08. 黄色のバラ〜ささやかな休戦

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アンドリューの母はバラづくりが趣味で、特に黄色のバラが好きだという。キルトのモチーフは黄色のバラにしよう、とレベッカは心に決めた。しかし、アンドリューのためにキルト作りをすることと、ホテルを売ることは別だ。


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 翌日、出発する客のチェックアウトが終わり、レベッカの身体が空くと、ちょうどアンドリューが散歩から戻ってきた。

「お帰りなさい」レベッカは普通に挨拶することができるようになっていた。「今日はどこへ行ってきたの?」

 アンドリューは躊躇した。別荘の候補地となるあたりをぶらついてきたのだが、その話をすればまた気まずくなるだろう。「ああ、森の中を遠くまで散歩してきたよ。これぐらい天気がいいと、もう汗ばむね」ニューヨークでは空調完備のオフィスで仕事をしているため、季節を肌で感じることが少ない。

「ええ、まだそれほど暑くないから、いい時期だわ」レベッカはさりげない会話に話をあわせた。「今なら、ちょっと時間があるんだけど、あなたは?」

「え?」

「お母様のことを聞かせてほしいの。どんなデザインにするかを考えたいから」

 キルトの話か、とアンドリューはほっとした。土地や別荘の話題は避けたかったのだ。

「ああ、ぜひ。ただ、なにか冷たいものを飲みたいな」

「じゃあ、ダイニングへ行きましょう。お客様はもういないし、片づけも終わっているわ。レモネードでいい? 持っていくから先に行ってて」

 アンドリューの返事を待たずにキッチンへ向かうレベッカの背中を見ながら、アンドリューは自分が落ち着いていられたことに安堵した。自分は獣ではないし、ホルモンに行動を支配されるティーンエイジャーでないこともわかっているが、昨日のことを考えるとあまり自信がなかったのだ。これならレベッカと普通に会話することぐらいできそうだ。


「それで、あなたのお母様はどんな方なのかしら?」

 レモネードをまえにして、レベッカはメモ帳を置きながら質問してきた。

「プレゼントの頼み方から考えると、仲のいい親子なんじゃないかって思えるんだけれど」

「そうだなあ。もちろん、ぼくたちは仲のいい親子だと思う」アンドリューはゆっくりと話しはじめた。「母は一見すると小柄で繊細な印象なんだけれど、それは外見だけだってことは、会った人にはすぐわかる。実際にはすごくおおらかで、父の一家のような名門のプライドを背負って生きているような人間たちからすると、かなり異質だったらしい」

「お父様とはちがうタイプだったっていうこと?」

「そう、かなりちがう。父はまじめを絵に描いたような人間で、仕事ばかりしていたからね。父の思い出がないわけじゃないが、とにかく忙しい人だった。そして父は、子どものことはすべて母にまかせていたんだ」

「そうなの」

「ああ。そして、それ以外の身近な肉親たちは母のことはあまり重んじていなかった。会社近くのカフェで働いていた母と、名門の御曹司だった父との結婚は、当時かなりの話題だったそうだ」

「でも、あなたはお母様のことを誇りに思っている?」

「もちろんだ。陽気で少しのことくらいじゃへこたれない。いつも、ものごとの明るい面を見ているんだ。そして、人のことをいつも気づかっている。それも、とてもさりげなく手助けするような人だから、自分のことばかりしか見えない父の親戚たちは、母のことはのんきに暮らしているようにしか思っていないよ」

「お父様はどうなさったの」レベッカはそっと気づかうようにたずねた。

「残念なことに5年前に他界した。急な病だったし、打つ手もなくてね」

「まあ」レベッカの瞳が気づかわしげにくもった。「お気の毒に」そっとアンドリューの手に手を重ねた。アンドリューの胸に熱い思いがこみ上げて来た。思いやりのある触れ合いが、アンドリューの心を満たしていく。

「ぼくのほうはまだいいんだ。仕事ばかりしていたとは言っても、父と母は深く愛し合っていたからね。母はどんなにかつらかったことだろう。ようやく、母が落ちついて人生を楽しみはじめたのは、ここ2年ほどのことだと思う」

「そう、それは本当におつらかったのね」

 レベッカには実の両親との思い出はあまりない。それでも愛されていたという実感は残っている。そして、伯父夫妻から揺るぎない愛情をそそがれていたからこそ、愛する人を失う悲しみの深さも想像できた。

「きみには、すでにご両親がいないと聞いている。なんといったらいいか……」

 めったに人に話したことのない父の死を口にしたことで、スタッフの中年女性が、レベッカの両親がすでにないと教えてくれたことを思い出した。

「そう。でも幼かった私には、悲しみよりもかわいがってもらったことだけが思い出に残っているの。そして、ものごころついたころには伯父と伯母の惜しみない愛情の中にいたってわけ。とても幸運だったと思うわ」

「そうなのか。ぼくは父亡きあと、あまりにも仕事に追われていて、ゆっくり父のことを思い出したことがなかった気がするな」アンドリューはそう言って、考えこむように口をつぐみ窓の外を見やった。黒い瞳がかげっている。

 レベッカもアンドリューの横顔を見つめながら、今さらながら家族に囲まれている幸せを思っていた。

 窓の外を大きな鳥が横切ったことで、ふいに空気が変わった。レベッカは、重ねていた手をそっと引っ込めると、話のつづきをうながした。

「母は子供のころから僕のことを信用してくれていた。ただひとつ、嘘をつくことだけはぜったいに許さないというところがあった。嘘をついたり、ごまかそうとしたりすると、必ず見破られて、お尻をぶたれたよ。それ以外のことで叱られることはなかったし、自由にさせてくれた。自分のことは自分で決めなさいって」

「へえ。私も同じ。伯父や伯母はすごくやさしくて、あまり叱られた記憶がないの。でも、一度決めたルールは守らなくてはいけなかったし、嘘をつくことはぜったいにいけないって言われてきたわ。それ以外は好きにさせてくれたのよ」

 アンドリューは少女時代のレベッカを想像して微笑んだ。

「君とミセス・パーカーは本当の親子みたいだね。キルトを作るようになったのも、彼女の影響かな?」

「そうなの。伯母が暇な時間にやっていたのを、私もまねするようになって、いつの間にか私のほうが熱心に作るようになったの。伯母はだんだんと目が悪くなったり、肩がこるようになったりして、長時間は作業できなくなってしまったから」

「うん、母も同じことをこぼしているよ。自分がやりたいようにやれなくなるのが歯がゆいってね」

「お母様は普段、なにをなさっているの?」

「ニューヨークの郊外にあるコテージで、ひとり暮らしなんだ。昔からの慈善活動のほかには、そうだな、一番時間をかけているのが、バラ造りだな。広くはないけれど庭があって、そこでいろいろな種類の栽培をしている」

 バラ、コテージ、レベッカは書きとめて行った。

「お好きな色ってあるのかしら?」

「バラはどれも好きだけど、特に黄色いバラが好きなんだ」

「あら、私も黄色いバラは好きよ。じゃあ、それをモチーフにしてもいいわね」

 話をしているうちに、レベッカはアンドリューが母親のことを心から愛していて、母と息子が強い愛情で結ばれているらしいことを知った。

 ビジネス界で成功したニューヨーカーだって、やさしい心を持っているのだ。

 当たり前のことなのに、レベッカはあらためて知らされたような気がした。ニューヨークに対する偏見が強すぎたのかもしれない。

 とはいえ、やはり心情的には土地の売却に賛成する気にはなれない。伯父や伯母と話し合っても、感情的にどうしても受け入れられないのだ。決定権は伯父にあるのだが、あくまでもレベッカの心は反対だった。

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