第22話:フェイとエルム

 か細いフェイの声に、エルムはふいっと顔をフェイの方へ向ける。身に付けている外套や、そのフードの下から覗くその横顔は、返り血で真っ赤になっていた。それに目を丸くしていたフェイに、エルムは「なァ」と声を掛ける。


「怪我」

「ほへ」

「怪我、し、してへんかって?」

「あ、えあ、大丈夫ですよ。その、ノーマさんが守ってくださっていたので……」


 フェイがしどろもどろにそう言うと、エルムは小さく鼻を鳴らし、腰に吊ったホルダーに入れていたナイフを手に取り、正眼に構える。


「……あとは、よろしくお願いしますね、エルさん。俺、二人の持ちモンとか手当ての道具とか探すんで」

「おん」


 ヴァイオレットはそう言って、パタパタとフェイ達三人から離れていく。

 エルムはぐっと強く地面を踏み込んだかと思うと、その体はあっという間に標的にしていた男の目の前にまで距離を詰めていた。男がそれに気付いた時には、時すでに遅し。エルムは手の内に握っているナイフで、その首を一閃した。

 途端、爆ぜて飛ぶ首。共に飛び散る血液。エルムは、それらに興味を示すことはなく、逃げ遅れている人間の首に次々とナイフを滑らせ、彼らの命を奪い取る。その所作に一切の迷いも躊躇ためらいもない。

 エルムの異常さに気づいた者達は、我先にと出入り口へ密集する。しかし、その密集具合は、エルムにとっては好都合。爆炎を放つナイフを一人に突き立ててれば、それだけで周囲の人間を巻き込めるのだから。

 虐殺。殲滅。蹂躙。目の前に広がる惨劇は、エルムにとっては仕事上よく見る光景であった。

 時間にして、どれほどの時間がかかったのだろうか。エルムが気が付きナイフを止めた時には、もうその場に立っている者はフェイ達三人だけになっていた。後の者は皆、体の一部が欠損していたり焼かれたりした凄惨な死体となって、その場に伏して沈黙している。ぴくりと動く者はいない。

 エルムは無言のまま、ナイフをホルダーへ仕舞う。そして、返り血を浴びた顔を隠すように深くフードをかぶって、ちらりと傍目にフェイの様子を窺う。そのタイミングで、ちょうどヴァイオレットから荷物を受け取り終えたフェイと、カチリと視線が合う。

 思わず、ぷいっとエルムは顔を背けた。フェイはそんな彼の様子にグッと歯噛みし、それからゆっくりとエルムの元へと近付いて行く。


「あ、の、エルム、さん。宜しければ、これをどうぞ」


 フェイがそう言って差し出してきたのは、汚れ一つない綺麗なハンカチ。


「は、はァ? べ、別に、い、いら、要らん。こんなん、かっ帰ってから、おっ、落とせばええし」

「血液って案外危険なものですよ。もし、エルムさんが傷を負っていたら、そこから悪い菌が入って、貴方の体に悪さをしてしまうかも。ですから、それを防ぐ為にも使ってください」

「でも、し、白くて、き、綺麗なんに……」


 残念そうなエルムの声に、フェイはふふと顔を綻ばせて笑いかける。


「構いませんよ。それに、ハンカチは汚れるものです。だから、お気になさらず。どうぞ」

「ん……。あ、ありが、と」

「はい!」


 フェイはにこにこと嬉し気な様子だ。エルムは、そんな彼をちろりと見下ろしながら、ぐいぐいと雑に返り血を浴びた場所を拭っていく。清潔なハンカチは、あっという間に真っ赤に染まってしまった。

 エルムはそのハンカチを見ながら、ちらちらとフェイの方へ視線を向ける。視線に気づいていないフェイは、ポケットに押し込んだままだった包帯を取り出し、ぐるぐると乱雑に左目を隠すように巻き付けた。それを終えてから、フェイはぱっとエルムへ顔を向ける。エルムはフードの下の目を見開いて、ぷいっと顔を逸らす。フェイは少しだけ表情を硬くしたが、すぐに息を整えてにぱりと笑いかけた。


「……エルムさん、助けに来てくださってありがとうございます」

「べっ、別に、り、リーンからの、め、命令やから……っ」

「そうだとしても、来てくださったじゃないですか。だから私にとっては、ありがとうございます、ですよ」

「そ、そか」

「はい。えと、それじゃあ、ノーマさんの応急手当てが終わってから、上へ一緒に向かいましょうか」


 ね、とフェイはそう言う。その表情を見て、エルムはぐっと奥歯を噛んだ。

 このままではまた、彼の持つ柔らかな雰囲気と表情に流されてしまう。しかし、喉の奥で言葉がつっかえて、いつも以上に言葉が上手く口から零れ出ない。伝えたい言葉。言わなければならない言葉は、たくさんあるというのに。


「ぼ、僕……っ」


 はくはくと動く口。そこからは、空気だけが漏れていく。


「……へ? え、ちょ、エルムさん!?」


 その様子を見ていたフェイは、ぎょっと目を丸くし、慌てて服の袖を引っ張ってエルムの頬を優しく拭う。その言動に、今度はエルムの方が目を丸くする。


「な、何」

「ど、どうして泣いてらっしゃるんですか?」

「へ」


 エルムがぱちぱちと瞬きすると、それに合わせてボロボロと頬を涙の粒が伝って落ちていく。ぐいぐいと腕で雑に拭うが、それでも涙は止まることを知らずに流れ続ける。


「や、やっぱりどこか怪我なされてるんですか? 痛いところがあるんでしたら、ヴィオさんのところに、」

「あ、うぁ……、ご、めん」

「ほへ?」


 エルムの口からぽつりと呟かれた言葉に、フェイの目が丸くなる。その間も、エルムの目から溢れる涙は止まらない。


「ぼ、僕、あ、アンタに、す、すっごい嫌な態度、取って……。でもっ、でもほ、ほんとは嫌いやなくて、ぼ、僕が、あ、アンタを、きっ傷つけてまうのが、こ、怖くて……っ。ぼ、僕、バケモノ、やから……」

「……エルムさん。もう、泣かないでくださいよ。私まで悲しくなってきちゃいますから。それに、エルムさんはバケモノなんかじゃない、優しい人ですよ」


 ずびずび。ぐすぐす。鼻を鳴らし続けるエルムに、フェイは柔らかく微笑んで指先で涙を拭ってやる。


「お、怒らへんの……?」

「えぇ。だって、気にしてませんから。それと私……、怒るの、苦手なので」


 そこでフェイは一呼吸置いて、しっかりとフードの下のエルムと視線を交わした。


「だから、そうやって泣いて……ごめんと仰ってくれただけで、充分です」

「っん……」


 掠れた声でエルムは返答し、涙を拭い続けていたフェイの手をぱしりと取る。握手にしてはぎこちない、手を握られているとしか言えないような握り方をされ、フェイがパチパチと瞬きをしていると、エルムが更にぎゅと手に力を込めた。


「あっ、改めてよろしく、ふ、フェイ、さん……」

「はい、こちらこそ!」


 にこにこ、ふわふわ。二人の間にそんな雰囲気が漂い始めたタイミングで、こほんと咳払いの音が入って来る。その音の方向へフェイとエルムが顔を向けると、ヴァイオレットとノーマが傍に立っていた。


「はいー。いー雰囲気のとこ申し訳ないっすけど、とりあえずここから出ましょ」

「そ、そうですね。……ノーマさん、お怪我は?」

「ま、大したことないですよ。これくらいは日常茶飯事なんで」


 ノーマはブイブイと手をピースの形にして、軽く左右に振り動かす。その表情に、フェイはホッと安堵の息を吐いた。

 エルムは、ゴシゴシと腕で目元を思い切り擦って、それからニッと口角を上げて笑いかける。


「そ、それじゃ行こ! れっ、レオンとシャルルも来てるで!」

「え」

「うわぁ、可哀想。てか、今回全員参戦なんです?」

「おん! な、仲間傷付けたヤツらやからな! 全員で、ぼ、ボッコボコにしよって、リーンが!」

「久し振りに楽しそうっしたよ、あの人」

「うわわ。またヨキさんの胃痛増しそ〜」


 ケラケラ。きゃらきゃら。交わし合う声は、どこか楽しげな様子で。漂うのは、可哀想とも憐れむような感情とも違う雰囲気だ。


「み、皆さん、楽しそう……ですね?」


 フェイのその言葉に、三人はキョトンと目を丸くする。しかし、すぐに三者三様の笑みを浮かべ、揃った声で「勿論」と応えた。


「た、戦うとこ見るの、こ、こういうと、ときやないと、みっ見れんし!」

「そうそう! それに、ボッコボコにする様を見るのも面白いから!」

「同感す」


 そんな彼ら三人の意見に、フェイは愛想笑いを浮かべるしか出来なかった。そして、四人は軽やかな足取りで、監禁されていた部屋から出て行った。


「お、やっとか、お前ら。遅すぎだろ」

「良かった、フェイちゃん。無事そうで何よりだよ」


 脱出した先、家の扉を開けたところに立っていたのは、レオンとシャルルだった。二人共、口に煙草を咥えて、煙を燻らせている。

 その足元には、小鬼グレムリン試験官の小人ホムンクルスといった代表的な使い魔達が、死体となって転がっている。焼け焦げたもの。腹部が貫かれているもの。見るも無惨な状態のものばかりだ。


「……暴れましたねえ」

「いやあ、久しぶりにスカッとしたなあ、うん。いつもは、適当に殴って気絶させて捕縛っつー話ばっかりだったからな、シャルロ」

「僕に話しを振るな。……まあ、でも、ドミの調節具合を知るっていう点で見れば、いい運動になったかな?」


 ふっと紫煙を吐き出して、シャルルは短くなった煙草を黒い体液の散った路面に落とし、足先で踏み消す。


「うっし! フェイとノーマの奪還及び基地の壊滅任務終了だな、うん!」


 うんうんと大きく頷くレオン。それに呆れた様子で小突くシャルル。エルムやノーマ、ヴァイオレットの表情もすっかり柔らかくなっている。

 そこでようやくフェイは安堵の息を大きく吐き、無事に助かったことを心の内で喜んだ。

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