錬金術

 深夜のスクラップ工場。

 かぼそい灯りのもと、エヌ氏は地面に魔法陣を描き終えた。

「あとは呪文を唱えれば、悪魔が現れるはずだ」

 古書を見ながら、エヌ氏はたどたどしく異国の言葉をつぶやいた。


 他人から見れば、気が触れてしまったのかと思う光景であった。

 しかしどう思われようとも、エヌ氏に支障はなかった。

 事業に失敗したエヌ氏は、従業員だけでなく、家族からも逃げられていた。

 エヌ氏に残されていたのは、鉄くずだらけの工場と父の形見の古書だけであった。

 自暴自棄に安酒が加わった結果、古書に書かれている悪魔を呼び出す、という酔狂につながった。


 エヌ氏が呪文を唱え終ると同時に、灯りがぷつりと消えた。

「何だ」

 エヌ氏は思わず声を上げた。

 しばらくして外灯が再びくと、魔法陣の中央に変化が起きていた。

 老紳士が安楽椅子に坐り、エヌ氏にほほ笑んでいた。


「まさか、本当に」

 エヌ氏はまじまじと男を見た。

 人では有り得ないほど尖った鼻と耳から、悪魔にちがいないと思えた。

「地上に呼ばれるのは久しぶりです。懐かしい匂いだ。私に何か用ですか?」

 悪魔が声を発するたびに、エヌ氏の鼓膜に鋭い痛みが走った。

 エヌ氏は耳をふさぎながら尋ねた。

「何でも願い事を叶えてくれると本には書いてあったが?」

 エヌ氏の質問に対して、耳をつんざくような笑い声が起きた。

「すべての願いは叶えられません。世界平和や貧困の撲滅など、我々の敵を利するような話はお受けできない。個人の欲望を満たすような願いなら、いくらでも叶えて差し上げますよ」

 今度はエヌ氏が笑う番であった。

「それは好都合だ。とにかく私は、人生をやり直すための財産が欲しいのだ」

「それは結構です。それで、具体的に何が欲しいのですか?」

「現金はインフレが怖い。金塊にしてくれ。一トンもあれば十分だ」

 エヌ氏の要求に対して、悪魔は良い顔を見せなかった。

「なんだ。できないのか?」

「いや、できますよ。ただ、以前に同じ願い事をされた方の頭上へ金塊を落としたところ、ずいぶんと恨み事を言われましてね。幽霊になられた後に」

「それは当然だろう。今の願いはキャンセルだ」

「なるほど、わかりました。しかし、あなたには、ゆっくりと考えていただきたいところですが、残念ながら、悪魔である私は、そう長く地上にいられません。早く決めていただかないと、願いを叶える前に地獄へ戻らねばなりません。あしからず」

 悪魔の言葉に慌てたエヌ氏は、周りにある鉄くずの山を指差した。

「では、この鉄くずの山を金に変えてくれ」

 悪魔は一瞬沈黙したのち、次のように言った。

「鉄を金に変えればよろしいのか?」

「そうだ。鉄を金に変えてくれ。鉄を金に」

 エヌ氏が叫ぶと、悪魔は切り裂くような声で笑いながら、尖った指を一度鳴らした。

 すると、エヌ氏の周りの鉄くずの山が、一瞬で金へと変わった。

 と同時に、エヌ氏は興奮のあまり、その場に倒れて気を失ってしまった。



 エヌ氏が目覚めたのは昼近くであった。

 気絶する前と同じく、彼は金の小山に囲まれていた。

 しかし、くず鉄の山だけでなく、古ぼけた工場も金色に変じていた。

「どういうわけだ。サービスかな?」

 しばらく黙り込んだあと、何事かに気が付いたエヌ氏は、駆け足で街を一望できる工場の裏手へ急いだ。


 すると、昨日までくすんでいた街が、キラキラと金色に輝いていた。

 車のラジオによれば、世界中の街々で、同じ光景が繰り広げられているらしい。

 地球上の鉄が、金に変えられてしまったようだ。

 そうなると金の価値は・・・・・・。

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