第29話 聖なる者



「…デュラン様。全員事切れております」



スペンサー達騎士団内の″強硬派″による、「セルニウス騎士団」への襲撃。

セルニウス騎士団のトップ、スタンフォード騎士団長から、″大神院″の計画について情報を得たスペンサー達。


彼らが既に去った後、スタンフォードの屋敷周辺には、街の治安維持部隊が来訪し、隊からの要請を受けた「司法院」が現場検証に当たっていた。


「…凄い数の死体だ、フランソワ。この通りで大規模な戦闘があったようだな。この死体を見てみろ。″セルニウス騎士団″の団員だけではない。″ミュートン騎士団″の団員達も、大勢死んでいる。」


司法院長官のロベール・ド・デュランは、そこかしこに横たわっている死体の隊服を見て、彼らがどの騎士団か、その種類を判別する。


「セルニウス騎士団に、ミュートン騎士団ですか…その2つの騎士団は…」


「…ああ。騎士団の中でも″大神院″に友好的な″穏健派″……

その2つの部隊が、かくも無惨な状態になっているということは…」


ロベールは、深く思慮せずとも——目の前で横たわるこの騎士団″穏健派″の死体達は、騎士団内″強硬派″の仕業であると、半ば確信する。



「…フランソワ。この男を見てみろ。」


デュラン長官は、眼前に横たわる大男の死体を指す。


「…この男… ミュートン騎士団のゴドウィン騎士団長?」


「…そうだ。ひどく惨たらしい殺され方をしている。顔は潰されて、手足の骨は折られ、体中に内出血痕が。…相当に痛めつけられたのだろう。

…こんな酷い殺し方をする人間は、おそらく…」


「…アンバー・フェアファックス…」


デュランの副官たる、フランソワが呟く。つい先刻まで行われていたであろう凄惨な暴力を想像して、彼はゴドウィンに心底同情した。


「…守護者様の式典も近付いているというのに、何故騎士団″強硬派″と″穏健派″が今、このような戦闘行為に及んだのか…決して偶発的な戦闘ではないはずだ」


デュランは考える。


「…穏健派の騎士団とて、無駄に強硬派とは戦わないはず。何か理由が—」


「長官。屋敷の中に、生存者がいました。」

デュランが思案するのも束の間、調査員の一人が、生存者を発見したようだ。


「…騎士団の人間かね?」


「…はい。その人物とは、″セルニウス騎士団″の団長、ジョージ・スタンフォードとその娘です。」


「スタンフォード騎士団長が…

なぜ、彼らだけ生き残っている?」


デュランの問いかけに、調査員はしばし考えこむ。


「…どうやら状況的に、彼は拷問にかけられていたかと。…彼を保護しましたので、話しますか?」


「…そうだな。」


デュランは、あまり乗り気ではなかった。


スタンフォードが、″大神院″の協力者であることは知っている。そんな彼を、おそらく騎士団″強硬派″が拷問にかけて、彼から何らかの情報を引き出したのだ。その過程で、戦闘も起きた。そして、スタンフォードとその娘だけが、生かされた。

…娘だけ、が。


そんな状況下で想像できるのは、絶望の淵にあるスタンフォードとその娘の顔だけだ。


「…スタンフォードはおそらく、″強硬派″の連中に、何らかの情報を渡したのだろう。

…大神院にとって都合の悪い情報を。」


いわばスタンフォードは、大神院にとっての裏切り者となる。

大神院を裏切った人間が辿る末路は、暗いものだ。それを知っているからこそ、デュランは彼らに同情する。


しかし「司法院」の長官として、もし大神院から「裏切り者」の捕縛指示が入れば、デュランは従わざるを得ない。司法院は「大神院」直属の組織であるのだから。



デュランは屋敷の中に入った。

建物内もやはり、廊下や部屋という部屋に、セルニウス騎士団の団員達の死体が転がっていた。


「…まったく連中も容赦がありません。騎士団同士で殺し合うとは…」


フランソワが息をつく。


「…殺し合う、というよりも。これは一方的な殺戮だ。騎士団内″強硬派″と″穏健派″とでは、戦闘技能に差がありすぎる。」


デュラン長官が、そう冷静に呟く。

そして同時に、もし″強硬派″の攻撃の矛先が、自分達に向いた時のことを想像し、若干の戦慄も覚えていた。


「…長官。この部屋です。」


屋敷の最上階にあった部屋に入るデュラン。

その部屋の奥には、力なく項垂れる少女の姿があった。


少女の目元は、泣いた跡のように真っ赤になっていたが、今となってはその両目は——絶望の淵に立たされたかのように、茫然としている。


端には、治安維持部隊員によって、鎖で吊るされていたスタンフォード騎士団長が解放されていた。


スタンフォードは鎖から外されて、まず最初に″生き残った″娘を強く抱きしめた。


「…すまない、アリス。…すまない…」 


その謝罪の言葉は、しかし生気を失った目をしている少女の耳に、果たして届いていただろうか。母と兄が死んだという″現実″が今、実感を以て少女の精神へ、重くのしかかってきた。そしてそれを受け止める心の容量は、当然ながら少女には存在せず。ただ茫然と——魂の抜けた人形のように——スタンフォードの娘は、強い精神的ショックの渦中に晒されていたのだ。


「…騎士団長……これは一体…」


デュラン長官が、概ねの状況は理解しつつも、スタンフォードに尋ねる。


「…デュラン長官…」


スタンフォードは絶望とした面持ちで、擦り声でデュランに返答する。


「…スペンサーは、知ってしまった…

大神院の計画を……

私は、大神院に殺されてしまう…」


みなまで聞かずとも、デュランはスタンフォードがしたことを理解する。

大神院に関する情報漏洩。拷問され、彼は騎士団″強硬派″に、秘匿していた情報を吐いてしまったということ。


「…お前は、司法院長官として…大神院からいずれ命じられるはずだ。…私を捕らえよと」


スタンフォードの言葉は考えるまでもなく、そうなるだろうとデュランは思った。スタンフォードは大神院の情報を漏らしてしまったのだから。


「…私のことはいい。私は、どうなってもいいんだ…だが、娘だけは……」


スタンフォードの僅かな願い。それは自問しているのか、デュランへの哀願なのかはわからない。


「…娘だけは。アリスだけは、助けてほしい…彼女に、罪はないのだ…」


「…それは私への頼み事、ですか?」


デュランがスタンフォードに尋ねる。


「…娘だけは見逃してほしい、と?…大神院は、情報漏洩した貴方を許さないだろう。あたの家族も、ただでは済まない。

…娘を見逃せば、私自身も大神院への離反行為をしたことになる。」


冷たく言い放つデュラン長官に、しかしスタンフォードはそれでも縋る。


「…私が、そんな″リスク″を冒すメリットは?」


デュラン長官は冷然と、そう言い放つ。しかし彼の言葉とは裏腹に、デュランの心中は、この娘を″助けるべき″だとは思った。 


この娘に罪はない。


罪はないが…彼は、司法院長官としての職責も果たさなければならない。…大神院には逆らえない。


「…頼む、デュラン長官。娘だけは…」


「…それは、難しい相談です」


そう、これは難しい相談だ。

曖昧な表現は好ましくない。だが、自分の心にまで嘘はつけなかったデュラン長官の本音が、僅かに垣間見えた。


イエスかノーか。


答えに窮したならば、明言すべきではない。


だが最後に行動の要否を決定づけるのは、自分自身の″心″だ。

″心″が、その人間の行動を導く。


勿論それは、「勇気」を持っていることが前提となるが。







—————





「…では、体にお気をつけて」


「…はい。ありがとうございました」



ビアンカ・ラスカーは、聖エストリア記念病院に入院してすぐに、もはや大事はないと判断され、早急に退院することになった。

おそらくまだ肋骨が何本か折れているが、「その程度」ならば、わざわざ病院で療養する必要もない。

なによりこの″聖エストリア記念病院″は、次から次へと患者が運びこまれてくるので、病床もすぐに埋まってしまう。なので、よほどの緊急性がない限り、患者はすぐに退院させられる。



「…ラスカー。久しぶりだな」


病院を退院したラスカーを迎えに来たのは、レンバルト校長だった。


「…校長。お久しぶりです。

…ゲーデリッツ長官から、レンバルト魔法学校関係者が何人か…首都アルベールに来ていると聞きました…」


その言葉の通り、ラスカーを迎えに来たのは校長だけではなかった。

魔法学校教員のアルヴァン・リーベルト。

学園内にある図書館館長の、ハインリヒ・フィッシャー。

そして魔法学校生徒のローラとモーフィアスの姿もあった。


″守護者″様の式典に参加するため、レンバルト魔法学校から数人が出払っている。

ローラとモーフィアスに関しては、″卒業生代表″という位置づけなのだろう。彼らは魔法学校の中で優等生だった。


「…ラスカー先生。随分と壮絶な旅をされたようで。…もっと自分の体を大事にしないと、いけませんぞ?

命は一つだけなのですからね?」

フィッシャー館長が、まだ全快とはいえないラスカーを心配する。


「…しかし、無事でなによりです。

国境付近ルートは危険ですから、心配していたのですよ…」

リーベルト先生もまた、ラスカーの身を案じていた。


「…昔からあなたは、無茶ばかりしますから。ルークの″黒き魔法″が発動した時も…彼を止めたのは、あなたでしたね」


リーベルトはそう言いながら自らの、灰色混じりの白髪の頭を軽く掻いた。


「……ルークは、私の生徒ですから。助けるのが、教師の務めです。

…あなたと同じですよ、リーベルト先生。」


リーベルト先生も、ラスカーと同様。魔法学校の卒業式で、ルークの「黒き魔法」が発動した際、身を挺して生徒達を守った。

その際「黒き魔法」の炎を肉体に受けた彼は、体に大きな火傷を負ってしまったのだ。


「…あのときは、本当にごめんなさい。リーベルト先生、私達がグズだったから…」


そのリーベルトに助けられた当人達——ローラとモーフィアスもこの場にいた。

ローラは″その時″のことを思い出して、再度リーベルトに平謝りする。


「いやいや、ラスカー先生の言う通り…生徒を守るのが、教員たる私達の仕事だからな…

謝ることはない。君たちが生きのびていることが、私の喜びだよ。」


リーベルト先生は、そう言いながら笑顔を見せる。それを見て、なおさらローラは申し訳なく思った。


「…でもリーベルト先生は、深い火傷傷を負ってしまった…」


ローラはそう言うと、横にいた眼鏡の男——モーフィアスをちらっと横目で見ながら、彼に悪戯っぽい目つきを送って、モーフィアスを弄る。


「モーフィアスがもっとしっかりしていればねぇ…」


ローラは、自身の桃色の髪を指でいじくりながら、冗談めいた口調でモーフィアスを非難する。もちろん冗談なので、そこに本心からの非難はない。しかしモーフィアスは、そんな彼女の言葉を聞いて、ひどく狼狽していた。


「ロ、ローラ!?いや、すまなかったよ…!

僕があの時、もっとしっかりしていれば…

…でも、次危険なことが起きたら…その時は、絶対君のことを守るから…」


モーフィアスの言葉に、ローラは嬉しそうに笑みをこぼす。


「…ふふ、冗談よモーフィアス。

″あの時″は、お互いにどうしようもなかったんですもの… 身動きが取れなくて、本当に怖かった…」


ローラとモーフィアスは、もっぱら付き合っているとの噂だ。2人は否定しているが、常に行動をともにしているし、会話の端々を見てても、2人は恋人のように″戯れた″会話をしていることがある。本人達が、他者からそう見られているのに、気付いているかどうかはわからないが。


「…まあ、″いろいろ″とあったが、こうしてみんな生きている。それだけでも感謝しようじゃないか。″我らの生″に。」


レンバルト校長が、閉めるように言葉を紡ぐ。


「…そういえば、ベルナール副校長は?」


ラスカーが校長に尋ねた。


レンバルト魔法学校関係者が、″守護者″様の生誕20年の祝賀式典に出るならば、当然学園のナンバー2たるベルナール副校長も来ているはずだ。無論彼のことを、ビアンカ・ラスカーはしごく嫌っているが。


「…ああ、副校長は別行動だ。」


「別行動?」


「…ああ。私も十分には把握しておらん。」


レンバルト校長の言葉に、ラスカーは不安を覚えた。


「…そんな。校長が把握できないほどの、副校長の用事って、何なんです?」


ラスカーが校長に詰め寄るが、やはりレンバルト校長は何も知らないといったように、言葉を返す。


「…ベルナール副校長も、何かと多忙なのだ。貴族、財界…やつはいろんな″方面″に顔が利く。魔法学校の副校長というのは、あの男の仕事の″全て″ではない。…故に、やつの行動を制限することは出来ん。」


行動を制限出来ない。それは確かに、そうかもしれない。しかし、だからこそ——


ラスカーは、校長に伝えなければならないことがあった。

ゲーデリッツ長官に「口止め」されていた、ルークの「黒き魔法」の存在…

それを、学校関係者の何者かが、「司法院」に密告した可能性があることを。


ラスカーは、ベルナール副校長を疑っていたが、出来れば校長と2人きりで、この話をしたかった。


「…そういえばレンバルト校長。ベルナール副校長まで学校を離れて、学校の運営のほうは大丈夫なのですか?」


「…ああ、その点に関して心配はいらぬよ、ラスカー。教務主任のロージー・コネリー先生が、学園を統括してくれている。彼女は優秀だから、大丈夫だろう。」


「…そうですか」


「…ともかくラスカー、あまり長居していては、病院に迷惑がかかる。ひとまずここを出ようか。」



ラスカーとレンバルト校長達は、病室を出て施設の出口へと向かう。

まだ足元のおぼつかないラスカーに、レンバルト校長は肩を貸した。


「…大丈夫か?…まだ本調子じゃないようだな、ラスカー」

「すみません、校長…」


病院内では、医師とその補助者たちが忙しなく動いている。

首都最大規模の病院とはいえ、まるで野戦病院かと思うほどに、病院職員達は走り回っていた。


「…随分と、忙しそうですね。」


「…ああ、先程も″難民″による犯罪で、多くの死傷者が出たらしい。」


校長が渋い顔つきで、ラスカーに返答する。


「…難民が?」


「ああ。私も詳しくはわからんが、首都では難民による犯罪が、ここ最近急激に増えておるようだ。…そのせいで街中の病院が逼迫していると。患者に対しての医師の数も少なく、″軽症者″ならば、すぐに門前払いだ。」


ラスカーは校長の話を聞きながら、廊下からのぞく病室に、ふと目をやる。


「…しかし、″難民″の患者も多いようですね」


病院内の患者には、都市の住民だけではなく、外国語を話す患者も複数人いた。それは明らかに、エストリア王国民ではなく——外国人。つまり難民達であろうことは、容易に想像できた。


「…彼らはおそらく——

都市郊外の鉱山や洞窟で、″危険労働″に従事している″難民″達でしょうね…」


ラスカーの疑問に答えのは、校長ではない。レンバルト魔法学校の図書館館長であるフィッシャーだった。


「危険労働…」


「ええ。難民達は魔法を使えますから。″危険地帯″での作業やら何やらで、魔法を使っているのです。″使い魔″とかも、使っているでしょうね。鉱山等の労働は、過酷ですから…」


「………」


その危険労働に従事している難民達が、負傷して病院に運びこまれてくる。

首都の病院医療が逼迫しているのは、それも理由があるのだろうか。


しかし難民による犯罪に、難民労働者達…

首都において、難民の数が想像以上に多いことに、ラスカーは驚きを隠せない。


国境地帯では、警備隊達が難民を無差別に殺していたが、さすがに首都で同様のことは出来ない。「法の支配」が行き届いた都市部はともかく、国境地帯は、「大神院」や「司法院」、果ては「王室」ですら支配が行き届かないほどの、無法地帯であったということだ。


「…魔法使いの立場も、複雑でしょうね…」


フィッシャーが呟く。


「東の国から来た難民達は、魔法を使えますから。難民が魔法を使って犯罪を起こす度に、アルベールの住民達は″魔法″に対して恐怖や嫌悪を抱く。その怒りの矛先は、″正規″のエストリア王国民である″魔法使い″達に向かう恐れもある。」


難民達は、国境付近のみならず都市部をも侵食している…

それに危機感を感じる市民が増えているのは、火を見るよりも明らかな現実だった。


「…そういえば、以前ルークを助けた時…

人身売買のブローカーが、難民の子ども達をさらって売り払っていた… そう、たしかクルーガーという名の男です。」


ラスカーはふと、ルークとスヴェンを助けた時のことを思い出す。フランドワース地方の運送屋たる″ジョージ・ハース″が、人身売買の仕事を請け負っていた。その元締めは、クルーガーという男だった。


「…国境付近では、人身売買を目的とした犯罪組織が跋扈している。…それだけではありません。国境付近の町には、違法薬物草に指定されている″ガンビラ″の葉も蔓延していました。」


ラスカーは頭の中を整理しながらも、国境地帯が「犯罪行為」の温床になっている事実を、改めて認識する。


「…問題なのは、国境地帯だけではありません。クルーガーという人身売買ブローカーの男…彼はフランドワース地方でも堂々と犯罪行為を行なっていました。

田舎地方の治安を守る治安維持部隊に賄賂を渡して…彼は、″中央″の目があまり届かない—

地方部の″司法院″幹部とすら、癒着していた可能性があります。」


ラスカーの予想は、概ね事実だった。


以前スヴェン・ディアドールの処遇をめぐって、ゲーデリッツ長官が「司法院」所属のパルマ検事官を脅した。その脅迫材料となったのは、検事官と人身売買ブローカーであるクルーガーとの、癒着である。


クルーガーはパルマ検事官に、犯罪行為を見逃してもらう見返りとして、ワイロを渡していたのだ。


「法」の執行者たる「司法院」ですら—

その隅々を見渡せば、″腐敗″が蔓延しているのだ。


「司法院か…

あの組織はもはや、″大神院″の犬だ。

だが司法院のデュラン長官は、組織内の″汚職撲滅″に力を入れているとは聞くが…」


レンバルト校長が言う言葉を、しかしラスカーは素直に受け取らない。


「…でも所詮は、″大神院″の犬なのでしょう?

大神院には逆らえない」


「…まあ、そうだな。

司法院を作ったのは、大神院だからな。」


長々と話しこんでいる間にも、だだっ広い院内の正面玄関に出た。

そのホールの中央には、とある一体の″像″が、目立つように位置している。


その″像″の姿形は——女性だった。

物憂げな表情で、修道女のような服を来た、髪の長く美しい女性の像。


ラスカーは、その立派な″像″を見て呟く。


「…あの像は……」


誰かに尋ねたわけではない。しかしラスカーの疑問に、それ来たかと言わんばかりの表情で、″博識″なフィッシャー館長は、ラスカーに解説を始めた。


「ああ…あの女性の像は、″聖女″イリヤ様です。…遙か昔、″神の化身″たる守護者様にお仕えした、女性と言われています。

生涯を通じて″守護者″様へと、その全てを捧げた彼女の存在は、青の教団のシンボルとして讃えられているのです。」


フィッシャーの説明によれば、青の教団は、唯一神である「神」を信仰し、「神の化身」たる″守護者″を崇拝する。


そして、その″守護者″に生涯を捧げ仕えたのが「聖女イリヤ」であるという。なので教団の信者は、崇拝対象としては″守護者″が最上で、聖女イリヤはその下位にあたる。

聖エストリア記念病院に、聖女イリヤの像があるのは、この病院が「青の教団」によって運営されているからに他ならない。


「…生涯を通じて…″守護者″様にお仕えした女性…

生涯というわりに、あの像は若い姿ですよね。…彼女は、若い頃に亡くなったんですか?」


ラスカーの、単純だが″勘″の鋭い疑問に、フィッシャーはしてやられたとばかりに、考えこむ。…それは、思い出しているという風ではなく、本当に知らないようだ。フィッシャーは難しい顔つきで、うーんと考えこんでいる。


「…うーん、良い質問ですね。

ですが、なぜ″像″が若い女性の頃の容姿で作られたのかは、私にはわかりません。青の教団の″聖典″にも書かれていませんし。彼女が若くして亡くなったのかすら、わからない…


ひょっとしたら、″守護者″様なら何か知っているかもしれませんね。」


フィッシャーは、ラスカーの質問に答えられず、至極悔しがっているようだった。さすがの″物知り博士″にも、わからないことはある。


「…とにかく、青の教団が崇拝する″守護者″様の血は、唯一にして絶対無二のもの。

古代より守護者様は、その″血″の力で、″天変地異″をおさめてきたと言われました。私達が、大事に遭わず無事に生活できているのは、守護者様の″血″のおかげと言っても、過言ではありません。」


ひどく杓子定規なフィッシャーの物言いに、ラスカーは若干の疑問も感じていた。


″守護者″様が「特別」な存在なのはわかるが、なぜその「血」の力をもって、″天変地異″を収めることが出来るのか、因果関係が結びつかない。


少なくともラスカーはそう思ったが、思っていても、口には出さなかった。

このエストリア王国において、″守護者″とは絶対的な権威だ。その″権威″を貶めるような発言は、「不敬罪」という罪に科せられる。


王室だろうが騎士団だろうが司法院だろうが、″守護者″への侮辱的発言を、公の場で発することは許されない。


そして″大神院″は、その″守護者″を養育し、代々″守護者″に仕えている。

守護者へ不敬を働く者は、大神院の長官によって、直接裁かれるのだ。



ラスカー達が、病院の入り口を出ようとした時だった——

大きな″揺れ″が病院内に響き渡る。


「これは、地震…!?」

リーベルト先生が、咄嗟にローラとモーフィアスを守るように覆い被さる。


「…くっ、またか…!」


このところ頻繁に起きる地震。

またしても、大きな揺れが鳴り響く。


″揺れ″は10秒以上続いていた。

建物こそ倒壊はしなかったが、天井の一部に、″亀裂″が入っていたのを、レンバルト校長は見逃さなかった。


「…危ない!!」


天井からその一部が倒壊し、崩れ落ちた一部の天井が、巨大な落下物としてラスカーの頭上に迫った。


「ラスカー!!」


レンバルト校長は、咄嗟にラスカーに飛びついて、彼女を落下物から回避させ守った。

庇われたとはいえ、急に飛びつかれた勢いで、ラスカーと校長は床に倒れている。


「…す、すみません校長…

っつう!!」


まだ体の骨が完治していない彼女は、床に倒れた衝撃で痛みが全身に走った。


「…ラスカー、急に飛びついたりしてすまん。…退院だというのに、また″新たに″骨を折ってしまったかもしれんな…

…だが、頭に天井の破片を受けるよりは、まだ良いだろう?」


謝罪なのか自己弁護なのかわからない校長の言葉だったが、それでも頭に落下物を直撃するよりは、「骨の何本」かを犠牲にしたほうがましなのは事実だ。


地震は止んだ。しかし崩れ落ちた天井の破片は、人にこそ当たらなかったとはいえ——


″聖女イリヤ″の像に直撃していた。


表情ひとつ変えることなく、ホールの中央に停立していたその″聖女″は、その後頭部に落下物が直撃し、やがてその一部が削れて″欠損″した。

それは、″後頭部を失った″しごくグロテスクな像そのもの。


「…よりにもよって、″聖女″様に落下するとは。不吉だな…」


フィッシャーが呟く。


まるで″聖女″を狙ったかのごとく、落下した天井の破片。それは聖女の後頭部の破片と共に、砕けて床に散乱していた。












メアリー・ヒルは、大聖堂にいた。


道中″難民″によるトラブルがあったが、あの後メアリーとマーカスは、″エストリア騎士団″のハリー・マッキントッシュに宿まで案内された。


(…しばらくの間、この宿を手配していますので、宿泊費のことは心配しないでください。行動制限はありませんが、くれぐれも″スラム″のほうには行かないように…

では、私は後日またうかがいますので)


ハリーから釘を刺されたメアリー達。貧困者の多い″スラム″は、確かに危険なので、メアリーも近付かないようにする。


そして彼女は現在、マーカスに許可をもらい、街中にある大聖堂へと来訪していた。

なぜここに来たかと言えば、首都最大規模の大聖堂、″エストリア大聖堂″に一度来てみたかったから、というのもある。


広大な大聖堂の礼拝所。その席の一つに腰を落とすメアリー。

煌びやかで魅惑的なステンドグラスに見惚れながら、彼女は壇場にいる——その美しい歌声を響かせる聖歌隊の歌唱に聞き入っていた。


メアリーは、これからのことを考える。


(ルークのことが心配で、勢いでアルベールまで来ちゃったけど…)


「首都へのルークの移送」という騎士団の任務に、半ば″勝手″について来た形のメアリーやマーカス。

現実問題として、王室にとってマーカスやメアリーに用はないはず。

それでも、宿まであえて手配してくれたのは、シャーロット王女の親切心なのか、″保護者″であるマーカス達への″配慮″なのか。


いずれにせよ、ルークが王女と交わした″契約″の内容次第では、当分の間ルークと会えなくなるかもしれない。

ハリー・マッキントッシュは、その「契約」内容について、いずれ話すとは言っていたが…


(私には、やることが…)


マーカスはともかく、メアリーには別の目的もある。ある、というより…出来た。


彼女は国境地帯の町で入手した、違法薬物

″ガンビラ″の取引リストを手に入れた。そのリストは、″ガンビラ″の搬送ルートやら顧客名簿やら、ありとあらゆる情報が載っている。

載っているはず、だが。

問題があった。


なぜなら、そのリストに記されていた文字は、おおよそメアリーには理解不能な″暗号文字″だったからだ。

リストを手に入れても、文字がわからなければ意味がない。


…どうにかして、この暗号文字を解くことが出来ればいいのだが、手詰まり状態だった。


本来ならば、自らが所属する「青の教団」の大主教、″シスター・マーラ″にこのリストを渡すつもりだった。

今となっては、″司法院″もあまり信用できない。ある程度の影響力があって、″神″に仕えるシスター・マーラが、やはり一番信用できる人物のように思えた。

彼女ならば、なんとかしてくれる、と。


しかし、「暗号化」されたリストとなると、話は別だ。何の文字かすらわからないそんな書類を渡しても、シスター・マーラに相手にされないどころか、失礼だ。


だからまずは、この暗号文字を解読しないと…


そう思っていた矢先、メアリーはある人物から声をかけられる。


「…あら、あなた。シスター・メア——ああ、ごめんなさい。今はシスターじゃなくって、″薬剤調合師″のメアリーね。」


メアリーに声をかけたのは、他でもないシスター・マーラだった。


「…シスター・マーラ?なぜここに…」


「…私は、″守護者様″の式典で歌唱する″聖歌隊″の監督をしているの。ほら、今目の前で歌っている彼女たちよ。

…あなたこそ、なぜここへ?」


「わ、私はちょっと… 一度エストリア大聖堂に来てみたいと思いまして…」


やや遠慮がちにメアリーは答える。観光気分、というほどではないが。せっかくの機会に、という気持ちはあった。


「まあ、そうなのね。

ここにいたら、心が洗われるようでしょう?

メアリー、あなたも聖歌隊に入ったらどうかしら?」


シスター・マーラの冗談めいた発言に、メアリーはやんわりと返す。


「…あはは。私、歌はあまり得意ではないので、遠慮しときます。」


「そう…残念ね。

ところでメアリー、この後予定はあるのかしら?」


「予定、ですか…?」


突然尋ねてきたシスター・マーラに、メアリーは若干考えつつも、すぐ返答する。


「いえ、特に… 何かあるわけではありませんが…」


「あら、そうなのね。

メアリー、私はこの後、″ケネス・ゴールドスミス″氏のパーティに出席するのだけれど。

…よければ、あなたも来ない?」


「パ、パーティ…?」


それは至極意外な、シスター・マーラからの誘いだった。


「パーティって…シスター・マーラが行くんですか?」


「そうよ。パーティと言っても、これは遊びじゃなくて、どちらかといえば″仕事″ね。

ゴールドスミス氏は″青の教団″が運営する病院に、多額の寄付金を贈与してくれていますから…」


ケネス・ゴールドスミスとは、銀行業や運送業、海運業など…あらゆる業種で事業を展開している実業家だ。

青の教団が運営している病院施設は、基本的に無償だ。その運営資金の一部は税金で賄われているが、それだけでは到底足りず、富裕層からの寄付金に頼らざるを得ないという現実もあるようだ。


メアリーは、かりにも″神に仕える″シスター・マーラが、金持ちのパーティに出席するというギャップに、複雑な心境になった。それが、顔に現れていたのかもしれない。シスター・マーラは、怪訝な表情をしていたメアリーに、少し微笑しながら声をかける。


「…メアリー、少しがっかりしたかしら。

…でもね。資金集めも、大事な仕事よ。」


それは確かに、そうなのかもしれない。それでもメアリーはやはり…その現実に少し失望したような、悲しい気持ちになった。


ゴールドスミス氏としても、寄付金の見返りに「青の教団」という国内最大の宗教組織——そのナンバー2たる大主教が、自らの主催するパーティに出席するのだから、これほど箔がつくこともないのだろう。自らの影響力を″誇示″する機会にもなる。むろん、その場に

″神に仕える″機関のトップが出席するというのは、荒唐な話である。


「…ですが、シスター・マーラ。

なぜ私なのです?私なんかが、ゴールドスミス氏のパーティに出席なんて…」


「…実はね、招待券が1枚余ったのよ。

本来なら、″ゲッペルス医師長″が行くはずだったのだけど…

彼は今、″仕事″で遠出しているから…」


「は、はぁ。そういえばゲッペルス医師長。随分と忙しそうに、病院から出て行ってましたね。」


「そうなのよ。だからまぁ、あなたにどうかなって思って… ほら、パーティで空席を作っちゃったら、ゴールドスミス氏に失礼でしょう?」


シスター・マーラは、えらくゴールドスミス氏に気を遣っているようだと、メアリーは感じた。

確かに現状、″寄付金″を打ち切られると、病院運営が成り立たなくなる現実もあるのかもしれない。


「はあ、わかりました…

 あまり気は進みませんが…」


成り行きとは言え。まさか自分が、シスター・マーラと一緒に″金持ち″のパーティに出席することになるとは。


とはいえこの″パーティ″が、ある意味メアリーにとっての「転機」となるわけだが、この時の彼女には、知る由もない。






それにしても、ゲッペルス医師長の″仕事″って何なんだろう?

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