第38話 西肥前出兵

この回の主な勢力、登場人物  (初登場を除く)


龍造寺氏 …肥前佐嘉郡を中心に勢力を張る一大国衆。少弐氏に従う

龍造寺剛忠こうちゅう …主人公 俗名家兼 龍造寺分家、水ヶ江みずがえ家の隠居 一族の重鎮

龍造寺家門いえかど …家兼次男 水ヶ江家当主 少弐家の執権

龍造寺家純いえずみ …家兼長男

龍造寺日勇 …俗名盛家 龍造寺分家、与賀よか家の当主

龍造寺孫九郎 …家門次男


少弐氏 …東肥前の大名 大内氏に滅ぼされたものの、再興を果たす

少弐冬尚ふゆひさ …少弐家当主 


西千葉家 …肥前東部の小城おぎ郡に勢力を持つ 東千葉家と敵対していた

千葉胤勝たねかつ …西千葉家当主

千葉胤連たねつら …胤勝嫡男


東千葉家 …肥前小城郡に勢力を持つ千葉家の傍流 



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「おい、どうやら有馬が逃げてったらしいぞ!」

「本当か⁉ あのおっかねえお侍たちが、逃げてったのか⁉」

「何でも東と西の千葉の家を、龍造寺の殿様が仲直りさせたらしい。それを見て兵を退いたんだってよ」

「たまげたのう。頭のいい殿さんが、世の中にはいるもんだ」



 少弐、龍造寺、千葉の三家の和平によりもたらされた有馬勢の撤退。

 街中では、その立役者となった、家門の手腕を褒めたたえる声で溢れていた。

 中でも小城郡の者達は一入ひとしおだっただろう。

 長年犬猿の仲だった、東西千葉家が手を携えたのは、ほぼ半世紀ぶりの事だったのだ。


 以後暫くの間、小城、佐嘉、神埼の各郡は、平和な時を迎える。

 それに貢献した者の中に彦法師丸がいた。  

 胤勝死後、当主となっていた胤連は、龍造寺側から西千葉家へ養子入りした、彼の事を溺愛していたのだ。


 彦法師丸──後の鍋島直茂は、やがて隆信に仕えて武功を重ね、家の舵取りを任されるほどの人物となる。


 その器量は、おそらくこの時に培われたのだろう。

 小城は九州の小京都と称えられ、多くの名刹が存在した、文化水準の高い地域であった。そのため次期当主として、一流の教育を受けられる環境が整っていたのだ。

 


 ところがこの平和から、蚊帳の外に置かれた家が一つだけあった……



「きゃあああ! 誰か、誰かぁ‼」



 早朝、居間の中を覗いた侍女の悲鳴が、城館内に響き渡る。

 朝食を持参していた彼女は驚き、手を滑らせ膳をぶちまけると、何度も助けを呼びながら逃げていった。


 彼女が中で見たものは、この城の主の変わり果てた姿だったのだ。


 首には執拗に己の短刀で斬り付けた跡。

 もたれかかっていた床几には、おびただしい鮮血。

 そして苦しみ抜いた果ての目は、今にも飛び出しそうな有様だった。


 天文十一年(1542)、三月二十九日、東千葉家当主の喜胤は、苦しめられた己の悪瘡あくそう(たちの悪い腫れ物)に、耐えられなくなり自殺を遂げた。享年三十四。

 西千葉との和平は果たしたものの、それ以外にこれと言った功績を遺せないまま、彼の治政はわずか二年という短命で終わった。


 直後に当主に就任したのは、少弐冬尚の弟で、喜胤の養子となっていた胤頼だった。同時に彼は喜胤の娘を娶っている。

 冬尚は報せを聞きほくそ笑んだだろう。彼の思惑通り、こうして東西千葉家は共に少弐一族の家となったのだった。



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 そして二年の年月が過ぎ、迎えた天文十三年(1544)の冬。

 平和を謳歌していた水ヶ江家では、木枯らしが吹く中、庭で数匹の犬と戯れる剛忠と孫九郎の姿があった。


 孫九郎という通称は、かつて剛忠が名乗っていたものと同じである。

 家純、家門の息子二人はともかく、剛忠にとってこの孫は、他の一族の者よりずっと身近で親しい存在だったのだろう。



「ほれ、この棒を投げたら、取って戻ってくるのだ。出来ねば飯抜きだぞ!」


 そう言って孫九郎は、握っていた木の枝を数匹の犬にしっかり見せると、城内の庭の茂みに向かって投げ入れる。

 犬達は肌寒さを物ともしない様子で吠えながら、元気にその放物線を追っていった。



 余談だが、水ヶ江家では犬を飼っていた記録が残っている。

 犬は権威の象徴とされ、戦国武将にも愛された存在だった。

 中には軍用として育成され、戦時においては竹筒に書状を入れて運ばせる、伝令の役割も果たした犬もいたという。

 

 もしかしたら、剛忠も戦場で犬を役立たせていたかもしれない。

 しかし目の前の犬達は愛玩動物だった。

 枝をきちんと持ち帰って来た一匹に、孫九郎は褒めて頭を撫でてやっている。



 そんな他愛のない触れ合いの中、外出していた家門が厳しい顔つきで戻って来た。


「おお、戻ったか」

「父上、御帰りなされませ」


 剛忠、続いて孫九郎の挨拶に家門は気付くと、廊下に片膝付いてかしこまった。


「ただいま勢福寺城から戻りました。父上、御館様より大事な主命を授かったゆえ、今から書斎にて話しても宜しゅうござるか?」

「そうか。ならば参るとするか」


 頷いた剛忠は、転ばない様ゆっくり立ち上がると、廊下に向かってゆく。

 しかし彼のそばでは、興味津々に輝く二つの眼があった。


「父上、父上、御家の一大事ならば、孫九郎もその話聞かせて下さりませ!」

「悪いが本当に一大事なのだ。そなたは犬に遊んでもらえ」


「遊んでもらえ……? 誤った言葉使いをしてはなりませぬぞ、父上。犬に遊んでもらえ、ではなく犬と遊んでおれが正しい……ってどちらにしろ酷うござる!」


 憤慨する孫九郎だったが、家門は謝ることなく書斎に去ってゆく。

 相手している暇すら惜しい。そんな父の態度をみて、孫九郎はしばらく口を尖らすし続けるのだった。



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「有馬が再び兵を挙げた?」

「左様。しかも同調して、他にも反逆者達たちが現れたとのこと」


 家門は神妙な顔で西肥前の戦況を語る。それは以下の様なものだった。


 有馬家当主晴純は少弐に対し挙兵すると、軍勢を杵島きしま郡長島へと進出させ、小城郡南部に迫った。


 また同時に、少弐が大内に滅ぼされた後、有馬に従っていた多久宗利が、多久梶峰城に籠り挙兵。


 そして松浦まつら党(松浦地方の豪族連合)の波多、鶴田、馬渡もうたいらが、多久の西にある日鼓ひつづみ城に籠り兵を挙げたのだった。



「して御館様は何と?」

「それが龍造寺三家の力をもって、三方の敵を討伐してほしいと」

「同時に派兵しろと言ったのか⁉」


 剛忠は思わず唸って腕組みをする。

 有馬本隊はともかく、多久や波多・鶴田らの軍勢はそれぞれ数百程度。龍造寺勢を分散しても何とかなるだろう。


 しかし戦場となるのは、地理に疎い敵領内。

 しかも出兵を命じられたのは龍造寺のみで、小城郡や佐嘉郡の他の国衆達には沙汰無し。これはどういう事なのか?


 不審点が残り、このまま快く了承することは出来ない。

 家の軍政を預かる剛忠は疑うが、家門の意見は異なった。


「父上、この度の出兵、是非引き受けさせて下さりませ」

「しかし討伐したいのは分かるが、敵領内にわざわざ兵を送る必要は無いであろう」


「確かに名目は反逆者の討伐でござるが、それがしはこれを龍造寺の勢力拡大のための戦としたいのでござる」



 この時、龍造寺の領地は佐嘉郡、そして小城郡にもあった。

 領地の東、神埼郡には少弐傘下の国衆達が多く、この方面には領地を広げられない。


 しかし西側の杵島郡、藤津郡、松浦郡などは、有馬に従う国衆がほとんど。

 今後有馬と衝突する事が多くなるのなら、こうした弱小国衆の多い所は勢力下としておくのが得策だろう。


 そして龍造寺単独の出兵とは、見方を変えれば、手柄を独り占めできるという事だ。

 上手く松浦党の波多、鶴田らを屈服させられれば、龍造寺の勢力範囲は唐津、伊万里方面にまで達する。日本海と有明海、二つの海は結ばれ、交通、通商の便は格段に良くなるだろう。


 それに万が一に三方全てで敗れたとしても、有馬の目は小城郡、東西千葉家に向いている。すぐに佐嘉に攻めて来ることはないはずだ。


 こうした家門の状況分析と熱意を込めた説得は、ついに剛忠を動かした。


「分かった。そなたの提案に乗るとしよう」



 後日、剛忠は各方面に進発する部隊ついて、与賀、村中両家と協議した上、三家の均衡を重視して編成。

 そして十一月二十一日、龍造寺勢は各々同時に佐嘉を進発していったのだった。


 ※編成の詳細は以下の通り

 

〇上松浦方面(対波多、鶴田、馬渡他)

 日勇入道(俗名盛家、与賀家当主)、家重(日勇嫡子、与賀家)

 三郎四郎(日勇三男、与賀家)、家直(家和の孫、村中家)


〇多久方面

 胤門(家和四男、村中家)、新左衛門胤直(胤門四男、村中家)

 胤明(胤久次男、村中家)、家純(水ヶ江家)、周家(家純嫡男、水ヶ江家)


〇長島方面

 家門(水ヶ江家)、頼純(家純四男、水ヶ江家)、右京亮胤直(胤家子、与賀家)

 常家(胤直長男、与賀家)、家宗(胤直次男、与賀家)



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 



 まず上松浦方面に向かった龍造寺日勇率いる軍勢は、馳せ参じてきた現地の者を軍に加えて道案内とすると、鶴田氏の城、獅子ケ城に迫った。


 獅子ケ城は、松浦地方に侵攻する際の最前線の城である。

 ただ古城だったため、龍造寺の侵攻を知った松浦党の一族はこれを憂い、一族の勇将、鶴田すすむを城主として守りを固めていた。


 そしてこの城は屈指の要害だった。

 標高228メートルの白山に築かれた城の周囲は、非常に高い青岩が峰を遮り、生い茂った草木により谷は閉ざされている。攻め口が一つしかなかったのだ。


 日勇は城を包囲したものの、遠方から様子を見て頭を抱える。


(これは、今の我らではどうにもならんのではないか?)


 初戦なのだ。一つの攻め口に押し寄せ、大きな損害を出す訳にはいかない。

 そう判断した日勇は軍を二つに分けた。


 一手は城の包囲を続行。

 そして自らは別動隊を率い、波多家の本拠、岸岳きしたけ城(鬼子嶽城)と、鶴田家の本拠、日在ひあり城の攻略へと向かったのだ。



 しかしこの判断が、日勇の命取りとなった。



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