」レベッカが振り向いた。「この素材、キルトに取り入れたらステキだと思わない?」

 女性らしい興味を持ってドレスに惹かれているのだとばかり思っていたら……。レベッカが喜んでいる姿をうれしそうに見つめていたアンドリューは苦笑した。やっぱりレベッカだ。

「そうだな。でも、キルトにするまえに着てあげると、その服のデザイナーとしては本望だと思うね」

「あら、ほんとうにそうね」レベッカは笑い声をたてた。「いつもあつかっている素材とまるでちがうから、ついイメージがわいてしまって。でも、そうよね、素材じゃなくてこれはドレスだったわ」

 アンドリューはレベッカの笑顔に魅せられていた。そうか、怒ったときだけじゃなくて、好奇心たっぷりのときにも瞳に黄金色がきらめくんだな。

「よろしければ、コーディネートのお手伝いをいたしますが」

 上品な店員がすかさず話しかけてきた。このままでは、買い取るまえに切り刻まれてしまうと思ったのかもしれない。

「ええ、ぜひ。こういった服はあまり着たことがないから、アドバイスしてもらえるとうれしいわ」素直にレベッカがこたえた。

 アンドリューがパーティで会う女性たちは、アドバイスなどしてもらう必要がないとばかりに、流行の最先端についていつも語っている。どこのレストランが流行っているのか、デザイナーはだれのものを着るべきか……たぶん、フェイスリフトの最先端だって聞けば語るだろう。

 レベッカには気負ったところがない。いつもありのままで、自分にないものは素直に人に頼ることができる。アンドリューにはそれが新鮮だった。最初は意地っ張りに見えたが、そういうことではない。大切なものはゆずらないが、それは意地ではなく、ほんとうに大切だからなのだ。

 いっぽうレベッカは、ただ言われるがままにどんどん着替えていた。

「うん、いいね、とてもよく似合っている」

 レベッカの変身ぶりを楽しんでいるアンドリューのほめ言葉も、お世辞でなく心がこもっていた。いや、少し熱心すぎるくらいに。

 レベッカの私服といえばTシャツにジーパン、少しおしゃれをするときには、サマーセーターにスカートくらい。仕事中もそれよりは少しまし、という程度だ。でも、今着ている服はぜんぜんちがう。袖を通したときの、最高の素材の肌触りに驚き、デザイナーによって効果的に引き出される体の美点にため息をついた。

 すごい、カットがちがうとこんなふうに見えるのね。

 レベッカは、最初こそおずおずと試着室から出てきたが、しだいにフェミニンに装うことの楽しさを感じていった。

 アンドリューはレベッカが喜ぶ顔を見て、似合う服は全部その場でプレゼントしたくなったが、さすがにそれではやりすぎだと思い直した。

 何点か試着した後に選んだのは、レベッカの瞳によく合う淡いパープルの、オーガンジーに銀糸の刺繍を施したノースリーブのワンピースだった。

 そのドレスは軽く日焼けして、引き締まった体つきのレベッカにとてもよく似合っていた。シンプルだが華やかさもある。さらに、そのドレスに合う、高価ではないがセンスのいいシルバーのアクセサリー、マッチしたパンプスとバッグも贈られた。

「アンドリュー、こんなにプレゼントしてもらうわけにはいかないわ。私だって無駄遣いしていないから、これぐらいなら払えるのよ」

 店員が席を外すと、レベッカが小声で言った。

「もちろん、わかってる。だけどキルトのお礼だって言っただろ? 母もあんなに喜んでくれたし。それに、僕がプレゼントしたいんだ。そして食事につきあってほしい。わざわざニューヨークまで来てくれたんだ。いいだろう?」

 そこまで言われると、レベッカも断り切れなかった。

 レベッカが特にうれしかったのはハンドバッグだ。少し小振りな黒のバッグで、クロコの型押しでアクセントがつけてある。レベッカはデザインを思いついたときにすぐ描けるよう、いつもスケッチブックと色鉛筆を持ち歩くため、どうしても大きなバッグばかりを使っている。

 今回もニューヨークへ来るのだからと少しはおしゃれをしたつもりだったが、バッグはキャンバス地の大きな肩掛けタイプのままだった。これでは、この繊細なパープルのドレスには合わない。たまに、小さめのバッグを買おうと思ったりもしたが、めったに使う機会がないことを思うと、贅沢な気がして買えなかったのだ。

 この、アンドリューが選んでくれたバッグならデートにぴったり……。

 なにを考えているの。デートする相手もいないのに。

 そして、アンドリューの誘いはデートじゃなくてお礼なのよ。こうして時間を過ごすことで、どんどん傾いて行く自分の気持ちを叱りつけ、レベッカはドレスのすそを軽くひっぱった。

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