10:幕引き

「死ぬかと思ったね!」


 ついさっきも聞いたようなセリフに適当な相槌を打つ。

 目を開けると見慣れない、だけど安心感漂うロッジの天井。クリーム色の優しい木目が目にしみる。

 かくして、二度目のさかいは無事沙花月亭さかづきていの二〇六号室へと俺たちをひっぱりこんだ。

 あの不気味に薄暗い景色も、白いヒトガタも、もうどこにもなくなっている。

 それを証明するように、太陽光もかくやと輝くオレンジブラウンのツーテールがぴょんと跳ねた。


「お帰りなさいイズルさん! 会いたかったっっっ」


 まさにニンジンを見つけたウサギのごとく、長い両脚を器用に使って君平へとダイブをキメるチドリである。不意打ちの攻撃にも関わらず冷静に左へ避けた君平きみひらはさすがの一言。


「なんで!? イズルさんなんで避けるの!?」

「うるせえ」

「もうっ照れ屋さん!」

「うるせえ」


 いや本当にうるさい。さすがのチドリ、スピーカー顔負けの大音響。いずれ進化して吸血鬼も焼き殺すのだろう。

 それにダメージを受けるのか元気づけられるのかで陰陽の差があらわれる。

 俺は前者です。焼き殺される吸血鬼側ね。

 その証拠ともいえるのか、頭痛と倦怠感、嘔気おうき眩暈めまい。不調のオンパレードが緊張の途切れたからだに思い切りのしかかってきた。


かなめ、つらいんでしょう。寝てて」


 わかってるでしょ、と。

 黒い真珠が俺を射抜く。忠告を押しのけてまで動く気力もないし、何より可愛い天使の瞳は心配と不安でいっぱいになっているようだから。


「そうする」


 ベッドのほうに身を寄せる。かろうじてたどり着くまでは意識を保てていた。

 水を差しだしてくる駆馬かけま後輩はやっぱりかわいいやつである。

 ああ、次未の怪我の具合も見てやらないと。菓子野もさっき無理をしていたし、それから──。




      ◇




「存在のレベルがあるの」


 次未がカスタードプリンをつつきながらつぶやく。

 凝りもせずカフェテリアに戻ってきたのは、海以外に行く場所がこれといって思いつかなかったから。もっと遠くへ行けば遊べる場所はごまんとあるがそのための体力は私たちにはもうない。

 結果としてセピア色の視界に耐えながらスイーツをかじることになる。


「レベル、ですか」

「格、とも言えるんだけど。生きてるとか死んでるとか、化生けしょうとか神様とかも関係なく、存在のレベルっていうものがある。これは環境にもよるのだけど……たとえばいまわたしたちがいるここ──此岸こがんは、生きているもののほうがレベルが高くなりやすい。言ったでしょう、死者はこの場所だとデメリットを受けるって」


 カーディガンの袖からのぞく赤いミミズ腫れが痛々しい。

 霊障に慣れているとはいえ不快感は消えないだろう。こういうどうしようもないことにぶち当たる度、何のために私は生きていたのかと嫌な気持ちになる。

 いまは、そんな気持ちが傲慢と呼ばれるものだとわかっているけれど。


「もともとの存在のレベルは個人差があるから、死者でも此岸でレベルが高くいられるものはいるし、生者でも死者よりレベルの低いものはいる。それで、わたしが知ってるなかで一番存在のレベルが高いのが、チドリ」

「チドリが、ですか?」

「そう。チドリはね、神様くらい、レベルが高いの」


 だからどこにでも行けるし、どこでも動ける。

 照れちゃうなあ、と何もわかっていない様子のチドリ。

 それがどれだけとんでもないことか何もわからない。それでいいんだろう、と思う。

 明るくて聡明で、チドリは本当に善い人間だ。


「六人、狭間はざまに連れていかれた。あの白いヒトガタはそれくらい強かったけど、チドリはひっぱり返してわたしたちを戻した。綱引きみたいに」

「そういうことだったんですね」

「正直にいえば結構な規格外だけど……まあ、本人に悪いことはほとんどないから、いいかな」


 ふう、とため息をつく次未。

 口直しにフレッシュジュース。オレンジのそれがついとストローをのぼっていく。

 私はスマホの画面を点けて、気になるニュースに目を通す。世界企業の吸収合併、タワーマンションの小火ぼや事件、有名俳優の訃報、交差点事故。

 のどの奥の違和感を飲み込めば、青汁よりも苦いねばついた感覚に辟易する。


「ちっ……私も弱くなったもんだな」

透色といろ?」

「平気。昔はあいつと同じくらいのこと、できたのにと思っただけ」


さかい』くらい、私にだって昔はできた。修行をやめてもうずいぶん経つが、やっぱりことは大きな出来事だ。あのくらいの言霊ことだまでこんなふうになるなんて。

 眉を下げた黒髪の天使にこれ以上心配をかけるわけにはいかない。沙花月亭さかづきていにいるあいだには治るだろうから、なるべく自然に話題を戻す。


「チドリのおかげで、目くらましになったからよしとする……のがいいんだろうな」

「そうだね」

「目くらまし、ですか?」

「うん。けっこう危なかった」

「ええと、それって次未さんが憑かれやすいから、チドリさんで隠されたってことなんですか?」

「それは違うかな。チドリみたいにレベルが高いのもいれば、低いのもいる。わたしは中くらい」

「じゃあ、ものすごく低いひとがいる?」

「そう」

「誰なんですか?」

かなめ


 ジュースをかき混ぜるストローの動きが止まる。

 何も言えなくなったチドリと青葉は、ただ気まずそうに目を泳がせる。


「あの場所にいた──わたしたちが遭った邪視じゃしとか、要たちが遭ったっていう両手とか──偶発ぐうはつ的だって言ったけど、実際にはそうでもなかった……知ってる? 霊的なものはの」


 存在のレベルは魂の重さみたいなものだ。巷では二十一グラムに相当するなどと聞いたことはあるけれど、魂にもやっぱり個人差はあって、そんな数グラムの違いでぽつりと世界から浮いてしまう。

 そういう視点から見れば──粕谷かすやかなめは死者みたいなもので。


「本質とか、魂の重さとか、そういうものが……要は、霊的なものに限りなく近い」


 その気になればふうっと息をかけるだけで此方から彼方へと渡ってしまう。

 それをつなぎ留めているのが次未といういかりだった。


「大丈夫」


 自分に言い聞かせるように、次未はつぶやく。


「連れていかせない。相手が、かみさまでも……」


 かくして振り出しに戻った『まっしろなかみさま』についてオカルト部のやつらはどうするのか、私が言えることといえばかわらないでほしいということだけで、だけどきっと今回も鋳錫いすずさんはこうなることを知っていたから私を差し向けたんだろうと考えると無性に腹が立ってくる。

 このデザートビュッフェ代金は鋳錫さんの金を使ってやろうと決めて、私は元を取るべくシフォンケーキの山に突撃し、新しいシルバーフォークできれいに形作られたふわふわのスポンジをサンドバッグ代わりに滅多刺ししてやることにした。

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