4:池

「え、なに? なんでこんなに暗いの?」

「暗いどころじゃねえな。部屋ごと……無くなった、のか?」


 暗くなったというレベルではない。黒く塗りつぶされた、という印象。

 座っていたベッドも、グラスを置いていたテーブルも、のっぺりとした暗闇に塗りつぶされている。手を伸ばしてみても、物があったはずの場所で指先が空を切る。

 しかし、白衣の君平きみひら、ポロシャツを着た駆馬かけま──二人の姿は確かに見えている。一方で、君平が持っていたタブレット端末も、駆馬が持っていたアイスティーのグラスも失われているようだ。

 慌ててすぐ隣に置いていたはずのスマートフォンを探す。こつ、と手元に固いものが当たり、手に馴染んだそれだと気づいてひとまずは安堵。


「君平、駆馬。とりあえずスマホ探しとけ」

「スマホ……あ、ポケットに入れっぱなしだった。ある!」


 駆馬はすぐに見つかったらしい。

 君平も手品のようにくるりと手のひらでもて遊び、存在をアピールしてくる。


「タブレットのほうはやられたな……こういうのは対岸の火事だけにしろよ」


 チッ、と舌打ち。

 言いたいことには同感だ。

 まずは安否確認だろう。SNSで次未つぐみに連絡を取る。

 通話ボタンを押してワンコール、かわいい天使の声が耳に届いてきた。


かなめ……!』

「次未、無事か?」

『無事……ではない、と思う。周りが急に真っ暗になって』

「ああ、俺たちと同じみたいだな。とにかく、危険がない限りは動かないようにしてくれ。こっちから探しに行く」

『わ、わかった。だけど、チドリが……チドリがいない。四人でお茶をしていたのに、気が付いたら目の前にいるのは透色といろ青葉あおばだけになってて』

「チドリがいない?」


 繰り返した瞬間、俺は自分の失態に気付いた。


「君平先輩!?」

「だああやっちまった、あのバカ! 次未わるい、かけなおす!」


 暗闇に見事なスタートダッシュを決めた大馬鹿野郎を追いかける。

 はためく白衣の裾が何にも遮られないことからして、本当に周りには何もないらしい。だんだん闇に目が慣れてくるとうすぼんやり地面のようなものは感じ取れた。どうやら外にいるようだということは漠然と理解できる。

 さいわい同じオカルトマニアなら現役高校生のほうがやや運動能力に優れているようだ。

 一足飛びに君平の目の前へ躍り出た駆馬がその道をふさぐ。


「君平先輩! 急になにしてるのさ!」

「決まってんだろ探してんだよ」

「周りがよくわからないんだから落ち着いてよ! 危ないじゃん!」

「落ち着いてる落ち着いて探してる危なくない」


 なるほど。御自身が『正気の柱』を失いかけているらしい。

 自覚しているのとしていないのとでは理性のブレーキの利き具合が違うので、背中を何度かたたいて我を取り戻させる。三白眼がさらに大きく開かれていて、危うく別の世界へ行きかけていたようだ。

 呼吸も脈拍も正常なのになんで精神だけぶっ飛ばしちまうかなこいつは。


「とりあえずGPSを確認しようぜ。俺らがいるところと、チドリがいるところと、次未たちがいるところ」


 君平のことなので、チドリは発信器を三つくらい持ってるはずだ。

 前に聞いた時はネックレスとピアスとキーホルダー。スマホももちろん共有済み。こう上げ連ねると本当にやばいなこいつ。良い子はまねしてはいけない。

 スマホの位置情報アプリを開く。

 都会から離れているとはいえリゾート地である。訪れるまでの道のりは実際にナビゲーションアプリを使っているので、GPSが全く機能しないということはないだろう。

 ゆえに俺たちの位置情報なら、ロビーのある本棟から少し離れたところにピンが現れるはず、なのだが。


 ピンは画面の中央。

 周囲は灰色と黒。妙な線がいびつな円を描いてピンを囲んでいる。

 ほかに目立つ建物も地形もない。海のそばということすら無視されたかたち。

 平らな土地にぽっかりと浮かぶ、これは。


いけ……!?」


 有名な都市伝説に『きさらぎ駅』というものがある。

 日本には存在しない駅に降り立ったある女性が、ネット掲示板を利用して一部始終を報告しながら帰るための手段を探すといった内容だ。

 これはオカルト好きなら知らないものはいないとまで言われるほどの知名度を誇る話だが──このきさらぎ駅には、もうひとつ付随するエピソードがある。


『GPSで駅名を調べると、池の中心を示す』というものだ。


「うわあああ、鳥肌なんだけど!」

「こりゃ本格的にまずいな。貴宮たかみやさんもいないし……とにかく次未たちと合流しねえと」


 俺たち三人はいずれも池の中心にピンが立っている。

 共有情報を開くと、次未の位置情報も同じ場所を示しているようだった。どうやら巻き込まれた人間の端末はみんなこうなるらしい。それにしてはアプリがそこそこ起動するのはどういう仕組みだろうか、SNSも通話システムとしては普通に機能しているし。

 菓子野がそばにいるなら当面の危険はないだろうが、俺たちの身の安全を考えても早く合流しておきたい。

 そして問題はやはり、チドリのほうだろう。

 GPSは同じく池の真ん中。だというのに次未にも見つけられていないということは、物理的に離れた場所にいると考えていい。


「とにかく、カフェは本棟の中にあるんだ。そっちの方向に行って──」



 ひた



 いま、何か。

 聞こえたような。



 ひた



 ひた

 ひた



「……ねえ、聞こえてる?」

「聞こえてる。足音、か……?」


 人間だったらたぶん、裸足はだしの。

 石畳か、大理石を歩くような。平たく冷たい場所を歩く音が聞こえてくる。

 頭の奥で赤い警告灯がぐるぐるまわりはじめた。

 経験則からして『音』は非常にまずい。『音』は本来ほとんど質量を持たないはずの死者が、明確な意思をもって生者へ送る信号である。その存在自体が攻撃性のないものだったとしても、人間の耳にはっきりとした異常を知らせてくる。

 もっとシンプルに言えば。

『音』を出す死者は、生者に害を与えることができる、ということだ。



 ひた

 ひた

 ひた



 青白い足首。痩せていて、蝋のようになった肌。

 靴を履いていない両足が、ひたりひたりと床をつかむそのさまが。

 否が応でも、脳内で組みあがっていく。


「振り返るのがこわい」

「振り返らなきゃどう逃げるか決められねえだろ」

「だったら君平が先に見ろって」

「おいおい、ホラーマニアが聞いてあきれるじゃねえか」

「先輩だってそうでしょ。それにおれはホラーじゃなくてオカルトが好きなの」

「全員で、いっせーのせで振り返ろうぜ。抜け駆けするなよ」

「せ、で振り返る? の、で振り返る?」

「どうでもいいだろほらもうかなり近づいてきてるじゃねえか」

「絶っっっ対おいてかないでよ!?」

「それこそお互いさまだろ」

「いくぞ? いっせーの!」


 それがどこにあったかといえば、俺の真後ろ、といえるだろう。

 白い指だ。両方あわせて十本ある。

 青白い。痩せていて、蝋のようになった肌。

 それは手だった。


 手首を折り曲げ、手のひらを地面につけて、あたかもヒトの両足のように。

 



 ひた



「────」


 声が出なかった。

 白い両手から逃れるように、正反対の方向へと走りだす。

 三人とも動いたのは同じ方向。

 真っ暗闇のなかだとしても、全力でそれから遠ざかろうとした。


「──あれはァ! やばいって!」


 やはり元気なのは高校生である。


「だめでしょ! せめて足だと思うじゃん! それが! 手って! 覚悟できるかよあんなの!」

「舌噛むぞ駆馬ー」

「粕谷先輩なんでそんなに冷静なの!?」

「冷静じゃないんだなこれが」


 俺は恐怖があると声が出なくなるタイプなのだ。爆発するタイプの駆馬とは違う。

 だがとりあえず、そんな分析くらいはできる思考力が戻ってきたことですこしずつ落ち着ける気がする。頭の中にはさっきの両手がこびりついているが、とにかくあの動きなら──希望的観測ではあるが──動き盛りの男子学生より早いということはないだろう。

 隣の君平はもはや無表情で、ひたすらに前を見て走り続けている。

 幸か不幸か、目はずいぶん闇に慣れてきていた。

 やはり、屋外だ。靴裏の感触からして、足元は冷たく平らな石のブロック。屋内用の内履きサンダルだが、履いていてよかったと小さな安堵が浮かんでくる。


「どうすんの!? こっちでいいの!?」

「こっちしかねえだろ、走れよ」

「ぎゃあああ追いかけてきてるううう君平先輩なんとかして!」

「言うな気付くな叫ぶなふざけんな」

「無理無理無理! キモイキモイキモイ! ほんと無理キモイこっちくんな!」

「語彙力消えてんなウケる」

「ウケんな!」


 おバカたちの中身のない会話は無視して、周囲を確認。

 俺たちが進むその直線には石のブロックが続いている。灰色の石を組み合わせて造られた石畳。道幅は五メートルほどか。

 その道を外れると、大きめの玉砂利が敷き詰められている敷地になる。あれを踏めばかなり大きな音がしそうだ。石畳より数倍広くつくられた玉砂利のさらに向こう側には木々のシルエットらしいものが見える。

 GPSの位置情報ピンは池を指していたが──この景色からはむしろ、神社仏閣を連想した。

 赤い鳥居があるかでも知りたいところだが、あいにく振り返る勇気はない。


「どうしよおおおお」


 正直、俺のほうが叫びたい。

 叫びながらもスピードの落ちない駆馬と比べて、俺と君平はそろそろ限界だ。瞬発力はともかく、持久力に関しては運動不足が祟っている。

 ぜえぜえ聞こえる自分の息がうるさい。


「くそ、この道いつまで続くんだよ」

「ひたひた聞こえる! ずっと聞こえる! 一定距離で来てるよ!」

「ええい言うな怖いだろうがっ」

「前方……見えて、二、三〇メートル? 森に行くかそろそろ考えたほうがいいかもな」

「無理無理無理、森の中とかもっとやばいでしょ! 暗いじゃん! バカなの!?」

「バカっていうほうがバカだぞ駆馬」

「うっさいバカ! バーカ! どっかいけ!」


 もはや何もかもヤケになっている後輩である。それでも騒いでくれるおかげでなんとか自我を保てている気がするので、その点は良い方向なのだろう。

 確かに、森へ逃げるともっとまずいかもしれない。

 慣れてきたとはいえ暗闇だ。それは怪異たちの領域で、本来、俺たちの時間ではない。

 だがこの石畳の先に何かしらがあるのを期待するにはもうずいぶん走っている。キロメートル単位で何もないのならループの可能性もあるだろう。



 ひた ひた

 ひた ひた

 ひた ひた

 ひた ひた



 追いかけてきている。

 白い両手はスピードを落とすこともなく、駆馬のいうように距離を保ったまま背後にあるようだ。

 はたしてこの怪異が何であるのか、俺には皆目見当もつかない。

 過去のデータを照らし合わせていけば見つかるのかもしれないが、この緊急事態に見当をつけて結論にたどり着けるほどまともな状態にもなれそうにない。

 次未。俺のかわいい次未。どこにいるんだ。せめてそばまで行ければもうすこし頑張れるのに。

 腹の奥から吐き気がこみあげてくる。

 あれに追いつかれたらどうなるんだろうか。

 あの両手につかまれて……森に引きずりこまれる、とか?


「あ、やば」

「先輩!?」


 盛大に、足がもつれた。

 ぐらっと傾いたからだがそのまま石畳に向かっていく。

 数歩先に出た駆馬が、君平が、振り返ってくる。差し出された手を取りたいが、体がうまく動かない。

 咄嗟に前方に転がって激突の衝撃を緩和させる。

 全身に痛み。


「あと一歩だったんだがな。仕方ない。一歩分は私が譲ろう」


 顔の数センチ横を──実際は数十センチほどは空いていただろうが──ものすごい勢いで振り抜かれた何かが通過する。

 足だ。

 今度こそ足だった。

 高いヒール。グラディエーターサンダルというのだったか、太い紐が艶やかな足首を編むように包んでいる。

 向こう側にはふっとばされて転がった、白い両手。


■■■■ちぎれろ


 聞き取ることはできない。特別な発音だとは以前に聞いた。

 とたんに、石畳のうえに転がった両手が雑巾のようにねじれはじめた。

 出血はない。ゴム手袋をひねるようにぐりぐりとねじれていくそれは、ついさっきまで自分たちを追いかけていた恐ろしいものだ。

 両手だったものは女王の息吹によって瞬く間に細く長く成形された。もちろん口はないのだから、苦悶の声も聞こえない。

 やがて耐え切れなくなったねじれの真ん中から、ぶちぶちとちぎれはじめる。

 それからはあっというまだ。

 いくつものこまかな破片になったそれは、気づけばぴくりとも動かなくなっていた。


「さて。さっさとひざまずいて盛大なる感謝とともに今の状況を一から説明することだな」

「神様仏様菓子野様──!」


 豊満な双丘の下で腕を組んだ菓子野かしの透色といろ女王の高いヒールが、白い両手だったものを踏みつける。

 それはこつこつと小刻みに声をあげてすでに次の獲物を探していた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る