2、フィクション(4)
二十四時を回っていたというのに、佐倉と僕は小説を書き始めていた。あの時止まってしまっていた物語が再び動き出す。登場人物により一層の人間味が生まれ、物語にも深みが増す。自然と物語の続きが湧き出てくる。指が勝手に動く。後ろで佐倉が助言をしてくれているだけで、今までとは雲泥の差があった。僕は今日、初めて小説を書くのが楽しいと感じた。三時を回ったあたりで、小説の九割が出来上がっていた。短編小説とはいえこの速さは僕にとって異例で、終着点が見えているということも僕にとっては初めてだった。
使わないコピー用紙に今後の物語の展開を書いていく。佐倉は鉛筆で登場人物の性格を事細かにまとめ、まるで本当に実在する人物のように彼らを分析し、僕に語る。佐倉自身もあまりに没頭していたからか、誤字をしてしまった時に消しゴムを探そうと無意識に僕の机の引き出しに手をかけていた。
「あ、ごめん勝手に……っ。何で……鍵をかけてるの?」
「大事なものが入っているから」
引き出しには鍵がかかっていたから開かなかったが、きっと開いていたら消しゴムを探すために佐倉は引き出しをひっくり返していたのではないだろうか。それくらいサクラも真剣に考えてくれていた。
もしかしたら。僕は。小説を書くのが好きなのかもしれない。経験したことを大袈裟に書いても、経験したことのないことを想像で書いてもいい。現実なんかよりよっぽど魅力的だと思った。ただこの感情は果たして純粋に小説の執筆活動に向けられたものなのかどうかわからなかった。もしかしたら佐倉という存在が。佐倉と一緒に小説を作るということが、僕にとって楽しかったのかもしれない。
その晩、佐倉は僕の家でシャワーを浴びて、そして佐倉と僕は同じベッドで夜を明かした。僕は夢の中でさえ佐倉と一緒に小説を書いていた。こんなことは初めてだった。
こんなに楽しいと感じたのは久々だった。
佐倉のことを見直していた。
だから。だから。だから。
だから僕は見なかったことにしたかった。
できれば夢であって欲しかった。
気づかなければ良かった。
朝、目なんて覚めなければ良かった。
朝、目が覚めると隣に佐倉はいなかった。代わりに洗面所の方からガタガタと大きな物音が聞こえてくる。部屋を見渡すと机の上は散らかっており、クローゼットは開けられていて、中身が外に放られている。バタバタと足音が聞こえてきて、それが近づいてきているのを悟ると僕は寝たふりをした。うっすらと目を開けて確認すると、佐倉だった。佐倉は僕の部屋をあちこち見渡して、なにやら物色していた。机にかけられた鍵をどうにかこじ開けようともしている。
さすがに我慢の限界だった。
「佐倉さん……何をしてるんだ」
僕は佐倉の背中に声をかける。
佐倉は僕の方にゆっくりと振り返る。その表情は僕がよく知っている佐倉と同じだった。不機嫌そうなあの表情を僕は何回も何回も見てきた。
「ここ、開けてくれる?」
「なんで?」
「なんでじゃねぇよ」
変わる。佐倉が変わる。昨日の佐倉ではなく、あの頃の佐倉が僕の前に現れる。佐倉は一旦台所に戻ると包丁を右手に握りしめて帰ってきた。そして刃先を僕に向けてもう一度言う。
「いいから、開けろよ」
佐倉がどこまで本気かわからない。ただ、あまりいい状況でないことは確かだった。僕は佐倉に言われた通りに机の鍵を開けてやった。
引き出しを開けるなり中をひっくり返す。佐倉が一体何を企んでいるのか僕にはわからなかった。ただその引き出しには僕の大事なものしか入っていないのだから。
「なんだよこれ……」
引き出しの中に入っているのは数十枚の原稿用紙。去年書いた小説の原本だった。
「ふ、ふざけんなよ」
佐倉は僕の上に乗っかると、包丁を喉に向けて言う。
「どこに隠してんだよ!」
「何の話をしてるんだ」
「持ってるんだろ?」
「きちんと説明しろ、僕にも何のことだかわからない」
「じゃあ、どこからどこまでが本当なんだよ!」
「……は?」
「私はただ……昔の自分を消し去りたいだけなのに」
意味がわからなかった。佐倉が一体何を探していて、そして何がしたいのか。
「撮ってたんだろ……?」
「……え」
「中学の時、撮ってたんだろ?」
「撮ってったって……」
「パソコンの中にデータはなかった。だったら外にあるんだろ」
浮かび上がってくる。佐倉が何をしようとしているか。佐倉がなんで僕に近づいてきたのか。佐倉がなんで僕の家に来たのか。佐倉が何でパソコンを開かせようとしたのか。佐倉は昨日言っていた。どれが本当でどれが嘘かなんて、何となくわかる。そう、佐倉は本当に分かっていたのだろう。そして中学の時、自分があの部屋で盗撮されていたということも、彼女の中では本当と判断していたのだ。佐倉はあの時のデータを奪いに来たのだ。
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