LAST 中途採用の男

 ケイトは体調万全で出社した。

 昨夜の死体処理を終えた後、冷えた体を十分に温めて休んだからだ。

 指先を絆創膏で保護しながら数日は警戒していたが、警察は現れない。レオも、現れなかった。


 ところが一週間たったころ、突然中途採用された男が現れた。

 ミノルさん、と言うらしい。


 彼は先日まで非常勤の塾講師をしていたが、このたび博物館に転職することになったそうだ。弟が抜けた穴を埋めるためだ、と説明がありケイトは内心青ざめた。


 ミノルが入社してきた当初、それはそれは話題になった。まずは弟のダンが正式に失踪し、またそれにより退職扱いとなった衝撃。次に、その兄が就職してきたこと。加えて、見た目のギャップだ。先日、変装して訪れたときは派手もド派手だった。訪れた際の内容の深刻さもあって、職員たちに塩梅よく周知されていた。にもかかわらず、今は星の数ほどいそうな普通の男性になったのだから。「あの格好は何だったんだ?」と囁かれるのだ。というか直接訊きに行く輩がいる。彼は「趣味です」と笑顔で答えている。


 笑顔。

 彼は常に笑顔を浮かべている。一見すると、印象は良い。だが、それが上辺だけであることがわかるような代物だった。薄く開いた目蓋の間から覗く瞳が、まったく笑っていないからだ。

 弟を失くしたからだろう。周りはそう思って、必要以上には構わずそっとしている。ダンのように物腰の良い立ち振る舞いだが、ささやかに怖がられていた。



 「ケイト先輩」


 休憩時間、ケイトはミノルに声をかけられた。彼のほうが年上なのだから、少々くすぐったい。


「ミノルさん、どうしました?」


 普段は後輩にはため口だが、敬語を使うことにしていた。


「私たち、あんまり話してないですよね」

「そうですね……」


 彼もここに来てしばらく経ったのだから、ケイトの職場でのポジションもわかっているだろう。ダンと同じタイプで、そういう人にほど積極的に絡むのだろうか。


「話題を持ってきました」

「はあ……」


 正直ケイトは話したくない。彼は仕事を継ぐように入社してきたが、今でも弟を探している。見つかる心配はほとんどないが、この状況は針の筵だ。


「弟がよく話してくれていましたよ。あなたのこと」

「……あはは、どんなこと言われたんでしょうかね」


 ケイトは苦笑する。精いっぱいの虚勢だ。

 薄くなった瞳が、ケイトを見据えている。


「良い人だ、と褒めていましたよ」

「そうですか。それなら安心です」


 驚いた。ケイト自身、ダンには酷い扱いをしたと自覚している。さすがに兄には相談をしているだろうと思っていたが、そうではないらしい。

 どこまでお人好しなんだ、気味が悪い。

 ミノルは、ダンよりは絡んでこない。しかし、時折視線を感じる。実際は誰も見ていなかったり、ほかの職員だったりするので、ケイトが過敏になっているだけだろう。


 家に帰り、ケイトは新調した冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出した。

 完璧に済んだが、やはり実の兄は疑いを向けるのだろう。しかし証拠はない。探せるものなら探してみろ。

 ケイトはほくそ笑み、冷たい水を胃へ流すと武者震いした。


◆◆◆


 大きな病院と博物館の雰囲気は似ているかもしれない。と、ミノルは知らず知らず考えたが、やっぱり違うな、と思い直した。似ているのは大きさだけだ。

 受付で面会を申し込む。レオは結局助かったが、意識が回復せず、入院することになったようだ。はっきりとした診断がまだできていないが、一生目覚めない可能性もあるらしい。彼には身寄りがいないので、身元保証人サービスを受けるのだろう。


 ミノルがレオの病室を訪れると、また教え子と会った。レオとの交友関係が続いているらしい。

 いくらか話してから別れ、中に入る。彼のベッドのそばには、見舞い品がいくつか置かれている。あの夜は、救急車のサイレンで野次馬が集まってきていた。その中に彼の友人がいたのかもしれない。そこから広がって、さっきの教え子のように友人らがたくさん訪れたのだろう。身内がいなくても幸せそうだ、とミノルは肩をすくめる。


 丸椅子を引いてきて、そばに腰かける。外の日差しが強すぎるので、窓には薄いカーテンがかかっている。彼の顔の半分が翳っていた。


「また来たよ。聞こえてんのか? レオくん、お~い」


 一人部屋なので、ある程度の大きさの声は出せる。どこかをつついてみようとして、当たり障りのない肩をつついた。もちろん反応はない。


「うるさいか? たまに、意識が戻ることがあるそうだ。だからだよ」


 首にロープの傷があると思うが、包帯が巻かれていて見えない。友人たちは自殺未遂のことを知っているのだろうか。枝にロープが残っていたなら知っているかもしれない。


「早く覚まして、教えてほしいんだけど、ケイトくんとはどんな関係だった?」


 ミノルは、ケイトが"何か"をマンホールに捨てるさまを写真に収めた。暗い中、ライトを照らしたせいで生白く見えた。おそらく、あれは弟なのだろうと思っていた。しかし肝心の写真が、全体的にぼやけていてよくわからない。レンズが濡れていた上に、手ブレでぼけている。最新の機種なら追えたのだろうか、と考える。


 真っ先に警察に届けようとしたが、ダンの発言を思い出した。

 『多分お金持ち』

 どの程度かわからないが、権力者並みだった場合、警察が動いてくれるかわからない。

 それにこんなぼけた写真が何になるというのだろう。


「うまいこと考えんだな? どっちのアイデアか知らんが、あの雨の中、下水に捨てるとは。俺の弟はぐちゃぐちゃ……」


 ミノルはため息をついた。体を左右に揺らす。


「会いたいな~。なぁ、お前は夢を見てるわけ? 夢の中でヨロシクやってんの?」


 返事をしないレオに、逃げ場のない怒りを抱える。笑顔を保ちきれず、寝顔を睨んでいる自分に気付く。

 殴ってやろうかとミノルは腕を上げかけたが、不意にダンのあざを残した頬が頭をよぎり、思いとどまった。


 最近ミノルはダンの会社に転職した。ケイトに近づくためでもあったし、彼独自に証拠を集めようと思ったのだ。

 リサーチ(社員情報を盗み見)した結果、彼が政治家の息子だということがわかった。犯罪をしたにもかかわらず、この悠長ぶりはそういうことなのだろうか。すでに揉み消した後なのかもしれない。


 しかも夜盲症ときた。職場には公表していないらしい。ダンが彼から離れなかったのもこういう理由なのかもしれない。庇護欲が湧いたのだろう。雨の中這いつくばっていたのは、そういうことだったのか。

 マンションの前で張ったりしてみたが、これといって不審な様子はない。強いて言えば、家電を搬入していた。大きさ的に冷蔵庫だろう。


「ボディーガードとか、探偵がいる様子もないし、もうやることは終わった、ということか?」


 その気になれば殺してやろう。

 ミノルは、レオの手首につながったカテーテルを指先で撫でる。栄養が送られている。


「別れさせた負い目があるから、酷いことはしないよ……お前食えないし、これは俺がもらってやる」


 見舞い品の中から、ひょいと板チョコを摘まみ、折ってポケットの中に収めた。


「まぁいつでも殺れるが、ケイトくんはどうしようか」


 人がどうなれば死ぬのか、何十通りもの手段を、ミノルは知っている。しかしできれば、弟と同じ目に遭ってほしい。


「そうだな、たとえば……公園の池に足を滑らせたり、ね」


 ミノルは楽しくなって、腹を抱え声を押し殺した。

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SPEAK! 片葉 彩愛沙 @kataha_nerume

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