18. バラのコテージ〜アンドリューの母

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アンドリューの母キャサリンは、ニューヨーク郊外の小さな石造りのコテージで暮らしている。レベッカは、なごやかな時間を過ごす。アンドリューは、レベッカにせめて今晩はニューヨークに泊まってほしいと言う。


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18. バラのコテージ〜アンドリューの母


 車で30分ほどいくと景色が変わり、やがて郊外の落ちついたたたずまいの住宅街へと入って行った。

「おどろいた、こんな場所もあるのね」

 言葉少なに助手席におさまっていたレベッカがそういうと、楽しそうに運転していたアンドリューが、ちらりとこちらに顔を向けた。

「ああ、ニューヨークにも意外といろいろな場所があるんだよ。うちの一族が所有している大きな屋敷もあるが、いまは大叔父の一家に住んでもらっているんだ。彼らはそういった家を好むし、実際、社交の場にも活発に出るからね」

「社交の場?」

「まあ、コネクションを作るには有効な場と言うべきかな。母も社交が苦手ではないけれど、父とともにそういった場に出る必要がなくなったから、気の合う友人との時間を優先させている。それには、大きな家は必要ないからな。……大叔父一家は大喜びでハート家の昔ながらの家に移ってくれたよ」

 アンドリューは、さばさばとした表情で語った。

「あなたもお母様といっしょに住んでいるの?」

「いや、さすがに生活のペースがちがいすぎるからね。ぼくのほうは会社に近いほうがなにかと便利だから、あの近くに住んでいるよ」

「そうだったの」

 レベッカには想像もつかない世界の話だ。それでも、アンドリューの母親の家のまえに車が止まったときには、愛らしく小さな石造りの家を見て、ようやく自分のキルトの考え方が正しかったと思えた。


 バラのゲートが迎えてくれる車寄せにBMWを停めると、アンドリューは助手席にまわってドアをあけ、レベッカをエスコートしてくれた。

「いい香り」

 レベッカは花の香りを胸いっぱいに吸い込み、あたりを見回した。

 家のまえにある、あまり広くない前庭にはバラを主体にした生け垣と芝生が広がり、手をかけすぎていないシャクヤクが重く頭を垂れて花びらを散らしていた。盛夏を間近にした庭には、生命力があふれていた。

「ああ、母の自慢の庭だよ」

 アンドリューが、くしゃっと顔をほころばせると、目尻に笑い皺ができた。ときどき湖のほとりで見た、くつろいだときに見せる笑顔だ。

 レベッカの胸が熱くなった。ああ、やはり自分はアンドリューに惹かれている。

 玄関まえにたつと、アンドリューはインターフォンを押した。

「ぼくだよ、アンドリューだ」


 アンドリューの母キャロラインは、夫を亡くしてからニューヨーク郊外にあるコテージにひとりで暮らしていた。息子は多忙を極めていて、コテージを訪れることはめったにない。だが、庭でバラを育ててキルトを製作し、友人たちとおしゃべりを楽しみ、それなりに楽しい人生を送っている。そしていつか、アンドリューが良い伴侶を見つけてくれればと願っている。

「アンドリュー! いまあけるわね」

 母キャロラインが、大きな樫の戸をあけて出て来た。明るく、やさしげな笑顔だ。そして、息子のうしろに来客がいることに気づき、問いかけるようにアンドリューを見た。レベッカは少し緊張しながら、軽く会釈した。

「やあ、母さん。元気そうだね? ちょっと早いけど、誕生日のプレゼントを届けに来たよ」

 それにかまわず、アンドリューは母をやさしくハグして頬にキスした。

「アンドリュー、来てくれてありがとう」キャロラインも息子の頬にキスする。「お客様も一緒なのね。どうぞ、中にはいってくださいな」

 3人でコテージの中にはいった。大きな家ではないが、奥に見えているリビングは広く、庭に面した大きな窓があり、光があふれている。

 使い込まれた家具や壁やクッションなどが、さまざまなキルトで飾られていた。

「アンドリュー、お客様を紹介してくれないの?」

 押さえきれない好奇心をこめて、母がたずねた。

「ああ、そうだね」アンドリューはレベッカを引き寄せた。「お母さん、こちらはレベッカ、レベッカ・ポーターだよ。ニュージャージーのプチホテル〈ラミティエ〉を経営している」

「はじめまして、ミセス・ハート。レベッカ・ポーターです。とつぜんお邪魔して申し訳ありません。あの……〈ラミティエ〉を経営しているのは伯父で、私はその手伝いをしています」

「お母さん、これ、誕生日プレゼントだよ」アンドリューは期待をこめてキルトの包みを差し出した。「早く開けてみて。僕もまだ見ていないんだ」

「え? どういうことなの、アンドリュー?」

「いいから、早く早く」

 キャロラインはせかされて包みを開けた。あざやかな黄色と深いブルー、そして赤い色のアクセントがぱっと目に飛び込んできた。

「まあ!」キャロラインの顔が輝いた。「アンドリュー! すばらしいわ」

 出てきたキルトは、濃淡さまざまな黄色のバラに縁取られ、中央の光のモチーフを幾層にもデザインされた青が囲んでいた。そして、ところどころに置かれた赤い色が、全体を楽しい印象にしている。たくさんの色を使いながらも、けっして雑然とはせず、斬新なのにどこか懐かしさを感じさせる、レベッカらしい作品だった。

「お母さん、このレベッカがその作者なんだ」アンドリューも作品に満足しつつ、あらためてレベッカをまえに出した。

「そうなの?」しみじみとキルトを広げてながめ、キャロラインはレベッカに向き直った。「なんてすてきなんでしょう。見ているだけで、とても心が温かくなる作品だわ」心からの賞賛をこめて言う。

「ありがとうございます」

 これほど喜んでもらえるとは。これまでの苦労が報われたように感じた。そして、想像以上に感じの良いアンドリューの母にみとれていた。

「これまでキルトはたくさん見てきたけれど、こんな気持ちになったのははじめてよ。どこで売っているの? ニュージャージーかしら?」

「いえ、あの、気に入っていただけたのなら、うれしいですわ」レベッカは顔を赤くした。「売ってはいないんです。趣味のようなもので、頼まれたときにその方の好みや希望をうかがってデザインします。手の空いたときに作るので、時間もかかってしまって」

「じゃあ、これは私のためにデザインして作ってくださったのね? なんてステキなんでしょう!」

 なんどもなんども手にとって、キャロラインはうれしそうにキルトをながめていた。

「どこに飾ったらいいかしら。寝室の暖炉の上もいいわね。いいえ、階段の飾り窓の近くもステキかもしれない」

 子どものようにはしゃぐ母の姿を、アンドリューがあたたかい目で見ていた。

「本当にすてき」ためいきをついてキルトをながめていたキャロラインは、はっとした。「あら、いやだ。なんだか夢中になってしまって。ゆっくり話をうかがいたいわ。お茶をいれましょう」


 3人はリビングに移動した。キャロラインがお茶をいれるために立ち上がった。「ちょうどビスケットを焼いたばかりなのよ」

「あ、なにかお手伝いしましょうか」いつもの習性でレベッカの腰が浮いた。人にお茶をいれることはあっても、いれてもらうことはめったにない。

「あらいいのよ座っていて。おもてなしは大好きなの」キャロラインは楽しそうに言って、ビスケットとお茶を用意した。「アンドリューの好物はブルーベリー入りなのよ」

 そういってすすめられたビスケットは、ほろりと口のなかでとけた。

「おいしい」

 レベッカが目を丸くしておどろくと、キャロラインはにっこり笑った。

「粉のまぜ方にコツがあるの。そこさえ間違えなければ、どんなものを組み合わせてもこの仕上がりになるわ」

「今度、ぜひ教えてください」レベッカが頼んだ。

「もちろんよ、わたしのほうにもキルト作りの秘訣をぜひお願いね」

 3人は会話とお茶を楽しみながら、午後の時間を過ごした。

 先日のガレージセールでアンドリューが見つけたというキルトも見せてもらい、レベッカはその美しさに見とれた。

 アンドリューは自分が愛するふたりの女性が楽しそうにしているのを、満足げに見ていた。これは吉兆にちがいない。

 仕事を放りだしてきたアンドリューが、そろそろ会社にもどらなければならない時間になった。玄関を出る間際、キャロラインが息子にささやいた。

「素敵な人ね。しっかりつかまえておかないと、だれかにとられちゃうわよ」

 相変わらず母の勘は鋭い。アンドリューはため息をついた。「ああ、頑張るよ」


「あのキルト、お母様に気に入っていただけたみたいで、ほっとしたわ」

 車が走り出してしばらくすると、レベッカが言った。

「当然だ。だからこそきみに頼んだんだからね。君の作品を見た上で、これは間違いないと思ったんだ」

「ずいぶん自信があったのね。こっちはもう不安でいっぱいだったのに」

 レベッカはほっとしたように言った。

「自分の力にもっと自信をもったほうがいい。君なら自分のアトリエだって持てるだろう」

「冗談でしょ。ホテルの仕事のあいまの趣味程度が精一杯だわ」

“ホテル”という単語のせいで、それまでなごやかだった空気に緊張が走った。

 沈黙を破ったのはレベッカだった。

「あの、このあいだはごめんなさい。まさか、湖に落ちるなんて思ってもいなくて」

 顔を真っ赤にして謝る。

「いや、ぼくのほうこそ無神経だった。……だが、キスのほうはあやまる気はないから」

 はっとしてアンドリューのほうに顔を向けると、アンドリューはレベッカに少しだけ視線をむけ、すぐに前方に注意を戻した。

 なんと答えていいかわからず、レベッカは焦ってしまった。

「あの……駅か長距離バス乗り場へ送ってもらえるとうれしいんだけど。もしこのあとで予定があるなら、適当なところでおろしてね」

「なにを言ってるんだ」本当は予定があったが、さっき隙を見て秘書に電話し、すべてキャンセルしていた。「せっかくニューヨークに来たんじゃないか。久しぶりなんだろう? 今夜は泊まっていくといい。ディナーをごちそうさせてくれ」

 レベッカも本音を言えば、もう少しだけアンドリューと過ごしたかった。

「でも、泊まるなんて言ってこなかったわ。それに服だってこんなカジュアルなものだし」

 よし、レベッカは泊まって行ってくれそうだ。頭のなかで急いで予定を練り直すと、アンドリューはすかさず言葉をかさねた。

「伯母さんに電話をすればいい。服のことは心配いらないよ。それぐらいはまかせてほしいな」

 すっかりアンドリューのペースにまきこまれたレベッカは、いつの間にか彼の提案を受け入れ、もうしばらく夢の世界に留まることにした。

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