蛇草

 一緒に出張へ出かけた際、妻のいる私を、部下の女が誘ってきた。

 誘いを断ると、大きな黒い瞳で私をすくめながら、女が理由を尋ねて来た。


 最初こそは、女の目を見ながら答えていたが、途中で、私をまっすぐに見つめる、女の漆黒の瞳に耐えられなくなり、私は下を向いてしまった。

 

 私がいくら理由を並べても、女は「なぜ?」「それで?」を繰り返すばかりで、解放してくれなかった。

 徐々に、私の話はまとまりがなくなり、それを話す声も小さくなっていった。

 すると女は、「何がいいたいの。もっと、大きな声で話しなさい」と、高圧的な言葉で私を責めはじめた。

 それに対して、もはや、私はどうすればよいのか分からなくなっていたので、とりあえず、女に謝った。


 私が頭を上げて、女の顔色をうかがうと、彼女は相変わらず、私をじっと見つめていた。

 私は、蛇に睨まれた蛙ということわざの意味が、身に染みてわかった。


 何でもいいから、このやりとりから解放されたい。

 そのような私の心情を見透かした女は、私に抱きつき、「一回だけなら問題はないわ」と、母親が子供をあやすような声でささやいた。



 予想した通り、女との関係は、一回では終わらなかった。

 女が終わらせてくれなかった。

 その後もずるずると関係は続き、私は何度も清算を試みたが、女に見つめられると声が出なかった。

 また、私が統括している部署において、女の成績は群を抜いており、彼女の機嫌を損ねたくなかったのも、私が彼女に強く言えない、別れを切り出せない理由のひとつであった。



「奥さんへ差し上げて」

 春の某日、先にホテルから出ようとした私へ、女が植物の種を渡してきた。

 妻についてはまったく話していなかったが、どこかでガーデニングが趣味であることを聞きつけたようだ。

 会社で口にした記憶はなかったが。


 種は黄色で、見た目は満月を思わせた。

 今が植え時で、あとは育ってからのお楽しみ、と女は言った。

 すでに私は、二人で会うときでも職場でも、女に逆らう気力を失っていたので、指図されるまま、妻に種を渡した。



「見たことのない種ね」

 妻はけいを深く聞かず、そのまま種を、庭へ埋めた。


 翌日には芽が出て、そのあとは驚異的なスピードで、黒いつるが地を這うように四方へ伸びていった。

 そのさまは、異常発生した蛇の群れのようであった。

 私は勝手に、その植物を蛇草じゃそうと名づけた。



 私は気味が悪くて近づかなかったが、妻は、蛇草の侵食で、他の草花くさばなが枯れてしまっても意に介さず、世話に勤しんだ。

 何でも、引き寄せられるような素晴らしい匂いがするらしい。

 やがて、庭は、蛇草に覆われてしまった。



 ある日の帰社後、冷房の効いたホテルで、私に足を揉ませていた女が、「そろそろね」とつぶやいた。


 次の日、早めに家へ帰ってみると、妻が見当たらなかった。

 恐るおそる庭に出てみると、蛇草がうごめいて、何かを包み込んでいるようだった。

 蛇草の中で、何かが激しく動いているようであったが、その動きはやがて止まり、それに合わせて蛇草も大人しくなった。



 ほかにすべはなかったので、女に電話をすると、すぐに家へ行くと言ったのに、翌日の早朝にやっと現れた。


 女は庭の様子をみると満足して、「冬になるまで、このままにしておけばいいわ」と、寝室へ私を誘った。

 それ以後、女が我が家の主となった。



 冬になると、蛇草はすっかり枯れてしまい、近づいても何の匂いもしなかった。

 女の指示するまま、私は蛇草の塊を上から何度も踏みつけた。

 すると、数分で、蛇草は、腐葉土のようなものに変じていった。

 その中から、手探りで黄色い種を探すと二個みつかった。

 女の言ったとおりであった。



 蛇草の残骸については、女の知り合いが家を訪れて、軽トラックでどこかへ運んで行った。

 去り際、女の知り合いは、私に分厚い封筒を渡した。

 中身は札束だった。

 それを女に渡すため、私は家の中へ入った。

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