7:白いヒトガタ
木々を抜けた先には池があった。
俺の腕に
「だいじょうぶか」
「…………」
かわいい天使は泣きそうな顔である。
だが、その場にいたみんなが似たような顔をしていた。さっきまで平気そうだった佐々江ちゃんも、さすがに目の前の光景が受け入れられないらしい。
それは池のまんなかに立っていた。
まっしろな、ヒトガタ。
「なんだあれ」
君平が間抜けな声をおとす。
「やべえってことだけわかる」
全身が総毛立つ不快感と恐怖。木々の壁のむこうがわまで滲みでていた恐怖が、目の前のこれから発せられているということをいやでも理解させられる。
ヒトガタは普通の人間みたいな姿をしている。
膝の下まで水につかっていて、白い髪、白い肌、全身まっしろなのに不思議と輪郭ははっきり見えて美しい顔立ち。それに浮かんでいる無機質な表情。何も考えていないようで、深く思案に潜っているようにも見える。池のなかにたたずんで、身じろぎひとつせずじっとしている。
ただ、そんな静かな印象を全部払拭するような、言いようのない不快感と圧迫感。
指先ひとつの動きで俺たちをバラバラにできる──そんなことをやすやすと
ヒトガタが、わずかに動いた。
白いまつげに縁取られた瞳はやっぱり白く光っている。
そんな動き。
心臓がドクドク早鐘を打ちはじめた。
アレはよくない。近づいてはいけない、見ても、聞いても、触れてもいけない。
精神のやわらかく脆弱な部分をおろし
腐った生肉ごとくブヨブヨと揺れる足もと。
「とおるかみのできそこない」
その冷えたつぶやきが、俺の腕を握るうつくしい天使からこぼれでたことには驚きを隠せなかった。
え、と声を漏らしたのは俺ではなかった。佐々江ちゃんだ。
目を大きく開いて、なんだか目の前にいるそれより恐ろしいものを見たような顔をして、次未を見ている。
「チドリはどこ?」
ヒトガタは何も言わない。
「そう、じゃあやっぱり失敗したの。残念だったね。おかげでわたしたちはこうだけど」
「先輩……?」
「事故だったってこと」
ぴん、と指先を立てる。
ひんやりした風が腕に触れてちょっとせつない。
「
「ある、とおもう。だいたいわかったから」
「えーっと羽衣先輩、どういうこと? アオバがビビッちゃってるんだけど」
「ビビッてない」
「はいはい」
「事故。この状態はアレにも予想外だってこと」
今にも殴り込みに行きそうな君平。
ヒトガタの白い瞳がじいっとこちらを見ている。
「あなたはチドリだけを呼びたかった。だけどあの子は高いから、危うく自分が連れていかれそうになった。あわてて引っ込もうとして、わたしたちごと狭間にはいってしまった……結局はこういうこと、でしょう」
「……説明がほしい」
君平がこめかみをおさえている。
菓子野だけが納得したような様子だった。それでも警戒の目をゆるめない。
俺たちはといえば取り残されて、頭の上に疑問符を浮かべている。
次未はすこしのあいだ首を傾げた。
ちいさなウサギみたいに。
「とりあえず、チドリは無事。これは決まった」
「ほう?」
「最初にチドリを狙って、でも失敗して、わたしたちが巻き込まれた」
「つまり、あいつボコッていいってことだな?」
「落ち着けストーカー」
べしんと菓子野の一撃。
君平撃沈。
「あいつは殴れるようなモノじゃないよ」
「菓子野ならできるだろ」
「まあ、できなくもないけど」
いまは私のほうが強いし、と
声がかすかに震えているのは聞き流しておいた。菓子野がお手上げなら俺たちにはどうにもできない。そこらへん、追及するだけ俺たちが怖くなるだけである。
ふと。
ヒトガタが、小さく口を開けた。
「 おしえて ください 」
「 ぼく おべんきょう しないと 」
「 また しっぱい しちゃう 」
ぼわっとこもった音だった。おもいのほか現実的な、声変わり前の少年を連想させる声。
それなのに、背筋を節足動物がうじゃうじゃはいあがっていくような悪寒があった。
何かがおかしい。頭の奥で警鐘がなっている。
それが目の前に起きていることについてなのか、これから起きるかもしれないことについてなのか、俺にはわからない。
ただあの白いヒトガタが俺たちのことなんてなんとも思っていないということと、なにか別の目的があって──俺たちの前にこうして立っているということはわかる。
そっと次未の頭に手を置く。
つやつやの丸っこい頭を撫でてみると、すこしは気持ちが落ち着いてくる。
次未が黒真珠の瞳を瞬かせた。
「わたしたちを帰してくれるなら」
何でもないことのように言う。
指先は冷たくて、震えていて、今にも泣きそうなのに。このかわいい天使は気丈に、まっすぐヒトガタを見ている。
「
ヒトガタが笑った。
優しい聖人のような、それでいて周りのものすべて凍らせるような、微笑み。
「
ふーっと細い息は菓子野のものだった。
次未に負けずおとらず、青い顔をしている。たぶん、このなかで一番あれの脅威を理解できているのは菓子野で、何が何だかわからない俺たちの数倍は警戒してくれている。その様子を見ればまだ緩められないことくらいはわかる。
相変わらずぞわぞわするような恐怖と悪寒は続いている。
目の前のあれが、いまに表裏がひっくりかえって怪物になり果てても不思議じゃない。そんな予感がずっとしている。
次未の手が、するりと寄ってくる。
冷たい指先がそっと絡む。それを、握り返す。
ほんのすこしだけ頬に赤みがさした気がした。
「じゃあ、タネ明かしをしましょう」
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