第39話 破滅の足音

この回の主な勢力、登場人物  (初登場を除く)


龍造寺氏 …肥前佐嘉郡を中心に勢力を張る一大国衆 少弐氏に従う

龍造寺剛忠こうちゅう …主人公 俗名家兼 龍造寺分家、水ヶ江みずがえ家の隠居 一族の重鎮

龍造寺家門いえかど …家兼次男 水ヶ江家当主 少弐家の執権

龍造寺家純いえずみ …家兼長男

龍造寺日勇にちゆう …俗名盛家 龍造寺分家、与賀よか家の当主


少弐氏 …東肥前の大名 大内氏に滅ぼされたものの、再興を果たす

少弐冬尚ふゆひさ …少弐家当主 


有馬氏 …西肥前に君臨する肥前最大の勢力

有馬晴純 …老練な有馬家当主



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 上松浦方面の討伐に向かった日勇は、別動隊を率い波多家の本拠、岸岳きしたけ城(鬼子嶽城)と、鶴田家の本拠、日在ひあり城の攻略へと向かう。


 そして日在城のあった大川野(大河野)に到着すると、その東、立ノ川(立川)に陣を敷いた。


 だが、彼の行動は敵に読まれていた。



「父上、敵襲にござる! 早くお立ち退き下され!」

 

 日勇の子、三郎四郎の警告が軍中に響き渡る。

 驚いた日勇と近臣が前線に向かってみると、そこかしこに鶴田勢の旗が翻っていた。

 城攻めを始めようとした矢先、地理を知り尽くしていた敵に、龍造寺勢はいつの間にか取り囲まれていたのだ。


「急ぎ守りを固めさせよ!」


 と、慌てて日勇は指示するものの、すでに時遅しだった。 

 松や柏の木陰から散々射かけられる矢。

 岩窟の狭間に隠れていた兵達からの急襲。

 鶴田勢の猛攻を受け、不意を突かれた龍造寺勢は、たちまち四方八方に敗走し始めた。


「慌てるな、我に続け! 活路は前ぞ!」


 日勇は叱咤するものの、混乱した兵達にその声は届かない。

 仕方なく自ら必死に槍を振るい、三郎四郎や従者達と共に前進し、包囲を突破しようと試みる。


 だがその足搔きを、鶴田勢は逃してはくれなかった。

 包囲を突破した先で日勇親子が見たものは、鶴田家臣、峰刑部率いる手勢三百。

 再び龍造寺勢は、包囲されてしまったのである。


 敵の狙いすました矢が親子の馬を襲う。

 射られ、たちまち落馬。

 そこへ視界に入ってくる敵兵たちの槍先。

 気力を振り絞り何とか立ち上がるが、逃げ場は無くなっていた。


(もはやこれまでか……)


 親子は周囲を見渡し悟った。

 ならば一人でも多くの敵を、地獄への道連れにせん──

 そう覚悟を決めると、咆哮と悲鳴が交じり合う修羅場へと斬り込んで行ったのだった。



 十一月二十二日、竜ノ川の戦いにて与賀家当主、龍造寺日勇入道と、その子信以、三郎四郎は討死を遂げた。


 日勇は肥前の名家、高木家からの養子である。

 剛忠の娘を娶って当主となった彼は、長きに渡って龍造寺の躍進に貢献し続け、その人生を終えたのだった。 



 しかし日勇は戦死したものの、獅子ケ城では彼が残した軍勢が、なお包囲を続けていた。

 翌天文十四年(1545)年一月七日、龍造寺勢はついに城の攻略に成功し、城主の鶴田すすむを城から追う。


 だが、それからわずか五日後。

 城山の険阻なところを渡って、夜襲を仕掛けてきた鶴田勢により、城は再び奪い返されてしまう。


 約二か月にわたった上松浦方面の戦は、こうして終わりを迎えた。

 龍造寺勢の奮戦空しく、結局この地方の勢力図は、元どおりとなってしまうのだっだ。



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 一方、前年十一月に佐嘉を発った、家純率いる龍造寺勢は、多久宗利が籠る多久梶峰城へ向かっていた。


 攻略にあたり、家純は兵を二分して進んでいた。

 一手は家純率る本隊で、小城から西進し多久の東に向かう。


 もう一手は、搦手として龍造寺胤明(胤久の子、村中家)らが率い、小城南部から西進し、一旦杵島きしま横辺田よこべたに向かった後、その西を回って北上。多久を南から狙った。


 対する多久勢は、多久領と龍造寺領の中間地点にまで出張し、家純本隊を迎撃しようと試みる。


 その様子を見て、一笑した者が龍造寺勢の中にいた。


「どけどけ! 雑魚に用はない! 骨のある者だけ掛かって参れ!」


 先陣を担っていた一族の勇将、周家だった。

 木原の戦いで小田勢を追撃して見せた武勇そのままに、彼は多久勢を難なく蹴散らしてゆく。


「続け! 勝ちに乗じるのだ! このまま城まで押し寄せる!」


 そう号令を下し追撃すると、周家はあっという間に城まで到達。

 遅れてやって来た父、家純の本隊と合流し包囲した。


 多久梶峰城は、付近の高山を周囲に控えた要害である。

 とは言え、この時の多久勢はあまりに無勢過ぎた。包囲された時点で、すでに勝敗は決したも同然だったのだ。

 

 年をまたいで一月十八日、多久梶峰城はついに陥落。

 城主の多久宗利は多久から落ち延びていった。



 だがこの方面でも悲劇が待ち受けていた。

 搦手で向かった、胤明らが率いる軍勢の壊滅である。



 横辺田を通りすぎた先でのこと。

 胤明達は突然進軍を止めた。

 彼らの眼前には、井本、前田など、有馬に味方する、現地の地侍集団が待ち構えていたのだ。


「来たぞ! 多久に行かせるな! 討ち取って手柄とするのじゃ!」


 地侍達の陣から鐘が鳴り響く。

 すると農民交じりの敵勢が、周囲の草むらから次々と姿を現し、龍造寺勢を包囲していた。


 農民交じりだと侮るなかれ、ここ横辺田は佐嘉、嬉野、武雄、伊万里などを結ぶ交通の要衝。裕福な地侍達が多い土地柄だった。

 経済力に物を言わせた彼らの軍勢にとって、少数の龍造寺勢との戦闘は厳しいものではなかったのだ。


 進路を塞がれた胤明達は、結局、翌年の一月まで約二か月に渡り、この地に足止めされてしまう。

 そして──


「見つけたぞ、敵将! この矢を受けよ!」

「がはっ……!」


 一月十四日、胤明は横辺田の西、志久峠にて討死を遂げる。

 この戦いで搦手の龍造寺勢は敗走し、多くの将兵が戦場の露と消えてしまうのだった。



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 各地で苦戦を強いられた龍造寺勢。

 時折雪がちらつく寒空の下、敗残兵が散り散りになりながらも、佐嘉へと帰還してくる。


 城に残っていた者達により、彼らは傷の手当を受けていた。

 そして口々に戦場での想いを吐露する。

 敵領内の戦については、皆危惧していたのだと。しかし難しさは想定以上だったと。

 

 そして危惧はまだ残ったままだ。

 長島方面では、有馬の本隊に対し、家門の軍勢が対峙を続けている。

 三方向の討伐のうち、この地方が最も激戦となるだろう。

 老練な晴純に、果たしてすんなりと勝てるのか。


 水ヶ江の者達の中で、日を追うごとに不安が募ってゆく。

 そして、一月十五日、不安は現実のものとなってしまうのだった。


「申し上げます! 藤津郡冬野原ふゆのばるにて、家門様の軍勢、有馬勢と決戦の末、敗北! 右京亮胤直様、御討死!」


 早馬の報せに剛忠は思わず天を仰いだ。

 止めるべきだった。

 出兵を疑った時に、何が何でも家門を止めるべきだったのだ。

 

 この敗北は地獄の入り口に過ぎない。

 家門達がいるのは藤津郡。ここから佐嘉に戻るには、二つ経路がある。

 一つは北上して武雄を目指し、そこから東進して、小城南部から佐嘉に至る経路。

 もう一つは南下して鹿島に向かい、そこから北東へ進み、小城南部、佐嘉へと至る経路。


 どちらを選ぶにしろ、有馬の勢力圏内を、数日かけて突っ切らないといけないのだ。

 

 有馬勢の追撃に加え、落ち武者狩りを狙う者達も行く手を阻むだろう。

 おそらく、佐嘉に戻ってこられる者の方が少数になる。

 何とか、何とか、まずは小城郡まで逃げよ──

 剛忠はすがる思いで御仏に手を合わせる。


 その思いが届いたのか、四日後、剛忠の元に届いた報せは吉報だった。


 「報告! 家門様の軍勢、小城郡に入られました!」


 聞いた途端、剛忠から安堵の息が漏れる。

 有馬の勢力圏内は越えた。道のりはまだ遠いものの、後は負傷兵に気を使いながら、ゆっくり帰城してくれればいい。


 だがそう思った直後、使者は耳を疑うような報せを続けた。


「しかし有馬勢なおも追撃中! しんがりの者達、討死多数につき、予断を許さぬ状況にござります!」


 晴純は血迷ったのだろうか?

 勝ち戦に乗じて小城郡に乱入しても、返り討ちに遭う事は、過去の経験で知っているはず。

 晴純のような軍略に通じた当主が、こんな分かりやすい過ちを犯す筈が無いのだが。


 それでも万が一、佐嘉に来た場合に備えなければならい。

 剛忠は、水ヶ江領内に残っていた者達に戦支度を命じ、城の守りを固めさせる。

 

 そしてその二日後──


「家門様、まもなく御帰還! しかし有馬勢も、なお追撃緩めず、ここへやって来るものと思われます!」



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 



 報せを聞いた剛忠は、すぐに城門を開けさせ、家門他、敗残の将兵を迎え入れる。

 だが目の前に現れた家門を見て、彼は言葉を失った。


 土埃で黒ずんだ顔は生気を失っている。

 そして膝から下は、落ち葉と泥にまみれていた。

 二か月前、意気揚々と数千の兵を率い出立していった、総大将とは思えない有様だったのだ。


「申し訳……ござらぬ、父上……」

「これ、しっかりせい!」


 そう懺悔しながら家門は、膝から崩れ落ち倒れてしまった。

 慌てて剛忠の近臣たちが介護に走る。

 無理もなかった。六日間に渡り、まともに眠る事が出来ないまま、敵の追撃から逃げてきたのだ。

 彼の体は満身創痍、とても口と目以外は、動かせそうな状態にはなかった。


 すぐに家門は鎧を脱がせてもらい、槍二本で組んだ簡易の担架乗せられて、城内へと運ばれてゆく。


 彼はその間、何も語ろうとはしない。いや、出来なかった。

 率先して臨んだ討伐で喫したのは、生涯における最も手痛い一敗。

 結果、自分を逃がすため、多くの者が散華することになった。心の傷は一生残るだろう。

 

 そして剛忠もただ見送るしかなかった。

 あの状態では、暫く当主として采配を振るうのは厳しいだろう。

 迫る有馬との戦いは、自分が采配を振るうしかないのだ。


 決意した剛忠は軍議を開くため、城に残っていた一族重臣たちを広間に集めよと、近臣たちに命じる。


 するとそこに再び早馬がやって来た。


(有馬め、もう来たか……)


 迎撃の体制は整えてある。

 佐嘉の地勢を活かした水ヶ江城の防衛の妙、たっぷりと味あわせてやる。

 そう、かつての陶道麒の様に。

 心中で剛忠は覚悟を決める。


 だが早馬の報せは、彼の予想とは全く違うものだった。


「報告! 西海道筋において、東肥前の国衆達の軍勢、多数発見! 皆続々と佐嘉に向かっておりまする!」

「何じゃと!」


 どういう事なのだ? 援軍を頼んだ覚えはない。

 だが集まった兵は、おそらく万を優に超えているだろう。

 しかも有馬と時を同じくして来るのならば、龍造寺三家の城の周囲は、数万の兵で埋め尽くされる事になる。それはつまり──


(この城を落とすにふさわしい数。まさか……)

  

 これは統制された動員だ。裏で指示を出した者がいる。

 疑いたくはない。

 目に浮かぶのは、四年前、再興に力を貸してくれと、懇願してきた姿。

 あの時、彼の姿に偽りは見えなかった。

 だが、こんな事を出来るのは彼だけ。

 東肥前において大きな権威を持つ、彼だけだ。



 翌日、一月二十二日、有馬勢と、十九もの東肥前の国衆からなる連合軍は、水ヶ江城を包囲した。その数約三万。


 圧巻の光景だった。

 城内の者達は唖然茫然、その場に立ち尽くすばかり。

 水ヶ江城は広大な敷地を持ち、城の周囲は平地と水堀だらけである。

 三万もの大軍を一望出来る環境にあったのだ。

  

 剛忠も近臣たちを連れ、様子を見に櫓へと向かう。

 見えてきたのは小田、江上、筑紫など、東肥前において有力な国衆達の旗。

 そしてかつて婚姻関係を結んだ、国衆や地侍達の旗もあった。


 だが、そんなことは剛忠は意にも介さない。

 彼は夢中で探した、一つの旗を。

 家紋である寄懸よりかかり目結めゆいの旗を。

 そして──


「やはりそうか。愚かなことを企ておって……」


 近臣の一人が見つけたその旗は、風に煽られ激しく翻っていた。

 剛忠はその旗をじっと睨みつけたまま呟く。

 寄懸の目結──少弐家の家紋。

 それが印された旗は、軍勢の最も奥にある高台に、まさに総大将かの如く飾られていた。 


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