第23話:食い尽くす者達
「は、は……」
男が二人、薄暗い路地を懸命に走っていた。どちらも血や体液で服をドロドロに汚し、酷い異臭を放ちながら駆け続けている。あてもなく、ただただ報復を恐れて。
どんどん荒くなっていく息。体も疲労で重くなり、足も動かなくなりつつある。
男の一人が、首だけを後ろに向けて、追っ手が来ていないことを確認する。
「い、いないぞ! あ、アイツら、追って来てないみてぇだ!」
「ほ、ほんとか!?」
その言葉を聞いて、もう一人の男も走る速度をだんだんと緩め、息を整えるべく足を止めてひと息吐き出す。
「も、もう誰も来ないだろ!」
「あぁ、もう大丈夫だ。ここまで逃げれば、」
「それはどうだろうか?」
突然聞こえてきた第三者の声に、男達はパッと勢いよく進行方向へと振り返った。
そこに立っていたのは、二人の人物。一人は体格がよく背も高い、紅色の外套を身に纏った男。もう一人は、その彼より背の低い、黒一色の外套を身に纏った人物。
黒一色の外套を纏った方が、ひらりと片手を上げて声を掛けて来た。
「やあ、同志。今日は、良い夜だと思わないか? いつもより煤煙は晴れているし、蒸気煙もほどほど。これだけ離れているというのに、お互いに人物の姿かたちが見て取れるくらいだからな」
「ッ! な、なんだ、お前らは!」
「なんだとは失敬な。君達が私のことを探していると聞いたから、こちらにまで出向いたというのに」
その言葉を聞き、彼ら二人の顔色が変わる。それに対して、男はにやりと口角を上げ、恭しく頭を垂れた。
「私は、リーンハルト・ヴィーツェル。魔術管理機関<
リーンハルトはそこで言葉を止め、じろりと眼鏡の奥の紅い瞳を彼らへと向ける。そこに、先程までの柔らかさはない。ただただ冷たい。ぞわりと背筋を震わせる感情を多分に含んだ、恐ろしい眼であった。
思わず、男達は来た道へ引き返そうとする。
「はい〜、駄目まう☆」
弾んだ声が瞬間、進もうとしていた先に突如茨が生え、道全体を覆い尽くす。その先に立っていたのは、フリルがたっぷりあしらわれた外套を纏う者。その手には、細身の刀身の剣──レイピアが握られており、路面に当たっている切っ先から茨が噴き出しているようであった。
男の一人が、呻く。
「ま、魔術師……ッ!」
「んふふ! 久し振りにそんな反応されちゃったぁ! も~、そんなに怯えなくてもいいまうよ? あたし達はあくまでも、君達を『歓待』しに来たんだから〜」
フリルの外套を身に付けた彼女は弾んだ声でそう言い、指先を頬に当ててはにかむ。それが、かえって異質で不気味な雰囲気を醸し出していた。男達は唾を飲む。
「パトリシアの言う通り、そう怯えずとも良い。最初に言っただろう? 君達を歓待する、と」
「か、歓待って……」
「あぁ。我々の仲間に行なった行為を、そっくりそのままお返しするという話だ」
リーンハルトは、くつりと口角を上げて笑い、男達へ一歩近付く。それに傍らに立つ紅い外套を纏った男が、難色の声を上げるものの、リーンハルトはそれを片手で制する。
「被害報告は、まだヴァイオレットやエルムからは聞いていないから、歓待の内容は決まっていないのだが、……どういったものが好みかな? パトリシアの茨に抱かれるか、ヨキの氷に貫かれるか。好きに選んでいいぞ?」
口元を抑え、にやにやと笑うリーンハルト。その表情を見た男達は、グッと歯噛みをする。
ピリピリと刺すような空気感が漂い始めて十数秒ほど経った頃。男の一人が、手を動かした。
「や、殺られる前にッ」
その言葉と同時に、男は素早く腰に手を回し、投げナイフを手に取るとリーンハルトに向けて投げ付ける。それは、人が投げたとは思えぬほどの速さで飛んでいき、リーンハルトの外套が裂かれた。ナイフは、その下の皮膚まで切り付けており、徐々に傷口から赤が滲み出す。
もう一人の男も、相方の反撃に合わせて、拳銃を引き抜いて、パトリシアの方へと銃口を向ける。その銃口は、手の震えで狙いが定まっておらず、彼がそれの扱いに慣れていないことが窺えた。
ナイフを投げた男が叫ぶ。
「退けえッ、同族殺し共ッ!」
「……ふむ、魔術師だったか。なら、遠慮は要らないな」
リーンハルトの言葉が言い終わるかどうかといったところで、パトリシアがレイピアを路面から抜いた。瞬間、道を塞いでいた茨は宙に溶けてなくなる。
パトリシアはくるくると剣を器用に回し、それから正眼に構えて緩く笑む。そして、とんと軽く路面を蹴った。刹那、彼女の体は拳銃を構える男の目の前へ迫る。
「あはっ!」
パトリシアは、笑う──否、嗤う。そんな彼女と対峙していた男は、半ば半狂乱になりながら、ろくに狙いも定めずに続け様に発砲した。
空気を切り裂いて飛んできた弾丸を、パトリシアは素早く身を屈めることで回避。そしてそのまま、ヒュッと刺突を繰り出す。それは、男の片足に刺さった。途端、そこから茨が噴き出す。
「あが、ッグアァ?!」
その棘は、男の足の皮膚を食い破り、ギシギシと絡み付いて離れない。茨はどんどん赤く染まり、路面に血液の水溜まりが出来ていく。
男が身悶えている間に、パトリシアはするりと男の輪郭をするりと指先で撫でる。
「んふふ、君ちょっと臭いにゃあ」
「うっ!」
パトリシアはドンッと乱暴に彼の体を押し、倒れたところでその腹の上に座って、レイピアを男の足から引き抜き、続いて肩口にそれを突き刺す。また同じように、茨が男の肩に鋭い棘を食い込ませる。
「いっ、いだ、いだいっ! や、やめ、止めてくれッ!」
「んー? あたしみたいな絶世の美女が腹の上に座ってるんだよ? ちょっとくらい、顔を赤らめて喜んでくれてもいいまうのにぃ」
可愛らしい声に反して、やっていることは残酷。ぎしぎしと茨は男の肩に食い込み、その骨にまで侵食しようとしていた。男がその痛みに喚いているにもかかわらず、パトリシアの興味はもう一人の男を相手している相方だ。
「んふふふ、あの人地雷踏んじゃったなあ、かわいそっ☆」
彼女の声につられるようにして、男はもう一人の男の方を見る。そして、目を見開いた。
彼もまた、今の男のように路面に寝転がらされている。その四肢には、目視できるほど大きな釘状の
「ほんと、駄目まうよぅ、ヨキの前でリーンを傷つけちゃあ。アイツ、リーンのことめちゃくちゃ大好き……いや、もはや信奉してるからねぇ、少しでも傷付けたら絶対許さないマンになっちゃうからさっ」
パトリシアはウインクしながら、けらけらとそう言う。声色一つ変わらないところが、ますます恐ろしい。体をがたがたと震わせ、がちがちと歯を打ち鳴らしている彼は、あまりの恐怖にとうとう耐え切れずに気を失ってしまった。
一方、ヨキ。彼は常よりも感情の落ちた表情で、氷柱で出来た釘——氷釘を男の体に深く深く突き刺すべく金槌を振り下ろす。男は既に気を失っており、泣き喚くことも汚い言葉を吐くこともない。それが、ますます彼の行動の加虐さを助長させていた。
「ヨキ」
そんな彼に、リーンハルトは声を掛ける。軽く外套を引き、ヨキの意識を引っ張った。濁った赤眼が、リーンハルトの方を見やる。
「もう充分だろう。フェイさんやノーマが殺されたのなら引き留めないが、そうではないからな」
「……でも、こいつはアンタを傷つけたんやけど」
「大した傷じゃない。だから、落ち着け」
リーンハルトにそう言われ、ヨキは渋々といった表情で金槌を下ろし、パンと指を鳴らす。瞬間、氷釘はあっさりと壊れ、中心部にあった錆びた鉄釘がコロコロと転がり落ちていった。
「まったく、大した敵じゃなかったまうねぇ。久し振りに本気で殺り合えると思ったのにぃ」
残念残念、とパトリシアは、リーンハルトとヨキの元へ歩み寄る。
「あんなヤツらに拘束されるって、鍛え方を見直した方がいいかもねえ?」
「まぁ、数の暴力というものがある。ノーマのマギアは、対複数の敵に特化したものでは無い。フェイさんも、戦闘経験が乏しい人だからな。当然の結果と言わざるを得ないだろう」
「うーん、やっぱり身内に優しすぎじゃない? まあ、リーンがそれでいいなら良いんだけどさっ」
「……そういう批評は後でええわ。……リンさん、あんまり前に出んといて。アンタは魔術師やないんやから」
はあ、と呆れた声と共に、ヨキの口から吐き出される溜息。リーンハルトは、そんな彼に、にかりと白い歯を見せて笑いかける。
「まあ、善処しよう。さ、帰るぞ! アイツらが帰って来る前に帰り、盛大に出迎えてやらんとな!」
「そうまうね! あ、ところであの子達はどする?」
ちら、とパトリシアは、気を失って倒れている男達二人に視線を投げかけた。あのままの状態でいれば、恐らく身ぐるみを剝がされて転がされるという未来は確約状態だ。リーンハルトは僅かに考える素振りを見せた後、ぱちんと指を鳴らして答える。
「放っておけ。これからどういう結末を辿ろうとも、我々の知ることではないだろう?」
リーンハルトの言葉に、ヨキもパトリシアも口角を上げて答えた。
そして三人は、そのまま路地から出て行く。そのあとに残ったのは、気絶した男達二人。彼らに救いの手を差し伸べる者は、いなかった。
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