山にて

 大学の先輩が亡くなった。

 山での事故死であった。


 入学式の翌日、キャンパスで私はその先輩の勧誘を受け、登山サークルに入った。

 ひと月前まで女子高生であった私は、二歳年上のハンサムな男性に話しかけられると、ひとり舞い上がってしまい、言われるままに入会した。


 私は登山をしたことはなく、とくに興味もなかったので、入会の動機は先輩ということになるが、同時期に入会した女の子のほとんどは、私と同じ動機だったようだ。


 私の見聞きした限りだが、先輩は社交的な性格で、男女を問わず好かれているようにみえた。

 にせの呉服屋の次男で、マンションで一人暮らしをしていた。

 父親のお下がりという外国の車を大切にしており、一度、私も乗せてもらったことがある。


 先輩に恋人はいなかったが、聞いたところによると、気になる子はいたらしい。

 私の先輩への思いは、あこがれと恋愛感情の中間ぐらいであった。

 告白してみようかと思っていた矢先に、事故が起きてしまった。


 サークルで登る山を下見するために、先輩は一人で山へ登り、切り立った崖から、下に流れている小川の写真を撮っている最中に、誤って転落した。



 お葬式には、サークル員のAと一緒に参列した。


 Aは同じ学部の同級生で、私と同じく、先輩に好意を寄せていた。

 葬儀中、Aは初めから最後まで泣いていた。


 先輩のご遺体は、頭部の損傷が激しいとのことで、最後の対面は叶わなかった。



 登山サークルを始めた先輩がいなくなり、残った皆で話し合った結果、サークルは休会することになった。


 最後の活動として、先輩が事故に遭った山に登り、花をささげることにした。


 一泊二日の計画で、参加者は十人。

 そのうち、女子は私とAのふたりであった。



 秋の晴天。

 ふもとから一時間ほど歩き、先輩の亡くなった場所に着いた。


 道中、参加者の口数は少なく、話す内容も先輩との思い出ばかりであった。

 崖から見える紅葉はきれいだったが、もちろん、すなおに楽しめる者はいなかっただろう。


 恐るおそる下を見てみると、高さはそれほどではなかったが、大きな石がごろごろしていた。


 枯れた花束が置かれている場所に、Aが豪華な花束を添えた。

 サークル員からつのったお金で、買い求めた花であった。


 先輩の親友だった人の合図で、皆が黙祷もくとうを捧げた。

 私は心の中で、先輩に遅い告白をした。

 となりから、Aのすすり泣きが聞こえた。



 登山の目的を果たすと、崖から十分ほど歩いた場所で、私たちはキャンプの準備をはじめた。

 私とAは、食事の用意を担当した。


 焚火を囲みながら、皆でカレーライスを食べ終わると、お酒を片手に、先輩との思い出を語り合った。

 時に声を詰まらせながら、時に小さな笑い声を立てながら。

 最後に、先輩が好きだった歌を合唱し終えたころには、あたりは暗闇に覆われていた。

 就寝の時間となり、参加者は、四つのテントの中へ、それぞれ入っていった。



 私とAのテントの中で、小さなランタンが、温かみのある光を放っていた。

 花を捧げ、皆と話し合ったおかげだろうか。

 Aの表情を見るかぎり、多少は心の整理がついたようである。

 山を登った甲斐かいがあった。


 カレーの味付けについて少し話をしてから、私たちは寝ることにした。

 最後に、私が独り言のように、Aの背中へ尋ねた。

「先輩の気になる子って、誰だったんだろうね?」

「さあ。誰だろう」

「……Aじゃない?」

「……まさか」



 ズサッ、ズサッという音で、私は目が覚めた。

 まだ、夜は明けていなかった。


 徐々に意識ははっきりとしてきたが、体が動かない。

 奇妙な音は続いており、耳を澄ませると、人が足を引きずりながら、歩いているようだった。

 それが、こちらに近づいて来ていた。

 私は声にならない声を上げ、視線を動かし、となりで寝ているAの背中を見た。


 ズサッ、ズサッ。

 音が、私たちのテントの前で止まった。


 それから、静かに、ゆっくりと、テントのファスナーが上げられていった。

 しばらくの沈黙ののち、ランタンのかぼそい光に照らされて、顔の潰れた人間が、テントの中をのぞきこんできた。

 あまりの恐怖に、私は瞼を閉じようとしたが、それすらもできなかった。


 ふらふらと立っていた化け物は、膝を崩し、両腕を前に伸ばしたまま、私のうえへ倒れ込んで来た。

 両手をつき、私に覆いかぶさっている化け物の顔に、私は見覚えがあった。

 亡くなった先輩であった。


 先輩の潰れていない右の眼が、私を見つめていた。

 先輩は、少しづつ、少しづつ、腕を曲げ、私に顔を近づけ、片目で舐めるように私の顔を確認したあと、そのまま首を右に傾けた。

 Aの寝ている方向へ。


 いつのまにか、Aは仰向けになって寝ていた。

 しばらくしてから、先輩がAの手をつかんだ。


 体をつかまれてもAは目覚めず、そのまま、ズルズルと、テントの外へ連れ去られてしまった。

 先輩がAを引きずる音を聞きながら、私は意識を失った。



 悪夢から目を覚ますと、テントの中は、淡い日の光に包まれていた。

 Aは先に起きたようで、姿は見えなかった。


 私は外に出ると、机を囲んでいたサークル員たちにあいさつをした。

 しかし、その中にAの姿はなかった。


 私は数分ほど歩いて、登山客用のトイレへ入った。

 男女が別になっていたのだが、そこでもAに会わなかった。


 胸騒ぎを感じつつ、キャンプ地に戻り、Aのことをたずねたが、だれも顔を合わせていなかった。

 皆の顔に不安の表情が浮かび始めたとき、遠くから私たちを呼ぶ声がした。

 それは、サークル員のものであった。



 声のする崖のほうへ全員で向かった。

 私が遅れて着くと、皆は崖の下をのぞいていた。

 私も下を見てみると、川岸で、Aが倒れていた。


 第一発見者のサークル員が、私たちに向かって、両腕でバツの字をつくっていた。

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