第46話 決着の時
この回の主な勢力、登場人物 (初登場を除く)
龍造寺氏 …肥前佐嘉郡を中心に勢力を張る一大国衆。少弐氏に反旗を翻す
龍造寺
龍造寺
少弐氏 …東肥前の大名 大内氏に滅ぼされたものの、再興を果たす
少弐
少弐
馬場
馬場
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千葉城から落ち延びようとする、馬場親子とその家臣達。
彼らは裏道から下山すると、拠城である綾部城を目指し、共に馬を走らせる。
しかし、その動きは剛忠に読まれていた。
「これは……」
前方に見つけた軍勢とその旗を見て、政員は茫然としていた。
旗に記された家紋は、龍造寺の日足紋。
小城郡から佐嘉郡へ向かおうと、彼らは背振の山々の麓に沿って、東進していた。
だが、あらかじめ軍を二分していた剛忠により、道中の大願寺郷にて待ち伏せされてしまったのである。
「来たぞ! 討ち取って手柄といたせ!」
『応っ!』
これが初戦で士気高い水ケ江勢が、疲労困憊の馬場勢を飲み込んでゆく。
大願寺郷は緩やかな傾斜の平野部なので、身を隠す事が出来ず、少数の馬場勢は瞬く間に散り散りとなってしまった。
「父上、父上っ!」
乱戦の中、政員は懸命に頼周を探しながら戦う。
道のりはまだ長い。こんなところで父を見失ったり、落命させる訳にはいかない。
だが残念なことに、彼は天から見放されていた。
追撃を受けた先に出くわしたのは、佐賀平野を潤す本流、嘉瀬川(川上川)。
その激しい流れに彼の馬は脚を鈍らせると、水ヶ江家臣、野田家俊が放った一矢を、背に受けてしまったのだ。
「これ、走れ! 走らぬか!」
顔を紅潮させ政員は懸命に叱咤する。
だがそれに反して、青息吐息の馬は速度を緩め、やがて歩みを止めてしまった。
この場に至って何たることか!
苦虫を食いつぶした様な表情を浮かべたまま、政員は観念して下馬しようとする。
しかし──
「えっ……⁉」
急転直下。
彼の視界は一度空を仰ぐと、次の瞬間叩きつけられていた。
そして目の前に飛び込んできたのは、泥と水泡だらけの世界。
一体、己の身に何が起こったのか?
彼は認識出来ていなかった。自身が背後から家俊に引きずり落とされた事を。
──そして、自分の首に彼の短刀が刺さった事を。
「あ……がっ……」
「御首、頂戴仕る!」
首を失った胴体が、ゆっくりと川下へと下ってゆく。
馬場政員、享年二十九。
心情を察するに無念の極みだっただろう。運命のいたずらとは言え、抵抗らしい抵抗も出来ないまま、呆気なく最期を迎えるしかなかったのだから。
そして彼の死を目の当たりにした馬場勢は、蜘蛛の子を散らす様に逃げ出してゆく。
だが皆地理に疎く右往左往するばかり。それらを討つ事はもはや合戦ではなく、虐殺でしかなかった。
合戦が終わったのは夕暮れ時。
穏やかな春の夕暮れの川辺には、尽く討ち取られ骸と化した、馬場勢の人馬が散乱するのみだった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
北へ。
味方の惨状を知ることなく、離れ離れとなってしまった頼周は、ただ一騎で嘉瀬川の上流を目指していた。
彼には一人の
神社の道向かいにあった社人の家を、彼が訪ねたのは日が落ちてから。
不意の来訪は、勿論社人を戸惑わせたが、頼周は懸命に頼み込んで、匿ってもらう事になった。
そして彼は社人の案内で、家の奥にあった芋窯の穴の中に身を隠す。
そこでようやく一息つく事が出来たのだった。
(どこだ、どこで誤ったのだ。我が策、我が戦略……?)
暗闇の中、頼周はこれまでの経緯を振り返る。
頓挫してしまった千葉家との一体化。そして予期せぬ剛忠の逆襲。
少弐の威勢拡大のためには犠牲は付き物だと認識はしていたが、これ程の反発を喰らうとは。
己の詰めの甘さを内省する彼は、ただただ
そして内省とは、時として己の心の傷を搔きむしる事になる。
「くそっ!」
地に何度も叩きつけられた拳が、血に染まる。
暇を持て余した彼の頭に繰り返し浮かぶのは、昼間の惨めな敗北と逃走だ。
体は疲労困憊なのだが、頭は眠ることを許さない。もっと己を責めよ、と訴え続けていた。
その時だった──
(ん、何だあれは……?)
暗闇の中、彼は僅かな光を見つけた。
目を凝らして見ると、月光とも星のきらめきとも違う、青白く儚げに漂っている炎だ。
奥の部屋の端から姿を見せたそれは、やがて声を漏らす。
「無駄だ……」
「なっ、何?」
「悔いてももう遅い。そなたの使命は終わったのだ、頼周」
炎が自分に語り掛けている。
まさか自分は夢の中にいるのか。
そう思った頼周は立ち上がってみるが、感じるのはずしりと圧し掛かってくる疲労感。目覚めの中だ。
しかし眼前の炎は、何度瞬きしても消える事が無い。
狼狽える頼周を前に、炎は淡々と語り続ける。
「申したはずだ。因果は常に車輪の如しと」
「何だ、それがどうしたのだ!」
「お前は神社で我らを
聞いた途端、たちまち頼周の顔は生気を取り戻す。
炎の正体を突き止めた嬉しさ。
そして突きつけられた死の宣告への恐怖。
対極的な二つの感情を露わにしようと、彼の眼と口は大きく開き、汚い笑みを晒していた。
「はひゃひゃひゃひゃ! そうか、お主家門の魂だな! 未だに生を惜しみ、この世を彷徨ったままとは、哀れな奴め! よし、わしの一刀で成仏させてやる!」
たちまち芋窯の中から頼周は飛び出す。
そして感情任せに太刀を振り回し、炎を消し去ろうとするが、その筋は空虚を斬るばかり。
それでも頼周は諦めの悪い男だ。更に振り回した挙句、ついに息切れを起こして跪いてしまう。
その様を炎は嘲笑った。
「はっはははっ! 無駄だ無駄だ! 滅亡と再興を繰り返す、少弐の家などじきに潰えよう。その寿命を確実に縮めたのは頼周、他ならぬお前だ!」
「何だと……」
「遠い未来、お前は讃えられるだろう。亡国の佞臣としてな!」
「ほざくな! 御家は必ず蘇る! そしてわしは、救国の能臣と讃えられるのだ!」
「はっははははっ! 己の天命も悟れぬ愚か者め、わしが引導を下してやろう!」
そう告げて炎は頼周に突進してくる。
そして挑発するかの様に彼の周りを飛び回る。まるで五月の蠅だ。
頼周はよろめきながら立ち上がり応戦するが、やはり捕える事ができないまま。
すると突然、炎は物置から逃げだして行った。
つられ、彼も夢中で後を追う。
廊下を経て、庭、正門と過ぎ、さらに神社に隣接する小道へ。
そこまで出た時、彼の脚は止まった。
炎が忽然と姿を消したのだ。
替わって眼前に飛び込んできたのは、複数の松明の灯り。
照らしていたのは道端の地面だった。
そこを見よ。
そこで倒れている者の顔をしかと見よ、と言わんばかりに──
「ひっ……!」
頼周は怖気交じりの小さな悲鳴を上げた。
そこにあったのは、袈裟切りにされ骸と化した、匿ってくれた社人の姿だった。
やがて松明は立ち上がると向かってくる。
鎧の金具の音を擦らせながら。太刀や槍先を灯りで照らしながら。
そして恐怖で脚が動かなくなった彼を取り囲むと、灯りの中から一人の武者が顔を見せ、平然と頼周に尋ねた。
「龍造寺家臣、野田家俊である。そなた馬場頼周だな?」
「ち、違う!」
「ならばしかと顔を見せよ!」
「違う! ひいいっ!」
後ずさりから逃げ足へ。
芋窯の中を目指し、頼周は再び社人の家に、無我夢中で駆け込んでゆく。
もしかつての主、少弐資元がこの姿を見たら、どう思ったのだろうか。
逃げ惑う彼の姿は、あの頃とは全くの別。
己の功績に驕り、
昼間の春の陽気を残した夜風が、神社周辺に吹いている。
その中で響き渡る喧騒は、およそ情景とは似つかわしくないものだ。
しかしそれも一時のこと。
頼周のうめき声を最後に喧騒は収まると、何事も無かったかの様に、夜は穏やかさを取り戻していったのだった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
翌日、一人の老人が首級と向き合っていた。
「…………」
老人は言葉を紡ごうとしない。
床几の上に座ったまま、じっと見つめるだけ。
だがやがて彼は立ち上がると、首級を両手で優しく持つ。
そして再び腰を掛けると、膝の上に首級を置き静かに囁いた。
「悔しいか頼周、わしじゃ。その様に顔を歪ませるでない」
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