3:事件、宗教
「やっぱり
デザートフォークでショートケーキをつつく
「例の『かみさま』の件ですー?」
「うん」
オレンジゼリーの最後のひとくちをくわえて、チドリが首をかしげる。髪を結いあげているリボンがひらと揺れる。
広々と海の見える
ゆるやかなクラシックの流れている。耳に覚えはあるが、タイトルも作者も私の知識ではすぐに出てこない。店内の時間は外と少しばかりずれていて、粘性の高い泥に沈んでいるような重さが満ちている。
ビュッフェというかたちで並べられたシルバーのトレイにも、色とりどりというには彩度が低いスイーツたち。
私はタルトを切り分けながら、その話題に耳を傾けている。
「あのとき姉さんの友人だったひとたちも言ってた。『それはまっしろだった』って」
「あのとき、ですか」
「あっ。そっか、アオバちゃん知らないんだっけ」
チドリが渋い顔をした。私と次未を交互に見る。
有名なタルトのひとかけらを口に入れたのに、砂みたいな味がする。フルーツもクリームも甘さがない。
「聞かないほうがいいことなら、あたし、席を外します」
「そういうわけじゃない。あまり巻き込みたくないのは確かだけど──うん。駆馬も関わるかもしれないから」
「それは……あたしが聞いてもいいことなら、聞きたいのは確かです」
次未は静かな目をしていた。その瞳の奥に燃え上がるものがあることに気付くのは粕谷ばかりではない。
カフェラテで口を湿らせる。苦い。
「三年前。
駆馬なら即答だっただろう。オカルトという狭い世界ではかなり有名だ。
しかし一般的な高校生である青葉は、予想通りに首を振った。少し困ったような顔をして。
「すみません。教えていただけますか?」
「では、そこから。
県立大学横の
山の中腹にある古びた神社には特有の伝説があり、それにちなんだオカルト的現象が起こるとされている。私にとっても次未にとっても、悪い意味での思い出が残る場所。
少しだけ、次未の目が揺らいだ。
「三年前。比古山である大学生の一団がありきたりな肝試しを敢行した」
その結果、ふたりの学生が被害者となった。
ひとりは失踪していまだ行方不明、もうひとりは変死体となって発見される。ほかの面々は大きなけがもなく生還を果たしているが、彼らの証言は非常にあいまいで、非現実的で、要領を得ないものだった。
それはまっしろだった。そこに何も無いようだった。
だが確かに、それはふたりを連れ去った。
「失踪したのは当時大学生だった女性、
白い陶器が金属を受け止めて澄んだ音を立てた。
私はまだ、何も言えていない。
◇
「三年前から事件そのものは頻発してたらしい。グループ内のひとりが失踪する、という神隠しが連続して発生していた。もっとも短期間ですぐに見つかるものがほとんどだったらしいが」
「比古山はもともと
ベッドに腰かけていればいくらか具合は楽になる。
ふらつく足元も揺らぐ視界も何とかましだ。
かつてより
修験道と天狗伝説はオカルトの世界では切り離すことができないほどの親和性がある。
「連続神隠しの最後に、黒野美空の失踪と羽衣初己の変死が起きた。『比古山事件』で調べれば最後の事件が出てくるくらいには有名になったな」
事件の捜査資料。
肝試しをおこなったメンバーの手記。
宗教家の過激な主張。
オカルトマニアの無遠慮な考察。
さも関連があるように見せている記事たちにめまいがする。
「気持ち悪い」
「粕谷先輩?」
「……いや、平気だ。続けようぜ」
黙ったまま、君平はウェブページのひとつを取り上げた。
ある宗教団体のものだ。
一見した雰囲気では、総合病院のそれに似た柔らかい印象。
トップページに掲載された画像の中心には、見慣れた女の顔がある。
「これ、
亜麻色の髪は今と違って床を引きずるほどに長い。
同じ色の瞳はうっすらと開かれていて、彫刻じみた無機質な印象を植え付けられる。
まわりの人々は柔らかな笑顔でいるのに、そこだけ貼りつけたように存在する違和感。精巧に作られた人形のようなその女が、口を開けば罵詈雑言を吐き出す恐怖の女王
とはいえ、この精巧な人形が俺たちの前で口を開くことは事実である。
「菓子野先輩の地雷ってこれかあ」
「あいつはもともと
「この透神教と、三年前の比古山事件と。何か関係してるってこと?」
「ああ。というより、比古山事件は透神教が原因で引き起こされたと俺たちは考えている」
「それって菓子野先輩も首謀者のひとりだってことなの」
駆馬が強く眉を寄せた。
「首謀者じゃない。重要人物だ」
君平が指を振る。教師のように。
「言葉には常に気を遣え。特にこういう話題の時は」
お前が言うな、とのどまでのぼってきたが、寸でのところで飲み込む。
言っていることは正しい。
俺たちのような一般人ならまだしも──強い霊媒体質の次未にすればそれだけで危険だ。
そしてこの場合は、菓子野にとっても。
「透神教はすでに
「管理されるべきもの」
「かみさまだよ。透神教はかみさまを作ろうとしていた」
ひゅう、と息をのむ音。
対照的に、君平はいつもの笑みを浮かべていた。
「……狂気だよ、それ」
「そりゃあそうだ。狂気がなくちゃ宗教ってのは維持できない」
そこまでいうのは暴論だと思う。
だが、こと透神教に関してはその通りだから厄介だ。
君平は透神教のページをたぐる。
どのページも穏やかな人々の笑顔の中心で、静かな
「人間はな、意識しない狂気によって正気を保ってる。宗教ってのは
「それでかみさまを作るって……そんなことできるわけない。でも、それもわからなくなるほどの信仰だったってこと」
「そうだ。やつらの『正気の柱』はそれにある」
さっき注いだばかりのはずなのに、アイスティーがなまぬるい。
この話は苦手だ。
「透神教の信仰は洗脳じゃない。腹の底から信じてんだよ。自分たちを救ってくれるかみさまが本当に居る、ってな」
右上のボタンを押せばタブレット端末がオフモードになる。
そしてほぼ同時に──目の前が、真っ暗になった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます