2章2 尻尾が二つある猫がいました。

 暑中見舞いのハガキは、二人で取り掛かったこともあって、午前中には終えてしまった。

 二人はしばしの休憩を挟みつつ、軽く会話をする。

 すると、今日のうちに暑中見舞いを出してしまおうという話になり、二人で一緒に郵便局へ行くことになった。


「今日は外が暑いので着替えますね」


 深雪は水色の絽の薄物に着替えることにした。外は暑いから涼し気な格好にするのだ。

 見た目が涼しいと気持ちも涼しくなる。気持ちが涼しくなると空気も涼しく感じる。

 そういうものだ。


 崇正は朝から変わらずの着流しのままで良いらしい。これで見た目も体感も十分涼しいから、着替える必要も無いそうで。


「深雪はいつも着物だよね。振袖とかは着ないの? 夏用とかの多分あるよね」


 着替え終わった深雪が部屋から出ると、扉の外で待っていた崇正が、ふいにそんなことを言った。

 思わず深雪は顎に手を当て思案する。

 そういえば、振袖を着たことがない。着て見たいと思ったことは……あると言えばある。

 けれども、座敷牢時代にはそんなものは与えられることも無く、つまり着る機会が無いまま今に至ってしまった。


 これから先に、振袖を着る機会がもしかしたら訪れるのだろうか? いや――きっと訪れることは無い。それは、振袖が未婚・・の女性の装いだからである。


「……わたしはもう旦那さまの妻ですから」

「え……?」

「振袖は結婚していない人が着るものではないかと。それとも、わたしに妻を辞めろと……?」


 むすっと深雪が口を尖らせると、崇正は慌てて身振り手振りで否定した。


「ち、違うよ。女性の格好にどういう理由があるのとか、そういうのが、分からなかっただけで……」


 慌てる崇正を見て、深雪は薄く笑んだ。

 深雪のからかうような言葉に戸惑う崇正。これは、新たな日常の一幕になりつつある光景であった。


 ……ちなみに。

 振袖を着れないことを深雪がどう捉えているか、ということについてだが、その答えは単純であり『別に構わない』である。

 残念に思わないでもないけれど、崇正の妻であることのほうが、もっと大事だったから。





「よし終わったね」

「はい」


 暑中見舞いを出し終わり郵便局から出た――その時だ。深雪の足に何か柔らかいものが巻き付いて、引っ張られた。

 思わず転びそうになったが、すんでのところで助かった。崇正が抱きとめてくれたのだ。


「……危ない」

「ご、ごめんなさい」

「いいよ。深雪のせいじゃない。……下を見て」


 言われて深雪が視線を落とすと、長い尻尾を二つ持つ猫がいた。

 どうやらこの猫が犯人のようだけれど……尻尾が二つとはなんとも異な猫だ。

 猫は深雪を見上げて、ごろごろと喉を鳴らしていた。


「えっと……尻尾が二つ……」


 実物の猫を深雪は見たことがない。しかし、知識としては知っている。その情報によると猫の尻尾は一つ……。

 深雪が怪訝に思っていると、崇正が言った。


「……普通に生きているとあまり見る機会は無いけれど、この猫は物の怪だよ」

「物の怪……」

「うん。妖怪という言い方をする人もいるね」


 猫はいまだにゴロゴロと喉を鳴らして、そして、それから崇正の方を見て、なんと人間・・・・・の言葉を喋った・・・・・・・


『浅葱の旦那。にゃにしているかと思えば、なんにゃこの雌は』

「……雌っていう言い方は酷いね。僕の妻だよ」

『番を見つけたかにゃ?』

「いちいち言い方が……。というか謝ってよ? 転んだら怪我したかも知れないんだから」

『……ごめんにゃーん』


 猫は深雪に軽い謝罪を述べると、『それにゃあ』とその場から去って行った。

 突然の出来事に驚いた深雪は、瞬きをしながら、ゆらゆらと動く二つの尻尾を眺めていた。

 すると、猫は途中で景色と同化するかのようにふっと姿を消した。


「今の猫は一体……。お知り合い、ですか?」

「まぁ仕事柄ね」

「仕事柄……?」


 確か崇正の仕事は軍人だ。一体全体どうすれば物の怪と接点が出来てしまうのだろうか?


「……そういえば、僕の仕事を詳細に言ったことが無かったね。今の仕事に就いた経緯も含めて、良い機会だからきちんと教えようか」


 深雪はゆっくりと頷いた。

 教えて貰えると言うのであれば、素直に知りたいことであった。

 妻が旦那の仕事内容を知らないというのもおかしなことであるし、それに、物の怪という言葉には興味が湧いていた。

 自分自身が”狐憑き”だから。


 近くの喫茶店へと入り、頼んだ紅茶が運ばれて来たところで、それから崇正は自身の仕事について話し始めてた。


「……僕が軍人ということは深雪も知っていると思う」

「はい。それは……」

「それでね、軍隊という組織は大きいんだ。だから、世間には隠されているような、一風変わった部署があったりもしてね。僕が在籍している部署がまさにそれで、妖怪や物の怪の類の対処を扱っているんだよ。……そして、僕がこの仕事に就くキッカケになったのは、深雪、君なんだ」


 それは、深雪にとっては、想像もしていなかったような話であった。

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狐憑きのわたしが嫁いだ相手は軍人将校さまです。 陸奥こはる @khbr_ttt

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