第46話 決着の時

この回の主な勢力、登場人物  (初登場を除く)



龍造寺氏 …肥前佐嘉郡を中心に勢力を張る一大国衆。少弐氏に反旗を翻す

龍造寺剛忠こうちゅう …主人公 俗名家兼 龍造寺分家、水ヶ江みずがえ家の隠居 一族の重鎮

龍造寺家門いえかど … 故人 家兼次男 水ヶ江家当主 少弐家の執権



少弐氏 …東肥前の大名 大内氏に滅ぼされたものの、再興を果たす

少弐冬尚ふゆひさ …少弐家当主 馬場頼周と共に龍造寺粛清を狙う

少弐資元すけもと …冬尚の父、故人 大内に攻められ多久にて自害

馬場頼周よりちか …少弐重臣 

馬場政員まさかず …頼周嫡男 龍造寺家純の娘を娶る



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 



 千葉城から落ち延びようとする、馬場親子とその家臣達。

 彼らは裏道から下山すると、拠城である綾部城を目指し、共に馬を走らせる。


 しかし、その動きは剛忠に読まれていた。



「これは……」


 前方に見つけた軍勢とその旗を見て、政員は茫然としていた。

 旗に記された家紋は、龍造寺の日足紋。

 小城郡から佐嘉郡へ向かおうと、彼らは背振の山々の麓に沿って、東進していた。

 だが、あらかじめ軍を二分していた剛忠により、道中の大願寺郷にて待ち伏せされてしまったのである。


「来たぞ! 討ち取って手柄といたせ!」

『応っ!』


 これが初戦で士気高い水ケ江勢が、疲労困憊の馬場勢を飲み込んでゆく。

 大願寺郷は緩やかな傾斜の平野部なので、身を隠す事が出来ず、少数の馬場勢は瞬く間に散り散りとなってしまった。


「父上、父上っ!」


 乱戦の中、政員は懸命に頼周を探しながら戦う。

 道のりはまだ長い。こんなところで父を見失ったり、落命させる訳にはいかない。 


 だが残念なことに、彼は天から見放されていた。

 追撃を受けた先に出くわしたのは、佐賀平野を潤す本流、嘉瀬川(川上川)。

 その激しい流れに彼の馬は脚を鈍らせると、水ヶ江家臣、野田家俊が放った一矢を、背に受けてしまったのだ。


「これ、走れ! 走らぬか!」


 顔を紅潮させ政員は懸命に叱咤する。

 だがそれに反して、青息吐息の馬は速度を緩め、やがて歩みを止めてしまった。

 この場に至って何たることか!

 苦虫を食いつぶした様な表情を浮かべたまま、政員は観念して下馬しようとする。


 しかし──


「えっ……⁉」


 急転直下。

 彼の視界は一度空を仰ぐと、次の瞬間叩きつけられていた。

 そして目の前に飛び込んできたのは、泥と水泡だらけの世界。

 一体、己の身に何が起こったのか? 

 彼は認識出来ていなかった。自身が背後から家俊に引きずり落とされた事を。


 ──そして、自分の首に彼の短刀が刺さった事を。

 

「あ……がっ……」

「御首、頂戴仕る!」


 首を失った胴体が、ゆっくりと川下へと下ってゆく。

 馬場政員、享年二十九。

 心情を察するに無念の極みだっただろう。運命のいたずらとは言え、抵抗らしい抵抗も出来ないまま、呆気なく最期を迎えるしかなかったのだから。


 そして彼の死を目の当たりにした馬場勢は、蜘蛛の子を散らす様に逃げ出してゆく。

 だが皆地理に疎く右往左往するばかり。それらを討つ事はもはや合戦ではなく、虐殺でしかなかった。

 

 合戦が終わったのは夕暮れ時。

 穏やかな春の夕暮れの川辺には、尽く討ち取られ骸と化した、馬場勢の人馬が散乱するのみだった。



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 北へ。

 味方の惨状を知ることなく、離れ離れとなってしまった頼周は、ただ一騎で嘉瀬川の上流を目指していた。

 彼には一人の伝手つてがあった。與止日女神社の社人である。


 神社の道向かいにあった社人の家を、彼が訪ねたのは日が落ちてから。

 不意の来訪は、勿論社人を戸惑わせたが、頼周は懸命に頼み込んで、匿ってもらう事になった。


 そして彼は社人の案内で、家の奥にあった芋窯の穴の中に身を隠す。

 そこでようやく一息つく事が出来たのだった。



(どこだ、どこで誤ったのだ。我が策、我が戦略……?)


 暗闇の中、頼周はこれまでの経緯を振り返る。

 頓挫してしまった千葉家との一体化。そして予期せぬ剛忠の逆襲。

 少弐の威勢拡大のためには犠牲は付き物だと認識はしていたが、これ程の反発を喰らうとは。

 己の詰めの甘さを内省する彼は、ただただ項垂うなだれるしかなかった。

 

 そして内省とは、時として己の心の傷を搔きむしる事になる。


「くそっ!」


 地に何度も叩きつけられた拳が、血に染まる。

 暇を持て余した彼の頭に繰り返し浮かぶのは、昼間の惨めな敗北と逃走だ。

 体は疲労困憊なのだが、頭は眠ることを許さない。もっと己を責めよ、と訴え続けていた。

 

 その時だった──


(ん、何だあれは……?)


 暗闇の中、彼は僅かな光を見つけた。

 目を凝らして見ると、月光とも星のきらめきとも違う、青白く儚げに漂っている炎だ。

 奥の部屋の端から姿を見せたそれは、やがて声を漏らす。


「無駄だ……」

「なっ、何?」

「悔いてももう遅い。そなたの使命は終わったのだ、頼周」


 炎が自分に語り掛けている。

 まさか自分は夢の中にいるのか。

 そう思った頼周は立ち上がってみるが、感じるのはずしりと圧し掛かってくる疲労感。目覚めの中だ。


 しかし眼前の炎は、何度瞬きしても消える事が無い。

 狼狽える頼周を前に、炎は淡々と語り続ける。


「申したはずだ。因果は常に車輪の如しと」

「何だ、それがどうしたのだ!」

「お前は神社で我らをあやめた。今度はお前が神社で滅ぶのだ」


 聞いた途端、たちまち頼周の顔は生気を取り戻す。

 炎の正体を突き止めた嬉しさ。

 そして突きつけられた死の宣告への恐怖。

 対極的な二つの感情を露わにしようと、彼の眼と口は大きく開き、汚い笑みを晒していた。


「はひゃひゃひゃひゃ! そうか、お主家門の魂だな! 未だに生を惜しみ、この世を彷徨ったままとは、哀れな奴め! よし、わしの一刀で成仏させてやる!」


 たちまち芋窯の中から頼周は飛び出す。

 そして感情任せに太刀を振り回し、炎を消し去ろうとするが、その筋は空虚を斬るばかり。

 それでも頼周は諦めの悪い男だ。更に振り回した挙句、ついに息切れを起こして跪いてしまう。


 その様を炎は嘲笑った。


「はっはははっ! 無駄だ無駄だ! 滅亡と再興を繰り返す、少弐の家などじきに潰えよう。その寿命を確実に縮めたのは頼周、他ならぬお前だ!」

「何だと……」

「遠い未来、お前は讃えられるだろう。亡国の佞臣としてな!」

「ほざくな! 御家は必ず蘇る! そしてわしは、救国の能臣と讃えられるのだ!」


「はっははははっ! 己の天命も悟れぬ愚か者め、わしが引導を下してやろう!」


 そう告げて炎は頼周に突進してくる。

 そして挑発するかの様に彼の周りを飛び回る。まるで五月の蠅だ。

 頼周はよろめきながら立ち上がり応戦するが、やはり捕える事ができないまま。


 すると突然、炎は物置から逃げだして行った。

 つられ、彼も夢中で後を追う。


 廊下を経て、庭、正門と過ぎ、さらに神社に隣接する小道へ。

 そこまで出た時、彼の脚は止まった。


 炎が忽然と姿を消したのだ。


 替わって眼前に飛び込んできたのは、複数の松明の灯り。

 照らしていたのは道端の地面だった。

 そこを見よ。

 そこで倒れている者の顔をしかと見よ、と言わんばかりに──

 

「ひっ……!」


 頼周は怖気交じりの小さな悲鳴を上げた。

 そこにあったのは、袈裟切りにされ骸と化した、匿ってくれた社人の姿だった。


 やがて松明は立ち上がると向かってくる。

 鎧の金具の音を擦らせながら。太刀や槍先を灯りで照らしながら。

 そして恐怖で脚が動かなくなった彼を取り囲むと、灯りの中から一人の武者が顔を見せ、平然と頼周に尋ねた。


「龍造寺家臣、野田家俊である。そなた馬場頼周だな?」

「ち、違う!」

「ならばしかと顔を見せよ!」

「違う! ひいいっ!」


 後ずさりから逃げ足へ。

 芋窯の中を目指し、頼周は再び社人の家に、無我夢中で駆け込んでゆく。


 もしかつての主、少弐資元がこの姿を見たら、どう思ったのだろうか。

 逃げ惑う彼の姿は、あの頃とは全くの別。

 己の功績に驕り、たがを外した結果、感情を制御出来なくなった小人でしかなかった。



 昼間の春の陽気を残した夜風が、神社周辺に吹いている。

 その中で響き渡る喧騒は、およそ情景とは似つかわしくないものだ。

 しかしそれも一時のこと。

 頼周のうめき声を最後に喧騒は収まると、何事も無かったかの様に、夜は穏やかさを取り戻していったのだった。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 



 翌日、一人の老人が首級と向き合っていた。


「…………」


 老人は言葉を紡ごうとしない。

 床几の上に座ったまま、じっと見つめるだけ。


 だがやがて彼は立ち上がると、首級を両手で優しく持つ。

 そして再び腰を掛けると、膝の上に首級を置き静かに囁いた。


「悔しいか頼周、わしじゃ。その様に顔を歪ませるでない」



 

 

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