3、ノンフィクション(1)

 高校に入学したところで僕の生活には何も変化はなかった。周りの環境が変わっただけで僕は中学の時のままだ。


 中学の時同様、勉強も運動もたいして得意でない上に協調性に欠けていた僕に、友人なんて一人もできやしなかった。コミュニケーション能力に自信があるわけでもなく、会話すらもままならない。だから恋やら青春やらには疎かったし、縁もなかった。


 高校デビューなんて話をよく聞いた。あいつ中学の時はいじめられてたらしいよとか、不登校だったらしいよとか、根暗だったらしいよとか。そんな噂は滝のように流れてきた。正直どうでも良かった。中学の時から変わったからと言って、他人がとやかく言う筋合いはないではないか。少なくとも彼らは変わろうと努力して、そうやってどうにか青春にしがみつこうとしているのだろう。それができるだけ彼らは立派じゃないか。僕にはそんなことできなかった。だからこうして僕は、今も青春を蚊帳の外から眺めるしかできないのだ。


 高校初めての期末テストは赤点をギリギリ躱す程度の成績だった。勉強嫌いな僕にしては事前準備を頑張った方だった。それなのにあの点数なのは単に僕の能力が他の生徒より劣っているからなのだろう。僕は底辺にいるべきしているのだ。本当に僕は、この世界の残り物でしかない。


 部活もやっていない僕にとってテストが終わろうと放課後が忙しくなることはなかった。友人もいやしないのだから、家に帰る他やることなんてなかった。外は雨が降っていた。霧雨程度であったが高校まで自転車通いである僕にとっては程度なんて関係ない。合羽も傘もなかった為、家に着く頃にはずぶ濡れだった。


 部屋着に着替えてふと机の上を見やると、返却期限を三日過ぎた図書館の本があった。返しに行かなければと思い今度は傘をきちんと用意して、玄関の扉を開ける。


 するとそこには人影があった。調度インターホンを鳴らそうとしていたらしく、そいつは伸ばしていた人差し指を引っ込めると、代わりに手のひらを僕に挙げて「よう」と挨拶してきた。


 そこにいたのは安藤君だった。木曜日に僕ん家に来なくなってからというもの、話すことも全くなくなっていた為、こうして顔を合わせるのも久々だった。


 聞くと安藤君は先週までテスト勉強に集中していたらしく先週の少年ジャンプを立ち読みし忘れたらしい。僕の部屋には毎週ジャンプがあったことを思い出してウチに来たようだった。玄関で少し待ってもらってジャンプはあげてしまおうと思ったのだが、安藤君はここで読ませてよと図々しく家にあがる。僕は用意していた傘と図書館の本をしまって、渋々安藤君を部屋に入れた。


 安藤君は久々に入った部屋を見て、だいぶ変わったなと言った。高校に入る前に模様替えをしたから、確かに安藤君が知っている部屋とは少し違っていたかもしれない。悪いな、読んだらすぐ帰るから。安藤君はそう言って部屋の隅で静かにジャンプを読み耽る。思えばこの部屋で誰かと二人でいるというのは僕の人生の中で初めてだった。誰かを二人入れてやることはあったというのにまったくおかしな話だ。


 安藤君はジャンプを読み終わった後も結局すぐには帰らなかった。何故か僕にずっと話しかけてきて、それに僕も応えた。安藤君は僕と同じ高校に通っていた。正直知らなかった。蚊帳の外の僕には、周りの情報すらも入ってこないのだから仕方がない。


 しかし安藤君は言う。清嶋は他人に興味がなさすぎるな、と。


 急になんだと思った。なんで僕が安藤君にそんなことを言われなければならないんだ。安藤君は僕とは別世界を生きている。天の上の存在で、僕みたいな底辺のことを何もわかっちゃいない。


 誰にも話しかけられないし、誰も僕に関わろうとはしない。そういう状況を、そういう人間性を、そういう青春の生き方を、安藤君は知らない。だからそんなことが言えるんだ。


 違う、全然違う。僕が他人に興味がないなんてそんなはずないじゃないか。


 僕がそう言うと安藤君は首を横に振って応えた。着ている制服が同じだろ、他人に興味が少しでもあるならそういうのにだって気づくだろ。


 見れば確かに安藤君は僕と同じ制服を着ていた。そして安藤君はこう続ける。でもまぁ僕もそうだから、他人にとやかく言う筋合いはないんだけどな。


 安藤君は一人で話し始めた。


 安藤君は部活動に入っていなかった。中学の時サッカー部のスタメンで、試合でも活躍していると聞いたことがある。それなのに安藤君はその経験をなかったことにしていたのだ。安藤君には高校に友人がいなかった。コミュニケーション能力に長けていたはずなのに、全く他の生徒と話そうとしないらしい。弁当も一人で食べていると聞いた。安藤君は変わってしまっていた。周りでは千載一遇の機会だと言わんばかりに高校デビューに尽力しているものもいるというのに、安藤君はその逆を歩いていた。あれだけ高い所から僕らを見下ろす存在だったというのに、彼は自らそれを捨て、飛び降りてきていた。僕には意味が分からなかった。そんなことをする理由が、そんな馬鹿なことをする意図が、わからない。せっかく持った才能を、せっかく手に入れた青春を、手放して何の得があるんだ。


 安藤君は言うのだ。


 もう、疲れちゃったんだよ。本当の自分を殺して、周りに合わせて明るく振舞って。実力より過大評価されて、高望みされて、勝手に期待される。そんな虚構まみれの生き方に、疲れちゃったんだ。だからもう、いいかなって思った。周りの皆はすごいよ。なんで皆あんな生き方ができるんだろうな。僕にはわからない。


 気づけば僕も安藤君に色々な話をしていた。自分の考えを、自分の生き方を、安藤君に、安藤に、ぶつけていた。安藤はあの日から、週に一度少年ジャンプを読みに僕の家に遊びに来るようになった。


 こうして安藤が、僕にとっての初めての友人になった。

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