街路樹

 冬の深夜。

 会社が借りている立体駐車場の屋上から、柵越しに地面をながめた。

 十メートルはあるだろうか。


 時間が時間なので、動いているものは、淡い街灯に照らされている、街路樹ぐらいであった。

 葉の少ない枝が、風に合わせて揺れていた。


 背広から携帯電話を取り出し、しばらく見つめた。

 思えば、この向こう側にいる人たちに、支配されたままの人生であった。

 腕を高く上げ、携帯電話をコンクリートへ叩きつけると、ガンという鈍い音がした。

 財布より何よりも、いちばん無くしてはいけない、大事にしなければならないものだったが、もはや不要であった。


 足元に散乱していた空き缶を足でしりぞけ、空いた場所に脱いだ革靴を置いた。

 それから、柵の上に残していた最後の一缶を、一気に飲み干した。

 アルコールの度数が高いだけで、うまくとも何ともない酒を。


 このようなものを、ゆいいつの楽しみに生きて来たかと思うと、いまさらながら悲しくなった。

 自己責任ということになるのだろうし、実際にそうなのだろうが、やはり、どこか受け入れられない自分がいた。


 それは、いままで散々考えてきたことであり、いまさら考えても仕方のないことであった。


 あまり時間をかけていると、人が来るかもしれなかった。

 柵にのぼり、再度、地面を見た。

 先ほどよりも近くに見えるのは、なぜだろうか。


 酒のおかげで、ためらうことなく、飛び降りられた。

 これで、会社とも家族ともさようならだ。


 数瞬、殴られているような風圧を感じたあと、全身に衝撃がおとずれ、骨がバラバラになるのを感じた。

 脳みその中まで火をつけられたような息苦しさの中、意識を失った。

 このような痛みは、二度と味わいたくない、と思いながら。



 どれくらいの長さであったかはわからないが、目を閉じた状態で、激しい痛みとおうかんだけでなく、身を刺すような不安感に襲われた。

 それがやみ、意識を取り戻すと、立体駐車場の屋上から、柵越しに地面をながめていた。


 これは、いったい、どういうことだ?


 淡い街灯に照らされている、街路樹が目に入り込んだ。

 顔をそむけようとしたが、できなかった。


 つづいて、体が勝手に動きだし、背広から携帯電話を取り出すと、腕を高く上げ、コンクリートへ叩きつけた。


 なにがどうなっているのだ?


 意思に反して、体は、足元に散乱していた空き缶をどけて、空いた場所に脱いだ革靴を置いた。

 そして、柵の上に残していた酒を、一気に飲み干した。


 まさか。

 待ってくれ。

 もう一度、駐車場から飛び降りるのか?

 それは勘弁してくれ。

 あんなに痛くて苦しいとは思わなかった。

 これなら、会社で無能呼ばわりされ、いじめられたままでも、生きていたほうがましだった。


 しかし、そのような願いは無視され、体のほうは、柵をのぼり、飛び降りる準備を整えた。


 やめてくれ。

 お願いだからやめてくれ。

 助けてくれ。

 だれか。


 数瞬、身を裂くような風圧を感じたあと、衝撃がおとずれ、全身の骨がバラバラになる感覚に襲われた。

 脳みその中まで焼かれたような息苦しさの中で、また意識が消えていった。


 お願いだ、これきりにしてくれ。

 本当に。



 どうして。

 何で。

 どういうことなんだ。

 そんなに悪いことをしたのか?


 気がつくと、眼下に、淡い街灯に照らされている、街路樹があった


 助けてくれ。

 いったい、何回、やらされるんだ。


 勝手に体が柵を乗り越え、地面に吸い寄せられていく。

 強い風圧を感じたあと、全身の骨がバラバラになる感覚に襲われた。

 脳みその中まで焼き焦げにされたような息苦しさの中、また意識が消えていった。



 すみませんでした。

 わるいことをしました。

 もうやめてください。



 願いもむなしく、繰り返される。



 痛い。

 痛いよ。

 苦しい。

 本当に何とかしてください。

 本当に。

 すみませんでした。

 だから……。




 何度も、繰り返されている。

 幾度、繰り返し体験しても、その痛みと苦しみに慣れないまま。

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短編集「山小屋にて」 青切 @aogiri

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