第40話 水ヶ江城開城

この回の主な勢力、登場人物  (初登場を除く)


龍造寺氏 …肥前佐嘉郡を中心に勢力を張る一大国衆。少弐氏に従う

龍造寺剛忠こうちゅう …主人公 俗名家兼 龍造寺分家、水ヶ江みずがえ家の隠居 一族の重鎮

龍造寺家純いえずみ …家兼長男


少弐氏 …東肥前の大名 大内氏に滅ぼされたものの、再興を果たす

少弐冬尚ふゆひさ …少弐家当主 剛忠を嫌悪している

馬場頼周よりちか …少弐重臣 綾部城主 執権家門の補佐


有馬氏 …西肥前に君臨する肥前最大の勢力

有馬晴純 …老練な有馬家当主



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 寄懸よりかかり目結めゆい──少弐家の家紋。

 それが印された旗は、軍勢の最も奥にある高台に、まさに総大将かの如く飾られていた。 

 今回の謀略が、冬尚主導のもとで行われた事が、ついに明らかになったのである。


 剛忠はその旗をじっと睨みつけて呟く。


「やはりそうか。愚かなことを企ておって……」



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 謀略の始まり、それは前年の冬にさかのぼる。

 勢福寺城にいた冬尚は、頼周と龍造寺粛清の密談を交わしていた。


「かつて水ヶ江城を攻めた陶道麒は、戦後周囲にこう漏らしたそうでござります。水ヶ江城は、三万の兵で包囲した上で、一斉に攻撃せねば落ちぬと。そのため──」


 語る頼周は家臣に命じて、複数の起請文を冬尚に提出させる。

 

「三万以上の軍勢を集めるべく、東肥前の国衆達、及び有馬に対し、こうして密約を交わした次第。粛清の企て、間もなく決行致しまする。もはや後戻りは出来ぬこと、御館様も覚悟下さりませ」


「分かっておる。龍造寺に対し、有馬領内三方に向け派兵させ、敗れた後に三家の城を取り囲む。特に水ヶ江一族を粛清し、我らの威光を取り戻す。思いはそなたと同じだ。ただな……」


 俯いて語っていた冬尚は顔を上げる。

 そして机の上にあった一通の書状を見せた。かつて頼周が記した謀略の詳細だった。


「いささか心配な点がある。この書状の通りにしてしくじった場合、水ヶ江の連中は、我らの包囲から逃げ出してしまうのではないか?」


「仰せごもっともにござります。されど心配は御無用。それがし、対策としてとある御仁と、よしみを通じた次第」

「とある御仁?」


「今日、ぜひ御館様に会って頂きたく、その者を連れて参りました」

「それは構わぬが、何奴だ?」


 冬尚の許しを得て、頼周が中に招き入れる。

 そして入って来た者を見て、冬尚は感嘆の声を上げた。


 人一倍大きな体躯に、直垂の下からでも分かる分厚い胸板と腕周り。

 力強い目と立派な顎髭を蓄え、威厳充分の顔つきをしている。


 まさに英雄の相。

 呆気に取られている冬尚を前にして、彼は深々と頭を下げて名乗るのだった。


「御目どおり叶い恐悦至極。それがし、山内を束ねる盟主、神代勝利にござる」




 時は戻って天文十四年(1545)、一月二十二日。

 

 冬ならではの分厚い雲が空を覆う中、頼周の姿は水ヶ江城を包囲した軍勢の中にあった。


 彼の口元は緩みっ放しだ。

 粛清の計画が、ほぼ目論見通りに進行していて、達成まであと僅かとなっていためである。


 だが彼には、今から大きな仕事が待ち構えていた。

 なので口元が緩んだままでは許されない。

 まずは深呼吸して平静を保つ。そして深刻そうな表情を作ると、彼は城門へ近づいて行き大声で叫んだ。


「開門! 開門! 馬場頼周である! 御館様よりの使者として参った! 御老公に御目通り願いたい!」



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 やがて頼周は入城を許され、本館の広間へと案内された。


 馬場頼周は、この包囲を企んだ者達の一人である。

 そう思い込んで、やけくそで斬りかかって来る者がいるかもしれない。

 警戒心を抱きながら、彼はゆっくりと広間に向かう。


 すると広間の外で侍っていた近習が、襖を開け頼周に声を掛けた。


「どうぞ、上の方へお座り下さりませ」

「上座?」


 頼周が中をのぞくと、下座にはすでに剛忠が控えていた。

 冬尚の使者として来たのだから、確かに上座に腰を下ろすのは、おかしなことではない。

 しかし長年、少弐家中の重鎮だった剛忠より、立場を上とすることに慣れておらず、頼周の心中には恐縮の思いが芽生えるのだった。


 彼は剛忠に挨拶して着座すると、冬尚から自分に届いたという、書状をまず読み上げる。


「複数の者からの通告により、龍造寺が大内と通じ、当家に対し逆心を抱いていることが明らかになった。これは肥前の秩序を乱すものであり、断じて見逃す事は出来ぬ。よって頼周に命じる。軍勢を佐嘉に派遣し、他の国衆と共に龍造寺を討伐すべし」


 読み上げながら、頼周は時折剛忠の様子に目を向ける。

 色落ちして、くすんだ直垂を身にまとった彼は、頭を垂れてまま神妙に聞いていた。

 

(随分と老けたものだな……)


 率直に頼周はそう思った。

 剛忠とは実に十一年ぶりの再会となる。しかし今年九十二歳になる彼は、以前とは違い、背中が大きく曲がり、かつての気丈さが感じられなかったのだ。


「御老公、御館様はこの様にお怒りでござる。何か申し開きされることはござらぬか?」

「逆心など……」

「うむ? 何と申された?」

「逆心など、毛頭ござりませぬ」


 剛忠の弁明は、頼周がかろうじて聞こえる程、弱々しいものだった。

 頼周は思わず下座へと降りてくる。


「我らは、先代資元様の頃から度々重用して頂き、ついに家門めが執権という大役を仰せつかり申した。おそらくはそれに嫉妬した者達の讒言。身から出たさびとは申せ、それがしも家門も、逆心は毛頭ござりませぬ……」


「うむ。この頼周も長年御家に対して、貴家が忠義を尽くして来られたこと、よく存じておりまする。されど今、御館様のお怒りを鎮めるのは至難というもの。そこで、どうでござろう、ここは一つ謝意を形に表してみられては?」


「形にとな?」

「左様。水ヶ江城を明け渡し、一族重臣たちと共に勢福寺城へ謝罪にお越しいただけるのなら、御館様も御赦免なさる事でござろう」


 正に妙案と言わんばかりに、剛忠の顔が明るくなってゆく。


「真か? それで我々の疑いは晴れるのか?」

「勿論でござる。その際はそれがしも同席の上、口添え致しましょうぞ」

「おお……」


 剛忠から感嘆の声が漏れる。

 手応えがあった。剛忠は自分の提案に乗り気だ。

 そう思った頼周のもとへ、剛忠は手元に置いていた杖を使って、よろよろと立ち上がると近づいてゆく。


 そして頼周の目の前に腰を下ろし、彼の手を握るのだった。


「頼周殿」

「は、はい」

「御館様の懐刀と言うべきそなたが、口添えしてくれるとは、これほど頼もしい事があろうか。わしの孫娘をそなたの子、政員殿に嫁がせて本当に良かった。これからも当家との誼、末永くお願いいたしまするぞ」


 頭を下げ懇願する剛忠の目に、薄っすら光るものが浮かぶ。

 それを見た頼周は、使者の務めを果たした安堵感から、偽りの笑みを浮かべて何度か頷くのだった。


 開城についての詳細は、この後の評定が終わり次第、追って連絡する。

 そう剛忠から約束をもらい、頼周は満足気に広間を去っていく。

 


 対して彼の後ろ姿を、剛忠はしばらく平伏したまま見送っていた。

 そこに家純がやって来る。


「父上、もう頭を上げても大丈夫でござる。頼周はすでに館を後に致しましたぞ」

「そうか」


 すると途端に剛忠は背筋を伸ばし始めた。

 そして杖を握り、すっと立ち上がると、広間の外でかしこまっていた、近習の所までスタスタと近づき、杖を手渡して命じた。


「着替えを用意しておけ。下らぬ芝居はここまでじゃ」

「はっ」

「それと家純、評定じゃ。わしは足掻くぞ。最後まで足掻き抜いてやる」



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「ええっ、すでに開城の約束をしてしまったと⁉」


 評定が始まった直後、剛忠が頼周との会談の内容を説明すると、家純が驚きの声を上げた。

 彼だけではない。その場にいた重臣数人も唖然とするばかりだった。


「父上、これは冬尚と頼周の罠にござる。開城の後、いずれ我らを各所に分散して押し込め、誅殺せんと企んでいるに相違ござりませぬ」

「うむ、奴の顔にもそう書いてあった。だが城に籠って戦えば我らは皆殺しじゃ。開城だけは避けられぬ」


 剛忠は家臣に命じて、皆の中心にて地図を広げさせた。


「我らが足掻くのは、開城してからになる。再興を託せる者を一人でも多く残せる様、わしが策を考えておいたゆえ、それをこれから説明する」

「お、恐れながら──」

「うん?」


 剛忠が話そうとした矢先、口を挟んできたのは重臣の一人、福地家盈いえみちだった。


「本当に御館様と頼周は、我らを滅ぼすつもりでござりましょうか? それがし、謝罪さえすれば領地削減、それが駄目でも、せめて助命はしてもらえるのではないかと思っておりまする」

「のう家盈」

「はっ」


「そなた、頼周の立場になって考えてみるがよい。今回、有馬と手を組むにあたり、何を見返りとして約束する?」

「それは、奪った我らの領地を分け与える、と約束するでしょう」


「そうじゃ。しかし小城や佐嘉の地を分け与えると、勢福寺城の傍にまで、有馬の勢力が迫ってしまう。有馬と手を組むなど下策なのじゃ。だが奴らはそれを選択した。どんな手を使ってでも、我らを滅ぼしたいのだ。とても半端な憎しみでは出来まい」


 家盈は頷くと、それ以上何も言えなかった。

 一族皆殺しの危機が間近に迫っていることを、皆改めて思い知らされ、広間には悲壮感が漂う。


 その中で、剛忠は再び作戦を説明し始めた。


「まず、手勢を二手に分ける。一つは……」



 そして評定を終えると、今度は水ヶ江一族の武将達を広間に迎え入れた。

 家純の子、周家、純家、頼純と、家門の子、家泰いえひろ、孫九郎達である。


「周家、頼純、家泰」

『ははっ』


 剛忠がそれぞれの名を口にすると、三人は頭を下げる。

 皆、剛忠が成長を見守ってきた、水ヶ江の次代を担う孫達。

 

 その三人を前にして、剛忠は静かに宣告した。


「悪いが、そなた達には死んでもらうぞ」


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