第7話 シベリア・中央アジア蜂起

1991年8月20日00時 シベリア


 オルスク、この街はロシア帝国の時代に、ウラル南部の征服の拠点として建設された街で、ウラル山脈の南部に位置している。


 極東の樺太島、千島列島で紛争が起こり、日ソの戦闘が続き、モスクワでクーデターが発生してソ連が混乱する最中のシベリアの地。


 暗がりの部屋の中で、私の目の前には、タタール人、カザフ人、モルドヴィン人、バシキール人、ドイツ人、ユダヤ人などの、シベリアに住む多くの民族から構成され、武装した人々がいる。

 この場にいる者の顔は、見知った者が多い、皆、信用に足る人物達だ。


 「明智、チュミカンの本拠地のギリヤーヌ議長から連絡だ! いつでもやれると。」


 「時は来たな! いよいよ、長年の計画を、作戦を実行する時だ。」

 私は、伝令に来たザグンヴァイの顔を見て、覚悟を決めた人の目であると核心して、手に持った点火装置を手渡した。

 ザグンヴァイは、渡された点火装置を確認すると、そのスイッチを押した。


 点火装置から、点火の信号が伝わると、ウラル山脈の分水嶺から西側山嶺にかけての道路、鉄道、橋梁、河川港等に仕掛けられた爆弾が一斉に爆発し、ウラル山脈のアジア側とヨーロッパ側で、交通網は完全に寸断された。


 時を同じくして、シベリアの各地にある、ソ連軍の拠点、ソ連の行政府の制圧を目的にした攻撃が開始される。

 カザフ・ソビエト社会主義共和国をはじめとした、中央アジアのソ連構成国でも、同様の行動が開始されており、ソ連のアジア側地域では、反ソ連クーデターが同時多発的に勃発する事態と成っていた。


 一方の、攻撃を受けたシベリアや中央アジアのソ連軍はというと、大多数の将兵が、謎の腹痛、下痢、頭痛、極度の倦怠感、昏睡状態等に陥っていた。

 彼等は、モスクワでの国家非常事態会議のクーデター勃発後に緊急呼集され、各々の駐屯地、基地で待機状態となっていたが、その日の晩の兵営で食べた食事の中に、異物が混入されていたからだ。

 各駐屯地、基地で、その異物の種類は異なってはいたが、下剤や睡眠導入剤といったものが使用されていた。これを行ったのは、各駐屯地、基地で、給仕を担当していた軍属で、その者達は、シベリアや中央アジアの諸民族であった。


 駐屯地、基地としての機能が不全に陥った状態の中で起きた、シベリア、中央アジアの諸民族によるクーデターは、ソ連軍内に入り込んだスパイの手引きもあり、実に円滑に行われた。

 重要施設、目標である核関連施設、核輸送起立発射機、空港、軍司令部、地方行政府、警察機関も瞬く間に制圧され、1時間の内に、すべてのケリがついてしまった。

 秘密裏に訓練していたとはいえ、彼等シベリア、中央アジアの諸民族の有志の実力は、特殊部隊のそれであった。


 例えば、基地の外周のフェンスを破り、静かに浸透すると、指令室、兵営、兵器保管所、弾薬庫を精確に制圧し、重度の腹痛や頭痛、睡眠状態に陥ったソ連将兵達は、兵営に閉じ込められ、文字通り、手も足も出せない状況下におかれることになった。


 「ギリヤーヌ議長、明智です。作戦は各地で成功した。後は貴方の独立宣言だ。」

 「明智さん、貴方と、かの国の協力に感謝する。シベリアの諸民族は、あなた方の協力を忘れない。中央アジアの方も、各地で独立を宣言する。では、失礼するよ。」


 ギリヤーヌは、沿海地方のチュミカンに住む、サハ人の男で、シベリア独立運動の議長をしている人物だ。

 シベリアの蜂起は、彼と、彼に従う者達、協力者達がいたからこそ、なし得たものであった。

 だが、かつてのシベリアは、中央アジアよりも独立機運が高い地域とは言えなかった、だが、第二次大戦後から、日本が秘密裏に工作を開始し、独立機運を高めていった。

 その工作を実施していたのは、日本の国家情報局の明石あかし機関であり、今は三代目の機関の長である、私、明智が率いていた。


 「局長、私です。ええ、勿論です。我等は長年の北の脅威を取り払えます。中央アジアの諸国は、カザフ、キルギス、ウズベク、タジク、トルクメンが独立し、シベリアもシベリア共和国として独立します。後は、モスクワでのクーデターの結果が影響します。ウラル山脈で欧州ソ連軍を防ぎ、こちらにいる交渉材料の捕虜や、ロシア系住民を引き渡せれば、独立は完了します。」



 1991年8月20日午前01時過ぎ(UTC+5)、シベリアで独立宣言が行われた。また、これに続き、中央アジア諸国もソ連からの独立を宣言した。

 前日のエストニアの独立宣言に続くこれ等の宣言は、ソ連国家非常事態会議に多大な影響を与え、コーカサス山脈の西アジア側の地域も、独立に向けた動きに出始めた。

 改革派のロシア共和国大統領のエリツィンと、彼を支持する民衆の反発もあり、反改革派の国家非常事態会議は、既に窮地に立っていたが、それに加えてこの独立宣言である。

 しかも、各地で独立が成功すれば、ソビエト連邦の領域は大きく後退し、ヨーロッパ地域のみと成ることになる。

 また、国家非常事態会議は、「樺太・千島紛争」をソビエト連邦の団結の為に仕向け、利用しようとしたが、エリツィンが国家非常事態会議の陰謀であり、彼等に責任の全てがあると宣言した為に、"紛争を利用したソ連の団結"は失敗に終わり、軍部の信用も失っていた。

 国家非常事態会議のクーデター失敗も時間の問題であった。



 さて、次はザグンヴァイと連絡をとるか。受話器を手に持ったまま、ダイヤルを回す。

 ザグンヴァイはハカス人で、独立運動において、武装勢力の一部を指揮する、優秀な指揮官であり、将としての才能もある者だ。

 「ザグンヴァイか? 明智だ。首尾は?」

 「順調過ぎて怖いくらいだよ。物は勿論確保した。ソ連軍の規律と士気がここまで堕ちていたとはね、もともとマフィアみたいな奴等だったが…」

 「これで独立の為の保険は安泰だな。交渉材料にはソ連軍と行政職員の捕虜、ロシア系市民が使えるし、君達が手にいれてくれた核がある。発射装置にロック機能が付いてはいるが、我が方の発射装置に、弾頭さえ付け替えてやれば使用は出来る。」

 「独立後だが、その核はどうすればいい?」

 「ソ連次第だな。ソ連が武力侵攻の構えを崩さなければ、保有するに限る。NPTに加盟して、公式に核保有国として、認められるもよしだろうな。」

 「アメリカ、イギリス、フランス、ソ連に続く、核保有国か… 日本帝国は何故、核の保有を明確にしないんだ。」

 「ああ、それは話せば長いんだが…」


 大日本帝国は、第二次大戦後、戦勝国の一員となっていた。

 マリアナ決戦の後、連合国と単独講和し、イタリア王国と共に、今度は連合国側として、対独戦(対枢軸戦)に参加し、国際連合の常任理事国となっていた。

 国際連合の常任理事国は6ヵ国で、アメリカ合衆国、イギリス連合王国、フランス共和国、ソビエト連邦、大日本帝国、イタリア王国で構成それ、その内の旧枢軸国以外の4ヶ国が、核不拡散条約で規定される核保有国であった。


 日本においても、戦中、戦後に、核兵器と、核を動力源とした機関の開発は極秘裏に行われており、その結果は公式には、民生用という分野で、半官半民の組織、「日本原子力機関研究開発事業団」において、原子力発電所、高速増殖炉、原子力船、原子力潜水船が開発されて、成果として世界に喧伝された。

 だが、核を使用した機関には、放射能というデメリットと、それの処理という重要な課題が存在した。

 原子力発電所と高速増殖炉は、日本国内に数ヶ所建設されたが、日本は費用対効果として、原子力機関は利点より欠点が勝るとし、原子力船と原子力潜水船の建造は、就工した各1隻で打ち止めとし、研究データを採り終えると、機関は通常機関に変更してしまった。唯一残る原子力発電所と高速増殖炉も、火力発電所や地熱発電所等にとって替わられる予定であるし、結果として、日本で原子力機関は普及しなかった。

 そして、軍事分野においては、旧枢軸国である為に、核兵器そのものの保有を、米英仏蘇が警戒し、難色を示した為に、日伊は、公式には核兵器を保有しない国家となっていた。

 だが、冷戦構造が明確に成ってくると、NATOのニュークリア・シェアリングによって、イタリア王国と、二次大戦で敗退したドイツ連邦共和国(旧西ドイツ)は、戦時には核兵器を使用出来る事となっていた。

 では、日本はどうかというと、米国と共同で、ニューメキシコ州とネバダ州の核兵器実験場で、核実験を非公式に行い、その情報を意図的に、東側諸国にリークしていた。

 この為、日本は公式な核保有国ではないが、"核兵器を保有している可能性がある国"となった。

 また、日本では、原子力航空母艦や原子力潜水艦は保有してはいないが、核兵器を投射出来るプラットホームは、輸送起立発射機車輌、通常動力戦略潜水艦、戦略爆撃機、弾道ミサイル、巡航ミサイルなど、いくらでも存在する事が、東側諸国にとっての脅威であった。


 「以上だが、なにか質問は?」

 「成る程、政治的な都合と言うわけか…」

 「かいつまんでいうと、そうなるな。」

 「もう一つ聞きたいんだが? ただし私個人、友人としてね。」

 「何だ? ザグンヴァイ。」

 「シベリアが共和国として独立したら、中華連邦や満州帝国、台湾共和国、高麗帝国のように、日本の重要な隣国として、発展出来るのか? それに、政治的な介入は?」


 ああ、成る程、ザグンヴァイは勿論、独立後のシベリアの人々にとって、それは気に成ることだろう。

 私は彼を確かに、友人として認識している。友人として、少しは安心させてやりたいという気持ちもある。


 「また長い話になるぞ。」

 「構わないさ。」


 大日本帝国は、自国の安全保障の為に、明治期に二つの戦争を行った。

 それが、日清戦争、日露戦争であるが、日本は日清戦争で、台湾を日本領土とし、日露戦争では、朝鮮半島、満州地域へのロシア帝国の介入を排除した。

 その後も、日本は自国周辺の安全保障を確保する為に苦心したが、北にはソ連という強敵が誕生し、中国大陸では、日本からアジアの盟主の立場を奪還しようとする、中華民国が誕生した。

 第二次大戦が近づくなかでの1932年に、満州帝国は建国された。日露戦争後に、満州地域全域を実質的な支配下に置いた日本は、この地を中華民国とは違う、日本と友好的な地域とすべく、清国最後の皇帝であった溥儀を担ぎ出し建国した、だが、この事が元で、中華民国との間で紛争が起こり、日中事変へと至る。

 台湾共和国は、第二次大戦後の1945年に日本から独立した国で、台湾島は、日清戦争後に日本領土となり、日本の一部として発展してきた事から、日本と重要な結びつきを持っている。

 同様に、第二次大戦後に独立した高麗帝国は、立憲君主制の国で、日本により朝鮮半島が近代化した経緯から、友好的な関係を日本と築いていた。

 戦後に独立した地域でいえば、南洋諸島の太平洋諸島首長国連合も同様である。この国は、太平洋諸島の各島の首長の中から、代表者を決めて首班とする、太平洋の島々の連合国家だ。


 最後に中華連邦だが、日本は中華民国と第二次大戦中に単独講和し、主席の蒋介石に協力し、中国大陸で反共戦争を実施、第二次大戦後の1946年には、中国共産党(中共)を崩壊させ、中共残党は、モンゴル人民共和国へと逃亡し、中華民国は安泰だと思われた、だが、総統の蒋介石は晩年にミスを犯した。総統の地位を世襲とし、袁世凱の中華帝国のような国を目指し始めた。

 これに反発した国民党の陳公博らは、日本に協力を仰ぎ、中華民国の政変に勝利し、1965年に中華民国改め、中華連邦が誕生し、初代総統として、夏奇峯が就任した。

 こうして、日本の周辺国は、北のソ連を除いて全てが友好国となり、東亜太平洋条約機構として、日米同盟も成された事から、日本の安全保障は強固なものとなり、シベリア地域がシベリア共和国として独立出来た暁には、アジア太平洋地域においては、日本は盤石の地位を築いたことになるのだ。


 また、政治、経済において日本は、アジア太平洋の発展途上国に積極的に投資し、近代化を促した。友好国への政治介入よりも、経済的な結びつきを強める事により、友好関係を深め、その事により反日的な感情を抑えて、自主独立国として、軍備を各国に整備させる事により、日本は経済的に適切な範囲の軍備を備えるにとどまり、経済的に米国より余裕のある状態となっていた。


 これ等のことを、ザグンヴァイに説明した。

 「帝国はシベリア共和国を属国にする気はないよ、シベリア共和国を軍事的に支えるには広大過ぎる。」

 「そうか、明智が言うなら信じよう。仕事に戻るよ。」


 彼の心配もわかるが、日本はソ連を弱体化さえ出来れば、多くは望まない筈だ。

 私は現場の長ではあるが、帝国の遣り口は熟知している。

 それに、最初は仕事であったが、今ではシベリア独立は、私の夢でもあった。

 シベリア地域の独立機運を高めたのは日本ではあるが、今では、この地に住む多くの人々が、それを望んでいるし、工作活動の前から、少数ではあったが、独立を望む声は確かにあった。

 第二次大戦やアフガニスタン紛争で、徴兵、徴用されたシベリアや中央アジア、西アジアの諸民族の多くが、少なからずソ連に反感を抱いていた、文化や伝統をロシア帝国の頃から破壊され、辛酸を嘗めていた。


 「火を着けたのは我々ではない、ソ連の身から出た錆だ。だが、この火事を消すのは、我々の仕事だ。」


 シベリア共和国独立の為に、今しばらく、この地で私の戦いをするか…

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