10. 心に空いた穴〜本当の気持ち
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アンドリューが帰ってしまい、甘いキスの記憶だけがレベッカに残された。想いを振りほどくため、レベッカはキルト作りに没頭する。あたたかな太陽の色、深い水の色、希望と祝福の黄色いバラをたっぷり……。
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アンドリューは帰ってしまった。
あんなに嫌いだったニューヨーカーなのに、あんなキスを残して行ってしまうなんて……。
あのときのキスの理由を、レベッカは2人きりのときに何度かたずねようとした。でも、どうしてもきくことができないうちに、アンドリューはニューヨークにもどってしまった。
キスは1回きり。
だから、なおさらきけなかった。ニューヨークではほんの挨拶がわりだよ、なんて言われたら、きっと立ち直れない。そんな気がしたからだ。認めるのがこわかったけれど、レベッカは気づいていた。
アンドリューに惹かれている。
キスをしたからだけじゃない。
〈ラミティエ〉のスタッフがすぐにアンドリューを受け入れたように、彼には人の心にすぐに入りこんでしまうようなあたたかさがある。
仕事ばかりしていたと言ってたけれど、それも、父亡きあとの会社をしっかり経営しなくては、多くの人に迷惑がかかってしまうからだ。仕事を楽しんでいると言っていた。でも、少しその速度をゆるめたくなっているようだ。
だからこそ、対岸のようなニューヨークと変わりない生活を楽しめるリゾート地でなく、ほとんど何もないこちら側に別荘をかまえたいのだろう。
ここ数日、2人で交わした会話はとりとめのないことばかりだった。でも、なかなか他人に話せなかった実の両親のこと、伯父伯母のこと、そして自分にとって〈ラミティエ〉がどんな存在なのかなど、レベッカは自分そのものと言ってもいいようなことをいつのまにか話してしまっていた。
ほんのわずかな時間だったのに、アンドリューとはなにか大切なものを分かち合ったような気がする。
自分のほうだけかもしれないけれど、その気持ちを大切にしたい。レベッカはそう思っていた。
「もし君が届けてくれたらうれしい」アンドリューはそう言っていた。アンドリューもなごりおしそうだった気がした。ひょっとしたら、2人のあいだに何かが芽生えつつあるのかも……そんな気がした。そう考えるだけでレベッカの胸が苦しくなった。
アンドリューが去って以来、くるくるとレベッカは同じことを考えつづけ、そしてアンドリューとの時間を何度も思い返していた。
考えこんでいてもしょうがないのよ、レベッカ・ポーター!
せっかくキルトを渡す機会があるかもしれないのだから、まずは目の前のことに取り組まなくては。
レベッカは夢中になって、アンドリューの母のためのデザインに取り組んだ。土地売却もアンドリューとのキスも、考えこみたくない彼女にとって、これが唯一、アンドリューとつながっていられることだったからだ。
アンドリューの母親が好きだと言う、黄色いバラから考えてみよう――。
まずはじめに、黄色いバラをテーマにしたモチーフを考えた。お日様のようにアンドリューの人生を照らしていた母親に敬意と尊敬をこめて、中心には太陽のような光のモチーフ。そこを支えるように取り囲むあざやかなブルーは、冷静に、だが深く妻を愛したという父親の存在を示している。黄色いバラはアンドリューから母親への贈り物だ。たくさんの花束と花びらで、祝福をあらわそう。期間は1カ月とそう長くはないことから、今回は壁にかけるタイプのタペストリーにすることにした。
キルトにしては小品だが、その分細工に手をかけて、輝くような作品に仕上げよう。
「さてと」構想がまとまると、レベッカは急な階段をのぼって屋根裏にのぼった。
重い木戸を押し開けると、そこには昔の衣装タンスやトランクがきちんと並べられていた。屋根裏部屋にはキルト用の布が集めてある。
さっそく布選びをはじめた。端切れは、かなり古い素材までまとめてある。実の母の晴れ着やレースだけでなく、スタッフたちの祖父母の時代からのさまざまな布を集めた。レベッカのキルトは、かつて人とともに生きてきた布をふんだんに使っている。
人と生きてきた布には、どこかしら存在感と息づかいがひそんでいるようで、同じように作品を作っても、仕上がりがまるで違うのだ。
新しい布は、華やかさでは古い布より見映えがするが、古い布を使ったものと並べると、どこか弱々しい印象がぬぐえない。人間だって、若さだけが美しさではないのかも。キルトを作っていて、レベッカはそんなふうに思うのだ。
ほんの24年しか生きていない自分は、まだ薄っぺらな存在だ。でも、さまざまな経験を重ねて生きて行くことで、布たちにそなわるような、生きて来たこと、生き抜いて来たことの誇りのような存在感が身についていくのだろう。
「これはちがうわね」すでに頭にできあがっているイメージと重ね合わせながら、数々の布の色と素材感を吟味していく。ここでうまくイメージどおりの布を見つけられると、8割方はできあがったようなものだ。
あたたかな太陽の色、深い水の色であるブルーは2色づかいで、希望と祝福の黄色いバラをたっぷり……。
土台には優雅なクリーム色を用いることにした。コテージにバラの庭とともにたたずむ小柄な婦人。黄バラは小振りなものがふさわしい。オールドローズではないけれど、枝につく黄色い花をたくさん。
布を選び終えてみると、もうひと色加えたくなった。仕上げに金糸と銀糸を用いることで、華やかさは足りている。でも、もう少しなにか……。
レベッカはしばらく考えこんでいたが、すぐに答えはでなかった。まずは手を動かしはじめることにしよう。そうすると、いつのまにか答えが見つかるから。
いつもは〈ラミティエ〉の仕事で忙しいため、デザインを終えると専門の縫子にまかせている。だが、今回は自分で縫いあげたかった。本当の意味での自分の作品を、彼が大切にしている母親に届けたかったから。
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