第28話 愚裏木村⑥

「こちらが浴場になります、ではごゆっくりお寛ぎ下さい」


 二人を案内してきた遥はそう言い残すと、元来た廊下を戻っていった。


「すご! 広いお風呂だねみちるちゃん」

「そうですね、檜風呂ってやつでしょうか。お風呂と言うよりまるで温泉みたいです」


 脱衣所と浴室を仕切る、すりガラスの嵌った戸を明け中を覗いた二人は感嘆の声を上げる。

 浴室はかなり広く洗い場だけでも三か所も設えており、木で出来た浴槽は4~5人で入ってもまだ余裕が有りそうな程だった。

 一般家庭のユニットバスとは一線画す造りに、二人のテンションは上がる。


「早く入ろう!」


 言うが早いか梨花りかはパッパと服を脱ぎ、脱衣所の籠に放り込んでいく。


「り、梨花ちゃん!」

「どうしたの? 満ちゃんも脱いで脱いで!」

 

 とっさに自分の手で両目を覆い隠した満、そんな姿を不思議そうに見返す梨花。

 人前で服を脱ぐことに余り抵抗のない様子の梨花とは対照的に、満は人の裸を見る事も人前で肌を晒す事にも躊躇していた。


「しょうがないな~手伝ってあげるよ、ほらバンザーイ」

「ひひひ、一人で脱げます! いや、あの、先に入っていて下さい! 私は忘れ物をしたのでちょっと取って来ましゅ!」


 動揺しまくりな満はそう言い残すと、脱衣所から逃げるように出て行ってしまった。


「じゃあ先に入ってるねー」


 一人残された梨花は走り去る満の後ろ姿に一声掛けると、満の態度に首を傾げながら浴室へ向かう。


「満ちゃんには悪いけど、今の内に貸し切り風呂を堪能させてもらおうかな」


 手早く体を流し湯舟へ浸かると、疲れが身体から染み出し湯に溶けて行く様な気分になる。

 少しぬるめの温度はゆっくり肩まで浸かるのにちょうど良く、いつまでも入って居たくなってくる。

 両掌りょうてのひらで湯を掬ってみると、少しトロミの有る白濁したお湯が指の間から零れ落ちた。


「普通のお湯じゃ無いんだ、満ちゃんが言った通り温泉? それとも入浴剤かな?

 匂いもなんか独特……嗅いだことのない香りだけどなんの匂いだろ」


 梨花はスンスンと鼻を鳴らし嗅ぎ慣れない匂いに首を傾げたりもしたが、考えても仕方がないと割り切り心地よいお湯を楽しむことへ気持ちをシフトする。


 湯に漬かりしばしぼ~っとしていると、視線の先に格子のはまった小窓が有るのを見つけた。

 

 とりたてて変わった物でもなく、興味を惹かれる物でも無いはずだったが、何故か気になってしまった梨花は、湯船から立ち上がるとそちらに近づき窓の外へ視線を向ける。

 屋敷の裏手に面している浴室からの眺めは、明かり一つない深淵とも思える闇が広がっていた。

 

「真っ暗……こっち側には他の家無いんだ」


 暫くの間、まるで何かに魅了されたかのように窓の外を眺めていると、暗闇に目が慣れてきたのか浴室からの僅かな明かりの中に景色が浮かび上がってくる。

 僅かに下った地面の先には手漕ぎの小さな船が見え、その船はゆらゆらと揺れそこが水の上である事を示していた。

 屋敷の裏手には大きな湖と思しき黒い水面が、まるで全てを飲み込まんとするように広がっていた。

 梨花はその景色にえもいわれぬ恐怖を感じ、ぶるりと一つ身震いする。


「か、身体冷えちゃったかな~」


 恐怖をごまかす為か、誰ともなしに呟くと慌てて肩まで湯に漬かりなおす。


「どうせならお兄ちゃんと一緒に入りたかったな~」


 お湯で再度身体が暖められいつもの調子を取り戻したのか、ポロリと口から溢れた自分の言葉で突如妄想が加速しだす。


『梨花、背中流してやるよ、こっち来て座りな』

『じゃあお願いしちゃおうかな、私の背中を流し終えたら今度はお兄ちゃんの番ね』

『ふっ誰が背中だけで終わりと言った? 俺が全身くまなく洗ってやるよ、もちろん梨花の大切な所もな』

『だ、ダメだよお兄ちゃん、兄妹でそんな事……アアン♡』


「フヘ、フヘヘヘヘ……」


 浴場で欲情、等と言っている場合では無い。

 顔を真っ赤にし鼻血を垂らしている梨花をこのままにしておけば、のぼせるか溺れるかの二択だろう。

 突っ込み不在で繰り広げられる梨花劇場、唯一頼みの綱である満は未だ戻らない。

 


「参りました。行くまでは深く考えていませんでしたが、一緒にお風呂に入ると言う事は当たり前ですがそう言う事ですよね」


 浴場から逃げ出した満は取り合えず部屋に戻ろうと、長く薄暗い廊下をトボトボ歩いていた。

 小学校の修学旅行は風邪で熱を出し行けなかった。

 中学の時は世界的に蔓延した流行り病のせいで中止になった。

 高校は三年生で行く事になるのでまだ先の話し。

 なので同年代女子と一緒に風呂へ入る様な経験は、今回初めてと言う事になる。

 そして何より衝撃的だったのは、他人の裸を目の当たりにした事だった。


「たかが一緒にお風呂へ入る……甘く見ていましたね。しかしこれしきの事で狼狽えるとは、私もまだまだ修行が足りません」


 一体何の修行なのやら、恥ずかしまぎれとも思える謎の言葉を呟く満。

 それと共にほんの僅か、指の間から見えてしまった梨花の肢体が脳裏にフラッシュバックし顔が赤らむ。

 

「ちらっと見えた梨花さんの肌……綺麗でしたね、お身体も年相応かそれ以上に育っていたと思います」


 それに比べ……


 満は自分の胸元を見て何とも言えない気持ちになる。

 

「有っても邪魔にしかなりませんが、世間一般的には無いより有った方が良いんでしょうね……」


 ほんのささやかなふくらみの胸に手を当てながら、ボソリと呟いた。

 身体の凹凸も目を凝らさないと分からないほど、おまけに背も低いので未だに中学生、下手をすれば小学生と間違われてしまう。

 と言うか、制服を着ていないと割と頻繁に間違われる。

 そんな身体に今まで不満を持った事は無かったのだが、いざ他人と比べてしまうとやはり自分の未成熟さが浮き彫りにされてしまう。

 しかも相手は年下である梨花なのだから、満としてはかなり複雑な思いだ。


晴明はるあきさんも、ああ言う女性らしい方の方がお好みなのでしょうか……」


 何故か晴明の姿が頭に浮かび、再び顔を赤く染めるがそれをかき消すかの如く、ブンブンと首を振る。


「わ、私とした事が何を! 晴明さん、いや! あやつは安倍晴明あべのせいめいの生まれ変わり!

 そう! 奴と私は終生のライバル、それが恋仲などと浮ついた関係になるなどあり得ない!」


 咄嗟に思い出した設定・・で、何とか自分の気持ちを落ち着かせようとするが、ここでふと有る事に気づく。


「いえしかし考えてみれば、晴明さんは浦戸うらと先輩のような方がお好みの様子、背丈では勝てませんが胸の大きさだけなら左程変わりません、ならば私にもワンチャン……」

「私がどうかした?」


 ビクっ!!!


 突然障子がスッと開き、部屋の中から麗美れいみが姿を現すと怪訝そうな顔で声を掛けてきた。

 どうやら考え事をしている内に、部屋の前まで戻って来てしまっていた様だった。


「ななな、何でも! と言うか聞こえてましたか!?」

「安心しなさい、そんなに大きな声じゃ無かったからほとんど聞こえてなったわよ」


「どうせ中二病いつものでしょうし」とは言われなかったが、麗美がそう思っている事はその呆れたような表情がありありと物語っていた。


「あなた一人? 梨花は?」

「梨花さんはお風呂に入っています、私は少々忘れ物を取りに……そう言う浦戸先輩はどちらへ?」

阿部あべ達が遅いから様子を見に行こうかと思ったところよ」

「そうですか、では私もお供します」

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俺の周りには変な女ばかり集まるんだが好きになった子が一番変だった件 ジョンブルジョン @mycroft1973

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