2、フィクション(5)

 確かにあれは事実だ。あの部屋にはカメラがあって、あの部屋で何をしていたのかは全て記録されていた。


「小説じゃあデータを高値で売ったなんてあったけどあれは嘘でしょう? そんなこと一般人に簡単にできるわけないし、あまりにも現実味がない。だったらデータはどこかにまだ存在する。そうでしょ?」


 佐倉の言う通りだ。確かにデータは売ってない。売れるはずなんてない。佐倉は小説を読み込んでいて、それでいて真実と虚構をほぼ見分けていた。僕はもうこれ以上、嘘をつくことはできない。


 つけるはずもなかった。だって佐倉は……佐倉は僕の上で包丁を握りしめながら。


 泣いていたからだ。


「私は……あんな黒歴史消したいの」


 握っていた包丁から手を放して佐倉は僕から降りる。


「私は……昔の自分を殺して、変わったんだから。こんなに頑張って。だから勉強もしたし、なるべく私のことを知らない人がいるところで生活して。なのに。こうやって過去をほじくり返されて。小説ならフィクションで通せる。こんな事実私たち以外に知ってる人なんていないから。でも映像は違う。私が写ってる。中学の時の私と、そして……」


 頬を伝う涙を拭って、そして佐倉は言う。



「盗撮をされていたのだとしたら。中学の時の私と、そして中学の時の安藤君……そう、が一緒に写ってる」



 僕は中学の時、一度だけ彼女である佐倉を泣かせたことがある。僕から佐倉に別れを切り出した時だ。そして今日がサクラを泣かせた二回目となってしまった。


 そう、あの時僕は同じクラスの清嶋に頼んで、木曜日の放課後、彼の部屋を借りた。佐倉とセックスをするためだけに、あの部屋を借りたんだ。その出来事を小説にした。主人公は清嶋だ。全ては僕が高校の時、清嶋本人から聞いた話だった。


 僕は佐倉に全てを話した。高校の頃、僕と清嶋は同じ学校で、そして仲良くなったこと。その時に聞いた話を小説にしたということ。清嶋が盗撮をしていたことも、そして佐倉のことを好きになったことも全部本当であるということ。でもデータは売っていないということ。データはもう、この世に存在していないということ。全てを話した。小説と現実の違いを答え合わせしていく。


 佐倉は僕の話をただ静かに頷きながら聞いていた。


「これが……この物語の真実。本当に……ごめん」


 すると佐倉はぬらりと立ち上がって、持ってきた包丁を台所に片すと、戻ってくるなり僕の頭を平手で叩いた。


「自分の名前だけ伏せるの、ずるい」


 ぐうの音も出ない。


「データがないってのは……本当なの?」


「ああ、本当だよ。もう存在しない。僕の目の前で壊したから」


「そう……」


「清嶋のこと、許せない?」


「……どうかな。撮られてたってことには確かに驚いたけど……昔の話だから。それに部屋を貸せだなんて言ってた私たちの方も悪かったから……データがないのなら私はもう何も言わない」


 清嶋は本当に佐倉のことが好きだった。僕に罪の告白をすると同時に佐倉に抱いていた想いをアイツは事細かに話していた。だから僕は去年、小説を書くにあたって佐倉のことだけは慎重に書くことにしていた。佐倉についてだけは虚構を交えないことにした。清嶋のサクラへの想いに関しても誇張も不足もないように書いた。あの物語を僕が書くのだとしたら、清嶋はそうして欲しいと思うはずだからだ。


「あの……さ、安藤君」


「何?」


「ところで……清嶋君は今どうしているの?」


 正直なところあまり聞かれたくなかった。あえて僕は清嶋の最後を答え合わせしなかったというのに。でもここまで話してしまったのだから気になるのも致し方ないだろう。


 僕は言った。きちんと。佐倉に。清嶋がどうなったのかを。



「清嶋なら……死んだよ」



 あの小説を読み込んだ佐倉でも想像しえなかった主人公のラスト。佐倉は主人公が死んだことを嘘だと考えていた。でもそれだけは、間違っている。


 清嶋は死んだのだ。


「え……嘘、だよね」


 嘘じゃない。


「ど、どういうこと? 何で? どうして?」


 佐倉の反応とその表情は、正直僕にとって想像を遥かに上回るものだった。驚きと、そして悲しい表情。大して清嶋に特別な感情はなかったはずの佐倉がこんな反応をするだなんて思ってもいなかった。


 なあ、清嶋。佐倉は今こんな顔をしているぞ。佐倉は今、お前が知ってる佐倉とはだいぶ違って、あの時よりもっと可愛くなってるぞ。不良でもなくなったみたいだ。なあ、清嶋。こんな佐倉をどう思う。こんな佐倉でもやっぱりお前は、佐倉のことが好きでいられるか。変わってしまった佐倉を見たら、お前は一体何て言うんだろうな。お前はよく自分のことを残りカスだなんて言っていたな。自分が死んでもクラスメイトは誰も悲しまない。それどころか自分のことを覚えているやつなんていない。そう言ってたな。


 でも佐倉は、覚えてたぞ。


 お前の名前も、お前が好きだって思っていたことも。

 


 まるであの日のことが、昨日のことのように思える。


 確かあれは……そうだ。夏休みに入る前のことだ。


 あれは期末テストが終わって間もない、ある雨の日の出来事。


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