第6話 北樺太へ

1991年8月19日09時頃 間宮海峡


 樺太とシベリア大陸を隔てる間宮タタール海峡。この海の上の空を、何十機もの翼に日の丸が付い戦闘機の編隊が飛び交い、北樺太の制空権を握ろうとしている。


 第一次防衛線での戦闘終結後、日本軍は、北樺太への逆侵攻の前に、樺太全土の制空権、制海権を掌握し、地上部隊の侵攻を容易にするべく、制空戦闘を本格化していた。

 また、日本軍が北樺太への侵攻前に懸念していたのは、クーデター派のソ連軍 樺太サハリン防衛軍司令官リマレンコ大将の逃亡であった。

 日本軍としては、リマレンコ大将の逮捕を目標とし、北樺太へ侵攻を開始しようとしている。彼が侵攻前に樺太から逃亡しては、元も子もない。

 南樺太へのソ連侵攻部隊の撃退、壊走。さらに、彼の同胞であったカムチャッカの砲兵師団長が、日本軍による攻撃で抹殺された。この為、リマレンコ司令官の逃亡の可能性もあるとみて、日本軍は作戦を計画し実施ている。

 司令官の逃亡を阻止する為の一手として、日本軍はソ連の南樺太侵攻部隊を撃退後に、北樺太のソビエトに対して通告を出した。それは、軍民問わず航空機の離発着、船舶の往来を禁止する通告を発し、通告が破られた際は、無制限に撃破すると宣言している。


 その様な中で、空爆直前の縫江ノグリキの空港から離陸し、間宮海峡へ向け、北樺太を西進する1機ソ連民間機を、日本空軍の戦闘機2機が追尾していた。


 「警告! 貴機は日本帝国の通告を無視している。 我の誘導に従わなければ撃墜する。 繰り返す… 」

 日本語と英語、ロシア語で、規定通りの警告を行なう。

 相手は民間機だ、IL-62だ、護衛の戦闘機も無い。それに飛んでいるのはソ連の領空内、警告されるのは本来ならこちらだ。

 だが今は、平時ではない…

 敵の司令官を乗せて、逃亡を謀っている可能性がある以上、追尾され、場合によっては撃墜されるのも当然だ。

 戦闘に本来、グレー・ゾーンは存在しない。グレー・ゾーンなんてものは、政治家や専門家、メディアの詭弁に過ぎない。

 敵か味方か明確ではない以上、相手は敵と認識する。

 それが例え民間機でもだ、それが戦いだ。


 IL-62は現状、日本空軍の警告を無視している。

 早期警戒管制機「E-1 明星みょうじょう」からの報告で、哨戒任務から駆けつけた飛鷹ひよう2機が、IL-62に接触してから3分、警告射撃が実施される。

 1機の飛鷹が、IL-62の操縦室の真横に遷移し、20㎜機関砲を数発発射してみせた。


 「これで誘導に従ってくれたら面倒無いんだがな。」

 警告射撃を実施した機体の操縦者パイロット、間崎中尉は、操縦桿に付いている機関砲のトリガーにいつでも指を掛けれる状態のまま、IL-62のコクピットを見つめる。


 コクピットには少なくとも3人の人間が視認出来るが、客室側は全ての窓が閉ざされていて視認出来ない。


 「マッサー、こちらサンク。 IL-62をロックオンした。」

 無線越しに、僚機を操る三國中尉の落ち着いた声が聞こえる。何度も聞いたり使ったりしているTACネームでの呼び掛けだ。名前を軽くもじっただけのものだ間崎まさきだから"マッサー"、三國みくに(さんくに)だから"サンク"といた具合にだ。


 互いに初の実戦だが、僚機の声を聞くと、なぜだか安心して闘える気がした。

 ソ連機をロックオンしたと言っていたな…

 短距離ミサイルだろうが…

 民間機にミサイル警報装置があるんだろうか?


 F-2飛鷹の機体には、固定武装の20㎜機関砲、胴体下部に4発の中距離ミサイルと、両翼のハードポイントに計8発の短距離ミサイル、両翼と機体中央に増倉を各1個取り付けている。

 制空戦闘用の武装だ、これならソ連戦闘機相手にも十分に戦える装備だが…

 相手は民間旅客機、もし、チャフ、フレア、その他の妨害装置が備えられていたとしても、一方的に蹂躙されるだけだ。


 「何故応えない、あれには誰が乗っているんだ!?」

 独り語を言った時だった。

 操縦室の3人が慌てている?

 まさか、ミサイル警報装置が付いているのか?


 彼らの姿に気付いた時、ソ連機がバンクを振った。そして、コパイがこちらを見ると同時に、インカムを口元に近づけ、英語で交信してきた。


 「あなた方の指示に従う! 撃墜しないでくれ!」


 その後は、実にスムーズなものだった、気屯飛行場に誘導し、IL-62を着陸させると、そのまま飛行場の周囲を警戒する為に、僚機と共に旋回する。


 滑走路を見ると、完全武装の基地警備隊により、ソ連機は包囲され、タラップ車が機体に取り付けられると、隊員達が突入していく。

 三度目の旋回で視認した時には、機体から出て来る15名程の人が見えた、基地警備隊の隊員とは明らかに装いが違うから、直ぐにわかった。


 「ケトン19、ケトン20 こちらホクト05 君らに連絡だ。」

 コールサインで読んでいるのは、俺達を哨戒任務から、あのソ連機の追撃を指示した早期警戒管制機、E-1明星の管制官の声だ。


 「こちらをケトン19だ。 ホクト05 感明良好 どうした?」


 「ケトン19、20 ホクト05 気屯飛行場からの連絡だ。IL-62の乗員乗客は全て、民間人だ。簡単な取調べの結果だが、どうやらパイロット達の家族だそうだ。家族共々、樺太からソ連本土へ逃亡中だったとの事だ。」


 なんだそう言うことか、民間人なら、戦争から逃げようとするのも納得だな。

 僚機の三國の方を見ると、わかったとハンドサインを送っている。


 「ホクト05 ケトン19 了解 手間をとらされたな。」


 「すまない、ケトン19、20 君らに次の指示だが。いったん気屯基地に着陸し小休止してくれ。」


 「ホクト05 任務だ、こんなこともあるさ、小休止はありがたい。」


 実にいい! 実戦だが、これくらいの任務で小休止もある、手当も付いてありがたい限りだ。

 俺達は、バンクを共に振ると、IL-62の隣の滑走路へと降り立った。


 この先もこれくらいの、楽な仕事ならいいんだが…




同日同刻頃 ウラジオストック沖


 潜望鏡で、ウラジオストックの港への航路を確認するが、出入りする艦船、民間船は1隻もない、聴音でも、スクリューの音は拾っていなかった。

 潜水艦 春潮はるしおの艦内は、静粛そのものであった。


 舞鶴軍港から、通常の哨戒任務でウラジオストック沖に来ていたが、そんな時に、樺太と千島で紛争が始まった。


 瀬戸内と伊勢湾から、琵琶湖を経由して日本海を繋ぐ日本縦断運河からは、日本海に向けて来る、多数の艦艇が航行し、ソ連海軍に睨みを効かせる為に集結中だ。


 春潮はそのような最中に、ウラジオストックのソ連太平洋艦隊の監視を任された。


 「不自然なまでに静かだな、航海長。」


 「はい、艦長。ソ連軍は一部を除き、クーデターに関しては無視を決めているのでしょうか?」


 「その可能性もあるな、中立を決めて、勝った方に着くとかな。」


 「随分と日和見主義的ですね。」


 「共産主義者なんてそんなもんさ。」

 艦長と航海長は、春潮の司令部でクスクスと、静かに笑ってみせた。


 日本海の海は平穏そのものだった。日本国内の航路は、戦時体制として軍艦の通航が優先されてはいたが、外航船も内航船も、普段と大して変わらずに航海を続け、日本の物流を支えている。

 念の為に、高麗帝国の朝鮮半島東岸から日本向けに来る船舶は総て、陸岸に沿って航行し、日本を目指した。が、ソ連海軍艦艇の殆んどはウラジオストックに籠城しており、臨検等で航路を脅かす事は無かった。




同日13時15分 樺太国境線


 樺太国境線の北緯50度の南側。その、東岸、西岸、中央の三方で、第5機甲旅団の第5戦車連隊と第5機甲歩兵連隊を中心に、3つの戦闘団が編成されていた。


 戦闘団の編成としては、戦車大隊、機甲歩兵大隊が各1個、自走砲兵中隊、高射自走砲兵中隊、工兵中隊、後方支援中隊が各1個と、いうもので、指揮官は、戦車連隊、機甲歩兵連隊の連隊長と、第一戦車大隊の大隊長が務める事となった。


 中央が橘大佐(第5戦車連隊長)指揮する橘戦闘団、東岸が緒方大佐(第5機甲歩兵連隊長)指揮の緒方戦闘団、西岸が塩見中佐(第5戦車連隊第1戦車大隊長)が指揮する塩見戦闘団。この三個戦闘団を以て、日本陸軍は、北樺太へ逆侵攻を開始しようとしている。


 北樺太の制空権、オホーツク海の制海権は既に日本海空軍により掌握され、リマレンコ大将の脱出も確認されてはいない。

 陸軍情報部の最新の情報によれば、現在リマレンコ大将は、弁連戸ピルトン郊外のソ連軍駐屯地にいると断定された。



 リマレンコ大将、彼はソビエト陸軍の大将にして、樺太サハリン防衛軍司令官という立場だ。

 サハリン防衛軍というのは、ソ連極東軍管区の下に置かれた組織ではあるが、北樺太に駐留するソ連の陸海空軍を統合運用する為の機関であり、陸軍2個師団と、空軍1個航空師団、海軍サハリン小艦隊を擁する軍であった。

 サハリン防衛軍は国境を接する日本帝国への最前線の備えであり、欧州方面程ではないが、ソ連においては、重要な部隊であり、その指揮官は、常に、党と社会主義、共産主義に対し、"忠誠心を強く持った"人材が当てられていた。それが、リマレンコソ連陸軍大将である。


 リマレンコ大将は、良くも悪くも、党と社会主義に対して、強い忠誠心を持つ軍人であり、彼は、強く偉大な社会主義国家、ソビエト連邦を維持する為に、モスクワの"国家非常事態委員会"という、共産党保守派のクーデターに参加したと、日本陸軍情報部をはじめとする、日本の諜報機関は分析していた。


 北樺太へ侵攻しようとする日本陸軍の目標は、リマレンコ大将の逮捕であり、次いで、北樺太を保障占領しようというものであった。

 ソ連本国では、国家非常事態委員会によるクーデターの為に、ソビエト連邦構成国の間で、独立機運が高まり、モスクワに於いても、改革派と保守派、どちらが主導権を握るのかがいまだ判らぬ情勢であり、樺太での紛争にソ連軍が本格的に介入するのか判断しかねる、不確定要素の強い状況であるが為に、北樺太を占領し、樺太全土を日本の統治下とするのが、表向きの理由である。



 西岸に配置された塩見戦闘団は、第5戦車連隊第1戦車大隊の塩見中佐が指揮している。

 戦力としては、各戦闘団共に指揮通信車6両、戦車42両、機甲歩兵(機械化歩兵)約360名、歩兵戦闘車72両、自走150㎜迫撃砲16両、自走120㎜迫撃砲18両、偵察警戒車6両、偵察オートバイ10両、自走砲12門、自走高射機関砲12両、工兵中隊、後方支援中隊の車輌多数というものである。

 特に機甲歩兵分隊は、他国のそれと比較して余裕のある編成であり、歩兵戦闘車1両に対して、乗員3名(乗車班)、機甲歩兵5名(降車班)から成る、歩兵戦闘車2両で、1個機甲歩兵分隊を編成し、分隊は機甲歩兵10名、歩兵戦闘車2両で乗員は合わせて6名、計16名の分隊で、歩兵戦闘車にはスペースに余裕があるため、対戦車ミサイル、携帯式対空ミサイルと弾薬を多数積載している。


 今、樺太西岸部の北緯50度線に集結した塩見戦闘団は、一個戦車小隊の主力戦車4両と共に、一個機甲歩兵小隊の歩兵戦闘車7両、歩兵35名が随伴するグループを1つの単位とし、9つの同様のグループを形成し、突撃隊形をとっている。

 三角形型に3グループが配置され、その後にV字型に3グループが配置され、自走砲中隊、自走高射機関砲中隊が続き、更にその後に、横並びに3グループが配置され、後は工兵中隊、後方支援中隊が続いた。

 他の2つの戦闘団も同様の陣形であり、樺太の中央、東岸、西岸に配置された3つの戦闘団は、軍部府、陸軍参謀本部からの、越境、逆侵攻の命令を待つばかりであった。


 遥かに先で砲声が聞こえ、巨大な砲弾が北の大地を穿つ音が聞こえる。

 地雷原に当たれば、周辺の地雷を吹き飛ばしながら、後に来る戦闘団の為の進路を切り開き、弾薬集積所に命中すれば、空へと伸びる爆煙を上げさせ、敵兵や兵器に当たれば、跡に残すのは鉄屑と赤黒い血と土にまみれた肉片である。

 その光景を視認出来ないが、あれの至近弾を受ければ、それだけで一溜りもない事は、容易に想像出来た。


 「45口径51cm主砲、斉射なら8発、それを2隻でやっているんだ。形も残らんだろうな。」

 「はい、それに巡洋艦4隻の50口径25cm砲弾も加わっている筈です。」

 「湾岸戦争で野砲数個師団に匹敵すると云われた火力だ。見れたら壮観だろうな…」


 塩見中佐は、42式指揮通信車の車外に立ち、大隊の先任曹長と共に、北の方に広がる、樺太の大地を見ていた。


 「命令が出れば、三方向から北樺太へ侵攻し、我等は鵞小門岬を経由して、奥端を目指すことになる。」

 「作戦成功の暁には、他の戦闘団と共に、奥端で集結したいものです。」


 鵞小門岬とは、ソ連でいうエリザヴェータ岬であり、奥端とは、オハの事である。


 「塩見中佐、戦闘団長殿! 第5旅団司令部経由で、統帥本部、陸軍参謀本部からの命令が届きました。」

 指揮通信車の中から、通信手の声が聞こえ、塩見は先任曹長と、車内へと駆け込んで行った。


 「北端ほくたん作戦を開始せよ… か、よし! 全隊に通達、作戦開始、塩見戦闘団、前進せよ。」


 塩見戦闘団長の命令を受けて、塩見戦闘団は前進を開始した。

 先頭を行く50式戦車は、120㎜の滑腔砲の砲塔を左右に振りながら、周囲を警戒し、時速50㎞の速度で北進する。

 上空には、陸軍北部方面軍の対戦車ヘリコプター連隊の一隊が、戦闘団の直掩として展開し、更にその上の空を、空軍の戦闘機と爆撃機が、北樺太へ向けて高速で飛んで行く。


 深夜から今朝に掛けての戦闘で、北緯50度の国境線から南側の日本領、第一次防衛線にかけての大地の一部は、緑が失われ、凹凸だらけの剥き出しの地面と成っていたが、北側の、ソ連側の大地は、戦闘団の前進の為に破壊された地雷原跡以外は、比較的に木々や草原が残り、普段から見慣れた、北の大地であった。


 塩見中佐は、前進する指揮通信車の上部ハッチを開けて、その景色を見つめつつ、GPSで現在の緯度を確認した。


 「北緯50度線を越えた! ここは北樺太 ソ連領だ!」


 塩見中佐にとっても、北樺太は、国境の先は、近くて遠い大地であった。

 特に、冷戦の時代にあって、ここは東西陣営の最前線の一つであり、国境線の付近は日ソ共に、大量の地雷によって封鎖され、ソ連は北樺太サハリン州全域を閉鎖地域、街は閉鎖都市としていた。

 その、樺太を南北に分断していた国境線を越えて、日本軍は北樺太への逆侵攻を開始した。

 西暦1991年8月19日13時30分の出来事であった。

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