09. 出発の日〜もう一度会いたい
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土地買収の同意を得られないまま、アンドリューの出発の日が来てしまった。アンドリューは、キルトが出来上がったらニューヨークのオフィスに届けてほしいと、レベッカに依頼する。レベッカにもう一度会いたい、そしてもっと関係を深めたい……。
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滞在予定を2泊から4泊に延ばしたアンドリューだったが、結局、レベッカの賛成を得られないまま、ニューヨークへ帰る日が来た。超多忙なスケジュールをこなしている人間にとって、これ以上休むことは不可能だったのだ。
それでも、最初はまるで会話さえなりたたなかったレベッカと、プライベートな話題に限定されるとはいえ、うち解けて話せるようになったことは収穫だった。
昨日は手の空いたレベッカに、お気に入りの散歩コースを案内してもらうことができた。
「ここは、めったに人に教えないのよ」
息をはずませながら、レベッカが先を行く。
「そうなんだ」
そうこたえながら、小柄でバランスの良いレベッカの後ろ姿に、アンドリューの目は釘付けになっていた。
「そうなの、ホテルが自宅だとなかなかひとりになれる機会は少ないから、考えごとをしたいときなんか、よくここに来ていたわ」
「たとえば、どんな?」
「そうねえ……」ボーイフレンドと喧嘩したときとか……だったことを思い出して、レベッカは口をつぐんだ。「まあいろいろ」
「ふうん」
少し赤くなったレベッカの頬を見て、アンドリューはなぜか面白くない気分になった。いったいなにを思い出しているんだ?
道のない森の中をしばらく進んでいくと、小高い丘に出た。そのてっぺんまでのぼる。
「ほら」
「すごいな」
ここからは、湖がほぼ一望できた。少しだけひらけた丘の先には灌木がつらなっていて、ちょうど湖が見晴らせる。ほかの場所だと背の高い木々にさえぎられて、なかなかこういうふうには見えないのだ。
「森を探検していて、ぐうぜん見つけたのよ。その日からわたしのとっておきの場所なの」
心からくつろいだ表情でレベッカが湖を見おろしている。アンドリューはその横顔にみとれた。
「ありがとう、連れて来てもらえてうれしいよ」
ふいにアンドリューの視線に気がついたレベッカが顔を振り向けると、ふたりの視線がからみあった。レベッカの胸が急に苦しくなった。
レベッカは、なぜアンドリューをとっておきの場所に招待する気になったのか、自分でもよくわからなかった。ただ、この場所をアンドリューがとても喜ぶにちがいないと思うと、ためらうことなく連れて来たくなったのだ。
そしてアンドリューも、レベッカにとって大切な場所に連れて来てもらったことをうれしく思っていた。
レベッカが視線を合わせたまま、にっこり笑った。「おなかがすいちゃったわ。ランチにしない?」
「あ、ああ、いいね」レベッカの笑顔にどぎまぎする。それよりきみの愛らしい唇をいただきたい、などとは口がさけても言えない。
草原にシートを敷き、手作りパンのサンドイッチを食べながら、二人はお互いの子どものころの話をした。
「こんな田舎に来て退屈じゃない?」
「いいや、母方の故郷はかなり山の中だったからね。年に一度は母がぼくを連れて帰ってくれたから、自然の中で遊ぶのは楽しみだったな」
「意外だわ。都会のお坊ちゃまは田舎なんてなじめないかと思っていたのに」
「正直いえば、はじめのころは虫も動物もこわかったよ」まるで秘密の話を打ち明けるように、アンドリューは声を落としてレベッカの耳元でささやいた。
レベッカは顔が赤くなりませんように、と祈りながらこたえた。
「でも、大丈夫になったってこと?」
「ああ、ジュニアハイスクールに通うころには、サマーキャンプで好きな女の子に虫をプレゼントして、思いっきりふられるくらいにはね」
「まあ」
2人の笑い声が明るくひびいた。
「年上の兄弟でもいれば、女の子は虫が嫌いだって教えてもらえたんだろうけどな」
「ご兄弟は?」
「残念ながらぼく1人だ。たくましい兄や優しい姉、いっしょに遊べる弟やかわいい妹がほしいって、よく思ったっけな」
「わたしもそう。ひとりっ子で愛情もケーキも一人占めできるのはいいけれど、やっぱり服やチョコの取り合いもしてみたかったわ」
「だから、ぼくはいつかたくさんの子どもに囲まれて暮らせたら、って思っている」
「わたしもよ。大家族はあこがれなの」レベッカの声に憧れがこもった。
そう言った瞬間、アンドリューの頭にはなぜかレベッカが自分の子どもたちをあやしている姿が浮かんだ。うそだろ? あまりにも能天気な想像を、あわてて打ち消した。
バスケット好きのアンドリューが、その話をしようとすると、レベッカは軽い拒絶反応を示した。NYニックスの熱狂的なファンなので、つい熱く語りはじめてしまったからだ。それに気づいたアンドリューは、すぐに話題を変えた。
ふたりの会話にニューヨーク、別荘、土地売却に関する話題はタブーだということが、わかって来た。
土地の所有者であるデイビッドは売却にほぼ同意している。だが、彼のサインを得るだけでなく、レベッカの賛成も必要だ。もう少しレベッカに自分を知ってもらえれば、ニューヨーカーへの偏見を捨て、土地売却に同意してもらえるかもしれない。
もちろんビジネスライクにデイビッドにサインを迫ることだってできる。だが、レベッカがここを愛していることを知った今、強硬手段はとりたくなかった。レベッカとの関係を壊したくない。アンドリューはそう思っていた。
ゆっくり流れる時間のなか、何度もレベッカにキスしたくなったが、そこはおさえた。そう、自分はティーンエイジャーではなく、十分に大人の男なのだから。
ただ、レベッカの瞳だけでなく、人柄にもぐんぐん惹かれていくことに気づいていた。
レベッカのほうだって、少しはそんな気持ちがあるんじゃないか?
きらきら輝く瞳と、少しだけ染まっているレベッカの頬を見ていると、そんな期待がふくらんだ。
「あら、もう出発?」
フロントにいたレベッカが声をかけた。
「ああ、4日も休んでしまったからね。午後から出社しなくては。でないと秘書に殺される。いや、殺されるんならまだいいが、彼女に辞められたら最悪だからな」
少ない手荷物をまとめたアンドリューがフロントにあらわれた。
「ずいぶんと有能な方なのね」
「ああ、僕のスケジュール管理は彼女に任せっきりだ。今回、きゅうに2日も休暇を延長できたのだって、彼女がいてこそだ。普通、ボスが休めば秘書だって少しは楽になるんだろうが、うちの場合は違う。彼女がかなりの部分を代行してくれるから、こうしてのんびりできたのさ。まあ、滅多にないことなんだが」
「それじゃ、秘書に見捨てられないよう、頑張らなくてはね」
レベッカの声に少し寂しそうな気配がにじんだ。
「ああ」
その声にはげまされるようにアンドリューが言った。「それで、キルトができたらここに連絡をしてくれないか」彼は会社の住所と携帯電話の番号を記したカードを出した。「もし君が届けてくれたらうれしい。しばらくは出張の予定がないからオフィスにいると思うが、前もって電話してもらったほうが確実だ。時間があれば、母に紹介するよ。きっとキルトの話で盛り上がるだろうし、製作者が直接届けてくれたら、母もきっと喜ぶから」
「そうね、時間があれば」レベッカはあいまいな返事をした。
アンドリューはポーター夫妻とレベッカに見送られ、〈ラミティエ〉を後にした。このプチホテルに、レベッカに、そして彼女のあの黄金色の瞳に再会できる日を楽しみにして。
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