催眠恋愛

 「ごめんなさい……」


 突然、目の前が真っ暗になった気がした。脳みそが揺れる。見ている世界がギュンギュンと収縮していって、その先は正面の彼女へと向かう。彼女は俯いていて、今にも泣きそうだった。全く、泣きたいのは僕の方だって言うのに……。僕は堪えきれない敗北感を抱えたまま家路へとついた。


 

 「——という事なんです…!なんとかしてくれませんか……」

男は涙目で私に訴えかける。振られたその時を思い出してしまったのだろう。全くもって同情は出来ないが。

「無茶を言わないで下さい。ここは相談所じゃないんですよ」

「当然分かってますよ。けど、こんな仕打ちってないと思いませんか。僕はあいつに何年付き添ってきたか……」

啜り泣く、情け無い男の声。それだけがひたすら木霊した。適当な打開案でも出しておくべきだろうか。

「あー……。まあ、気持ちを切り替えて。新しい人でも見つけたらどうです」

荒ぶる呼吸を抑えて、男は話し始める。

「ええ、それも当然。分かっています。でも、次もどうせ上手く行かないと思ってしまうんです」

「ではどうしろと」

「例えば……惚れ薬とか…」

惚れ薬。そう聞くと、彼の後ろの棚にあるピンク色のビンに目が行く。あれは効果が強過ぎた。

「なるほど。惚れ薬は無理ですが、分かりました。では、もし彼女が出来たら、ここに連れて来てください。彼女にも話を聞かなくてはなりません。なので今はとにかく早くお帰りになって……」

そう言って男を半ば強制的に帰らせ、私は気長に男を待つ事にした。


 「やあ、すいません」

いつぞやの男はそう長い期間も開けずにここに来た。当然片手に一人の女性を侍らせて。やけに上機嫌で、席に座らせるや否や聞いてもいない出会いの話を嬉々として語る。その姿は、彼が振られた理由全てを物語っているような気がした。

「では、少し彼氏さんはそこで待っていて下さい。彼女さんはちょっと奥の部屋へ……」

彼女はスラリとした体型で、なかなか整った顔立ちをしていた。黒い長髪をたなびかせ、憂いのある表情で目配せをするその様子を見る度に、あの男には勿体無いとつくづく思うのだった。

「さて……。いきなりですが、あなた。今の現状彼氏さんとはどうです」

彼女は一つ大きなため息をつき、湧いて出るように話し出した。

「……あまりいいとは言えないわ。だって彼、私の事をちっとも考えていないもの。まるで一つのステータスみたい」

「それは困りましたね。あながち間違いでもないのがまたさらに事を荒立てる……」

「でも彼は悪い人じゃないのよ。ねえ。どうにかして彼を変えてくれない……」

「当然ですとも。そのために私はここで話しているのですから」

その後、今度は彼女に変わり男だけを奥の部屋に連れて行った。

「どうでしたか?」

「駄目そうですね。あと一ヶ月も持ちませんよ」

男の顔から若干の期待が消え去り、また泣くような目つきになった。

「ああ。やっぱり駄目なんだ。おしまいだ」

今にでも喚きそうだ。顔をしかめながら対応する。

「まあ待ってください。だから今日はあなたのために一つ面白い装置を作ったんですよ」

机の上に置いてあった小型の装置を持ち出し、男に渡す。

「これはなんです」

「とかくこれを頭に付けてください。これはあなたの駄目な思考を直す。いわば矯正するための装置です。原理は簡単な催眠と同じですから、健康に危害を加える事はないので安心してくださいね」

男は少し躊躇いながらも頭にそれをつけた。彼の目に、脳に直接語りかけるように装置は働く。装置内の麻酔により、男はしばらくぼーっとしていたが、少し時間が経ったかと思うと、直ぐに目覚めたようで、勢いよく椅子から崩れ落ちた。

「……?終わりましたか?」

男は装置を外し、目をしぱしぱとさせこちらを見ている。

「ええ、終わりました。彼女と仲良くしてくださいね」

その後、ややめまい気味の男を支え、彼女と共に帰らせた。


 「あの……すいません」

そしてまたしばらく経った後。今度は彼女が訪ねてきた。

「今度はどうしましたか。そう何度も対応できる程暇ではないのですが……」

「お願いします。そんなに時間を取らせないので……」

頭を深々と下げる彼女を横目に、私は作業を中断させ、椅子へと腰掛けた。

「……で、どうしたんです」

「実は、あの日以降彼が変わったんです。なんでも言う事を聞いてくれて、我儘の一つも言わない。今回ここに一人で来れた事だって前まではない事だったのです」

「良かったじゃないですか。もうあなたは彼のステータスじゃない」

「それはそうなんですけど……やっぱりちょっと気味が悪くて……」

「それは困りましたね。では……」

彼女の眼を見る。相変わらず、憂いと期待がこもった美しい眼をしている。そして、その目に、脳に直接語りかけるように続きを話す。

「では、そんな男、忘れてしまいましょう。彼みたいな人があなたを持っている事自体が勿体無いのです。そう、そういえば私、最近人肌が恋しくてですね……」


 

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博士の発明品 はんぺん @nerimono_2

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