幕間
大掃除
夏の大掃除である。
それは
幸い旅行から帰宅後体調は速やかに回復し、元気いっぱいの俺は例年通り汚れても良い高校時代のジャージに袖を通して羽衣家に向かった。
「おはようございますっ!」
「あ、要くんおはよう。ごめんなさいねえ、毎年」
「いいんですよお、好きでやってるんで」
次未に似たきれいな黒髪のお母様が頬に手を当てておっとりとほほ笑む。次未のお父様はさっそく裏庭の蔵にいるらしいので、俺はさっと上がらせてもらって居間の掃除をしているはずの次未のもとへ向かう。
「おはよう、かわいいかわいい次未さん」
「もう……」
ベージュのエプロン姿で恥ずかしそうにする次未は、今日は長い髪を髪留め(それをなんて呼ぶのか俺は知らない)できれいにまとめていて、まっしろなうなじについと留めきれなかったひとふさが落ちていた。美しい。芸術的である。カメラを持ってくればよかった。スマホで撮ろうか。
「変なこと考えてるでしょう」
「あ、ばれた?」
「……早くねえさんに挨拶してきて」
そういいながら耳を赤くしているのがもう可愛すぎる。たまらないな。
居間の奥にある和室エリアは襖がとりはらわれていて、簡単に出入りできるようになっている。スリッパを脱ぎ、そっと座布団に膝をそろえるとちょうど目線の先で遺影が笑っていた。
「おはようございます、
幼いころに両親を亡くしてから、ずっと次未の家で世話になっていたらしい。だから仏壇もこっち。茶色く染めた髪をひと房肩にかけて、次未の隣でピースサインをしている女性は、その笑顔も次未によく似ている。
「大掃除でお世話になります。次未のこと、今後ともどうぞよろしく」
言うことは毎回同じ。先にたてられた線香を崩さないようこちらも線香を立てて、りんと澄んだ音を鳴らす。次未がいつのまにか後ろに立って、ほんのすこしだけ笑っていた。
「初巳ねえさん、笑ってた?」
「おう。次未をよろしくってさ」
実際にはそんなこと聞こえないし、遺影は笑っているだけで動くことはない。ただ何となく、心理的に、そういう雰囲気を感じ取るだけ。
俺には霊感はまったくないけれど、こういうときに次未が求めている返事くらいはわかっている。
「じゃ、どっからやろうかな」
「居間はほとんど終わったから、廊下の水拭きから。雑巾持ってくる」
「いやいや、水は重いだろー俺が持つって」
裏庭の水道に置かれたバケツに水を溜めながら、少し苦い顔をしたお父様にご挨拶。いつもすまんね、と言いながら、やっぱり長女と親しい男には警戒心があるんだろう。菓子折りはきっちり持ってきたので後ほど機嫌をなおしていただくとしよう。
廊下の水拭き、飾り物の埃もきっちりふきあげて、ついでに台所の水垢取りと風呂場のカビ落とし。どこにいっても次未はちょこちょことついてくる。言い間違いではない。次未がついてくるのである。かわいい!
一通りの水回りが終わり庭の雑草取りに入ろうかとしたころ、お母様とお祖母様から昼食の呼び声がかかった。
「簡単なものでごめんねえ」
「いえいえ! たくあんいつも楽しみにしてるんですよー」
羽衣家のたくあんはお祖母様の自家製で、スーパーで売ってるものより少し白っぽい。自然な甘みにゴマと醤油をかけて塩のおにぎりをほおばるとぐうぐう鳴っていた腹が満たされていく。
「うまあ」
「要くんは相変わらず気持ちよく食べてくれるわねえ」
「いえいえ、マジでうまいです! いつもごちそうさまです」
「あらあら、うれしいこと言ってくれちゃってまあ」
ばくばく遠慮なく食べてもまだまだ量があるそれを働き盛りの大学生なのでもぐもぐと平らげていく。塩おにぎりだけどたくあんだけでいくらでもいけるんだなあこれが。
「よおっと……おお、昼飯か。ちょうど腹が減ってたんだ」
「あっ、おじさん。お先にいただいてます」
「よしよし、おじさんももらおう」
お父様も軍手を脱いでひとつ口に運ぶ。顔にはいくらかの煤がついていて、蔵はいつも何を掃除しているのか俺には触らせてくれない。ピザ窯でもあるんだろうか。
「ちょっとお父さん。手を洗ってちょうだいよ」
「すまんすまん、腹減ってたまらんでな」
「もう。ごめんねえ要くん、汚いところ見せちゃって」
ははは、と笑いながらごまかして、遠慮なく四つ目をいただく。俺が三つ食べるあいだに次未は一生懸命ひとつを咀嚼していて、やっと食べきれたというように熱いお茶を口に含んだ。あつ、とすこしつぶやいて舌をだす。はいかわいい地上に舞い降りた天使。これが見たくて掃除に来るのである。断じて変態ではない。
「……こっち、見すぎ」
「いやあ、かわいくてつい」
「おっ要くん。ついに婿入りの覚悟ができたのかしら?」
「俺はいつでも大丈夫でっす!」
「娘はやらんぞお~」
そんな常套句の掛け合いをしながら俺もお茶をいただいて、さてそろそろ草むしり。
袖をまくり上げて軍手をお借りし、草履をはいたころ。
お父様がそそくさと手招いてきた。
「要くん、要くん、ちょっと」
「はいはいなんでしょ」
なんやかんや気やすい仲である。お土産の羊羹も気に入ってくれたらしい。
お父様は何やら両手におさまる程度の細長い何かを持っていて、それを見せるように表向きに差し出してきた。
「これなんだけど……」
「はあ。木刀? ですかね。小さいですけど」
「なんていうのかはわかんないんだけどね、爺様がこれ、きみに渡しといてくれってさ」
爺様が。
いやお父様、簡単におっしゃいますけど次未のお祖父様一昨年に亡くなってますよね。よくあることだけどさ。
次未のそういう体質は父方譲りだ。お母様はそういうの、あんまり見えないし感じないらしい。なのでお父様はたまにこういうことを普通におっしゃる。基本スルー推奨である。
「お祖父様が」
「おう。きみ、あれだって? 夏のリゾートで倒れたんでしょ。だめだよー簡単に肝試しなんかしちゃあ。いつも次未に言われるだろ」
「あはは……気を付けます」
「まあお守りみたいなもんだから。これくらいなら民芸品って言って大丈夫でしょ」
そう言ってお父様は手を振り、蔵へ掃除に戻っていく。
手元に残ったのは両手サイズの木刀──いや、木製の──なんだろうこれ。ナイフみたいな形だけど、丸みが多くて何かを切るにはとてもじゃないが向いてない。ただ変な目玉模様みたいなのがいっぱいついている。どっちかっていうと呪いの品っぽい。
「まいっか、ご厚意だし。ありがたく」
俺はそういうのあんまり気にしないタイプなので尻ポケットにしまった。
そしてその報告を次未にも忘れるくらい、俺は単純で阿呆だった。
事件簿には白椿を添えて 蛇ばら @jabara369
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