ショートショート

困った常連

 その居酒屋は店主ひとりで営んでおり、客席は少なかった。

 店主はあいの良い男で、料理の味も良く、値段も安かった。

 それだけならば、通好みの隠れた名店になれたかもしれなかったが、店の評判は芳しくなかった。

 それは、中年の常連客、エヌ氏のせいだった。


 エヌ氏には困ったところがあり、酒がまわると見境なくまわりに絡むのだった。

 となりの客が、連れの女性の鞄を褒めれば、その鞄の形をののしり、終いには客と殴り合いのけんかになる。

  結果、「二度と来るか」と怒鳴りながら出ていく客に、店主が頭を下げることになった。


 エヌ氏がそのように、ほかの客の主張や趣味に文句をつけるので、なかなか客が寄りつかなかった。

 ほかの客に文句をつけないときにも黙っているわけではなく、流れているテレビに向かって、おもしろくないやら低能などと口汚く罵り続ける。

 とにかく、エヌ氏の吐く言葉は否定ばかりで、話が耳に入ってくる者の多くは、酒や料理を楽しむ気が失せた。


 エヌ氏以外の常連たちは、彼がいないときに、出入りを禁止するように忠告したが、店主は黙って笑うばかりで、首を縦には振らなかった。

 常連客はわずかで、うわさのせいで新規の客も少なかったが、店は長く続いており、店主も金に困っている様子はなかった。


 あれはだめだ、これもだめだと、目につく物すべてを否定する勢いのエヌ氏であったが、ごくたまに、客の話やテレビの映像を、すなおに受け入れることもあった。

 ある冬の日、テレビにヒマワリが映ると、エヌ氏がつぶやいた。

「きれいだな。やっぱり、ヒマワリは黄色じゃなくて、オレンジ色だな」

 店主が「夏には、ヒマワリなんて大嫌いだと言ってませんでしたか」とたずねると、エヌ氏は「そうだったかな」と不機嫌そうに答えた。


 その日の閉店後、ほかにはだれもいない店内で、店主が電話に向かって報告していた。

「ヒマワリです。色はオレンジと言っていました。しばらくすると、ヒマワリのデザインが流行することになるでしょう。はい、謝礼はいつもの口座で結構です」

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