第37話 和平が生む亀裂

この回の主な勢力、登場人物  (初登場を除く)


龍造寺氏 …肥前佐嘉郡を中心に勢力を張る一大国衆。少弐氏に従う

龍造寺剛忠こうちゅう …主人公 俗名家兼 龍造寺分家、水ヶ江みずがえ家の隠居 一族の重鎮

龍造寺家門いえかど …剛忠次男 水ヶ江家当主 少弐家の執権

龍造寺胤久たねひさ …剛忠の甥(兄家和の子) 龍造寺惣領にして本家、村中家の当主

龍造寺家純いえずみ …剛忠長男


少弐氏 …東肥前の大名 大内氏に滅ぼされたものの、再興を果たす

少弐冬尚ふゆひさ …少弐家当主 剛忠を嫌悪している

馬場頼周よりちか …少弐重臣 綾部城主 執権家門の補佐

江上元種もとたね …少弐傘下の国衆 執権家門の補佐


大内氏 …本拠は山口 中国、北九州地方に勢力を張る西国屈指の大名 


西千葉家 …肥前東部の小城おぎ郡に勢力を持つ 東千葉家と対立中 少弐に従う

東千葉家 …小城郡に勢力を持つ千葉家の傍流 西千葉家と対立中 大内に従う



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 西肥前の巨大勢力、有馬が小城に攻めてくる──


 届けられた悲報は東肥前の者達、特に小城の東西千葉氏を震撼させた。

 有馬は軍勢を東進させ境目を越えると、千葉領の杵島きしま横辺田よこべたに進出。

 ここに陣を置き、放火や乱暴狼藉を働き始めたのだった。



 ほぼ半世紀前、有馬は取るに足らない存在だった。

 おそらく地下の少弐政資(冬尚の祖父)に有馬の印象を尋ねたら、「有馬? 手足としてこき使ってやった、島原の田舎者ではないか」と答えただろう。もしかしたら忘れてしまっているかもしれない。


 しかし周囲に立ちはだかる強大な敵が少なかったこともあり、貴純、純鑑、晴純と代を重ねるごとに領土は急拡大。

 この時、肥前十一郡のうち五郡に領地を持ち、動員できる兵力は二万に達していた。勿論少弐、千葉、龍造寺を上回り、肥前において最大規模である。


 幕臣大舘おおだち常興じょうこうは、晴純が上洛し、将軍義晴から「晴」の字を頂いた際、彼が肥前守護職を得ていたと日記にしたためている。

 ただ晴純は守護職の権限を使った形跡がない。なので真偽は疑わしいものの、そう認識されてもおかしくはない程、彼の威勢が轟いていたのは間違いないだろう。



 対して迎撃態勢を整えなければならない千葉、龍造寺においては、家中の結束に揺らぎが生じていた。

 

 天文八年(1539)八月に村中龍造寺家の当主、胤久が死去。

 替わって当主となったのは嫡男胤栄たねみつだった。当時十五歳だった彼に、剛忠は家門の娘を嫁がせ、血縁の強化を図っている。


 翌天文九年(1540)には、長年に渡り大内に従い続け、肥前守護代として威勢を振るった、東千葉家当主の興常が死去。

 その跡は嫡男喜胤が継いだ。しかし彼は悪瘡あくそう(たちの悪い腫れ物)に苦しめられており、当主として満足に働ける状態にはなかったという。


 そして西千葉家においては、当主胤勝と嫡男胤連との間が不仲であった。


 この様に、それぞれの家が不安定な状況にあった。

 そして彼らをまとめるはずの少弐家は、再興したばかりで力がない。

 有馬はこの状況を好機と睨んだのだった。

 

 

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 勢福寺城の広間では緊急で会議が開かれた。

 集まった者は、当主冬尚、執権家門、補佐の頼周、元種の四人。

 彼らは広げられた絵地図を囲みながら、頼周の戦況報告を聞いていた。



 有馬の小城侵攻は今回が初めてではない。過去に何度か行われていた。

 直近では天文三年(1534)に小城郡の西端、多久梶峰城へと侵攻。ちょうど水ヶ江城に陶道麒が攻め寄せてきた頃にあたる。

 この時は防衛に当たっていた城主の多久氏や、与賀龍造寺勢の活躍で撃退されている。


 そこで今回、有馬は多久を避けた。

 横辺田から東進して小城南部に入り、そこから北上して西千葉家の本拠晴気はるけ城や、東千葉家の本拠平井館を窺おうとしていたのだ。



 頼周は戦局の説明を終えると、冬尚に向き合い進言する。

 

「御館様、速やかに西千葉と協議の上、援軍を出さねばなりませぬ」

「しかし出したとして防ぎきれるのか? 西千葉の場合、東千葉にも備えねばならんのだぞ?」

「左様。そこでまず御館様の仲介のもと、東西千葉家の和睦を図るべきかと考えまする」


 東西千葉家の和睦──頼周の申し出は、確かに現状における最良の策だろう。

 そう冬尚は認めていたものの頷けなかった。

 おそらくこれでも勝ち目は薄い。あとは戦場での奮起を期待するしかないのだ。


 もっと良策は無いものかと、彼は思案しようとしてなお押し黙る。

 しかし頼周にとってそれは無用に思えた。


「御館様、千葉家が滅ぼされれば、有馬の矛先はおそらく佐嘉郡、そしてこの勢福寺城に向けられましょう。一刻の猶予もございませぬ」

「うむ、しかしだな……」

「千葉家の窮地は我らの窮地にござる。御決断を!」


 軽く頭を下げた頼周が冬尚を直視する。

 その視線を避けようと、冬尚は苦し紛れに元種に尋ねてみたものの、彼の返答も頼周の提案に同意するだけだった。


 思わず頼周の顔から笑みが零れる。

 あと一押しすれば承諾してもらえるだろう。

 そう察して彼が口を開こうとした途端、広間に高笑いが響き渡った。


「ふふっ、ははははっ! 窮地? とんでもない、これは千載一遇の好機にござる」

「何……」


 驚いた頼周が咄嗟に顔を上げ横を向く。その声は向かいに座っていた家門から聞こえたものだった。

 わしの提案を小馬鹿にしているのか── 憤った頼周の眉間の皺がたちまち増えてゆく。


 しかし家門は彼の様子など意に介する事なく、持論を語り出した。



「そもそもこの戦に勝つには、御館様に龍造寺、そして東西千葉家の三つの結束が不可欠。その様子を見ないと有馬は撤兵することはござらぬ」


 しかし結束となれば和睦ではぬるい。

 そこで家門の提案は養子縁組だった。東千葉の喜胤には嫡男がいないので、ここに少弐一族の者を養子として送り込もうというのだ。


 喜胤は持病を抱えていて、いつ亡くなるか分からない。

 後継者に頭を悩ます東千葉にとって、これはまたと無い良縁となるだろう。


 そして少弐にとっては、大内方だった東千葉が傘下に加わることになる。

 さらにもし喜胤が死んだ場合、次期当主は少弐の一族となり、家を乗っ取れるのだ。


 正に妙案だった。

 家門の説明を聞き終え、冬尚と元種から思わず感嘆の声が上がる。

 対して面白くないのが頼周。己の提案を潰され彼は黙るしかなかった。


 ところが「ならばすぐにでも──」と、使者を遣わそうとする冬尚を遮り、家門はなおも続けようとする。



「お待ち下され。それだけでは当家と千葉家の結束が図れておりませぬ。こちらでも養子縁組をお許し下さりませ。西千葉家の嫡男、胤連の養子に、当家一族の者を送り込ませていただきたい」

「え……?」


 さっきまで喜びに沸いた広間は一変した。

 冬尚も元種も唖然としている。

 一方、家門は能面の様に表情を固めたままでいた。


 この時の西千葉当主胤勝は、少弐庶流横岳家からの養子である。つまり西千葉家は少弐一族の家なのだ。

 その嫡男の養子に一族の者を送りたいとは、西千葉を乗っ取る腹積もりがあると宣言したに等しい。


 家門の言う千載一遇の好機とは、少弐だけではなく龍造寺にとっても好機だったのだ。 


 この様な申し出、断じて認める訳にはいかぬ──

 忠臣頼周と言う名の火山はたちまち噴火した。



「これは穏やかならず! いずれ西千葉を掌握しようとするその魂胆、見抜けないとでも思ったか!」


「他に手が無いのだ。やむを得ぬではないか。不満ならば頼周、そなた対案を申してみよ」


「ほざくでないわ! 血縁を結ぶのなら、龍造寺一族の姫と胤連の婚姻でもいい。西千葉の一族を龍造寺に迎える手もある。養子に拘る必要は無いではないか!」


「あいにく当家の姫には彼と釣り合う者がおらぬ。それにそもそも西千葉には男子がおらぬのだ。養子の話はあの家にとっても好都合であろう」


 家門の挑発的な物言いに、頼周が血相を変えて睨みつける。

 しかし龍造寺の内情に疎い頼周は、これ以上の詰問ができず、歯ぎしりするしかなかった。


「御館様、承諾してはなりませぬ! これは御家の威勢を削ぎ、家中の均衡を著しく乱すものにござる!」


 出来たのは、もはや冬尚に懇願することだけ。

 その目は飛び出しかねない程見開いていて、鼻息を荒くしている。


 しかし板挟みとなった冬尚に、即答出来る訳がなかった。

 彼は懇願する頼周から、再び目を逸らし俯いてしまう。


 その様子は、眺めていた家門を激しく苛立たせた。


「よく分かり申した! 御家の一大事に、それがしの意見をお聞き届けいただけぬとあらば、この時を以て執権の職は辞させていただきたい! それでも良いのですな、御館様!」

「そ、それはならぬ!」


「ならばはっきりとした御承諾を賜りたい!」

「…………」

「さあ、御返答は如何に!」


 まるで恫喝の様な家門の問いかけ。

 追い詰められた冬尚は、「相分かった」と口にするしかなかった。

 その声は、主としての威厳を大いに損ねてしまったため、まるで重病患者の様なか細いものになってしまっていた。

 

 

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 



 冬尚の承諾を得て満足した家門は、その足で小城の東西千葉家の元へ交渉に向かった。

 そして両家から、提案に対し了承を取り付けたのだった。


 すなわち東千葉家においては、冬尚の弟で当時九歳の新介を、胤頼と名乗らせた上で、当主喜胤の養子として迎える。


 また西千葉家においては、家純の孫で、鍋島清房(妻が家純の娘、華渓)の次男、当時四歳の彦法師丸(後の鍋島直茂)を、胤連の養子として迎える事に決まった。


 家門の巧みな外交は功を奏し、ここに少弐、龍造寺、東西千葉家の和平が実現したのだった。


 そして三家の和平を知った有馬晴純は、横辺田から撤兵を開始。

 肥前に再び平穏が戻ることとなったのである。



 だが和平の裏で頼周と龍造寺との間には、かつてない程大きな亀裂が生じてしまっていた。


 小城に向かう際、勢福寺城の正門から家門は退去しようとする。

 城館にいた頼周は、その後ろ姿を鬼の形相で睨みつけるのだった。



(潰さねばならぬ、絶対に潰さねばならぬ! どんな卑怯な手を使ってでも、龍造寺はこのわしの手で、必ず!)




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