神隠し

1:ビーチサイド・リゾート

 オレンジブラウンの髪をばたばた潮風になびかせて、ひとりの美女がまぶしい砂浜に立っている。

 黄金比率のボディラインはフリルたっぷりのビキニに包まれてやや幼げな印象。二つ結びのヘアスタイルによって少女的なイメージが強くなり、しかしその長身によって大人びた印象へも揺らいでいく。

 その奇妙な魅力によって他人にビッグなインパクトを与えてくるこの女は、お得意の吸血鬼も灰にしてしまう太陽級の笑顔を咲かせてみせた。


「来ましたよ!  海ーっ!」


 見事なアイドルジャンプを決めてくれたところで限りなく小さなシャッター音。

 こいつまた新しいアプリ入れたな。

 撮影した画像を確認する君平きみひらは、横から小突いてもどこ吹く風である。


「お前のカノジョだろ。なんとかしろよ」

「あーそうだな」


 周囲には人だかり。

 すべてはこの男の恋人、千鳥ちどりえんを見物しに来た連中だ。


「イズルさんもカスヤせんぱいもテンション低いですよー? こおんなに、良い天気なのにっ!」

「朝からエンジン全開なおまえのほうがやべえよ。まだ九時だぜ?」

「七時起きだったら普通だと思いまーす。ね、イズルさんっ」

「ぴいぴい鳴くなうるせえ」

「あたりがきびしいっ!」


 甘ったるい語尾の跳ね上がりが耳に響く。

 派手なアクションのたびに周りからは控えめな賞賛が上がってくる。それに合わせて近くにいる俺たちの噂も自然と耳に入ってくるものだ。正直に言って俺は目立つのがちょっとだけ苦手で、こういうときの居心地の悪さというか──うん、このカップルに挟まれている状態が非常につらい。


次未つぐみまだかなぁ……」


 空を見上げれば立派な入道雲がもくもくと背を伸ばしている。

 八月の初め、そろそろ盆の準備に入るというころというこの日。駆馬から提案されたトリプル・デートの甘い誘惑に屈した俺たちは、これまた駆馬の手配したビーチリゾートを訪れることとなった。

 今回は最初から海で遊ぶことをメインに計画し、オカルト探索ライフワークは二の次である。なんとなくいい感じの肝試しができればいいかな、というオカルト愛好研究部の風上にも置けない動機を付属させ、多分に含まれた下心をおさえてこの美しいビーチサイドへと足を運んでいる。

 かわいい次未の水着姿を今か今かと待ちわびているのに、どうしてこうなったのか。

 駆馬は早々にこの展開を読んでいたのだろう。つい数分前に残りの女性陣を探しに出ていってしまった。


「カスヤせんぱい、もうすぐツグちゃんせんぱい来ますからテンションあげていきましょ? ねっ?」

「俺のテンションは次未が来ないとあがんねえんだ……」

「よーし、チドリがんばっちゃう! えいえいおー!」

「ひとの話聞け?」


 何故か恋人の前で無口になる君平のせいで俺がチドリの相手をする羽目になる。誰か助けて。どっちが本当の彼氏かとか人の噂するならもっと小さい声でやれよ周りのやつ。

 ああ、テンションの下降速度が尋常ではない。そもそも俺はインドア派なのだ。運動が嫌いなわけではないが、こんな熱射に照らされて面倒くさいメンヘラカップルに付き合わされたらそりゃもう無理だ。帰りたい。エアコンの利いた部屋にこもってノートパソコン開いてネットサーフィンとしゃれこんでいきたい。なんだか周りの音もどんどん遠くなっていく気が──。


かなめ……その、おまたせ」


 そのとき、真夏のビーチに一迅のさわやかな風が吹いた。

 風の吹きあがる先にはつややかな長い黒髪。それは緩くシュシュでまとめられていて、桜の花吹雪ごとく舞い上がる。

 陽光を反射する白い肌を包むのは夏らしい清らかなブルー。

 フリルが多く施されたハイネックトップで露出は抑えられ、楚々とした印象をさらに慎ましやかにしている。

 足元まで隠すパレオからのぞくその美脚は、普段の装いでは決して見ることができない曲線。

 乱れた髪をそっとおさえた指の先に、桜貝がちょこんとくっついている。

 すべてが尊い俺の幼馴染み羽衣うい次未つぐみが、青い空と青い海を背に、ほんのすこしだけ照れたようにはにかんでいた。


「俺の女神が天使であり天女ォ……!」

「語彙が変になってるよ粕谷先輩」


 ここで怖気づいて抱きしめられないの俺の悪いところだとわかっている。

 でもほら、慣れない露出にもじもじしてるところだけでもとんでもないかわいさなので、それ以上はやはり高望みだというものだ。

 小生意気な後輩も今はこの女神を俺のもとへ連れてきた功績を認めて褒美を取らせたい気分である。


「相変わらずですね、粕谷さん」

「お、佐々江ささえちゃんも新しいやつじゃん。似合ってるぜ」

「はい、ありがとうございます」

「ちょっ青葉口説かないでよ!」


 次未の後ろからひょいと顔をのぞかせてあらわれたのは、駆馬の幼馴染みであり想い人、佐々江ささえ青葉あおばちゃんである。

 小柄な次未と並んでもさらに小さな佐々江ちゃんはまだ高校一年生で、フリースクールに通っている駆馬のことも良く気にかけているそれはそれは良い子だ。妹とかにいたら猫かわいがりである。

 そんな彼女の本日の装いは、大人っぽい表情によく似合う大花柄のトップとショートパンツ。ラッシュガードを羽織って活動的な印象なのは、よく動きまわる駆馬を意識してのものだろうか。

 うんうん、青い春だな。真夏だけど。


「アオバちゃんすっごく似合ってる~! 去年よりもっとおとなっぽいかんじ!」

「ありがとうございます。チドリさんもガーリーでフリルがお似合いです。かわいいです」

「きゃああありがとっ! ツグちゃんせんぱいは青にしたんですね! パレオがかっこよくていいなー!」

「チドリが相談に乗ってくれたから、選びやすかった」


 まぶしい。

 後光が差している気がする。尊い。

 あのヴァルハラには何人たりとも踏み込むことはできまい。

 周囲のひとだかりも人が揃うや否やぞろぞろと散開していく。次未が来たのに何故解散するのかは謎だがおおかたその存在が可愛すぎて己のなんらかの罪の大きさに耐えられなくなったとかそういう感じだろう。さらば名も知らぬ人々。


「チドリ、さっさと行くぞ。浮き輪出せ」

「はぁーい! 今日はイルカちゃんとアザラシちゃん持ってきました! もう膨らませてるので持ってきますねーっ」

「踏み荒らすなよあのヴァルハラをよ……」

「他人の彼女ガン見してんなよ。あとヴァルハラは戦死者の館だ」

「君平ってほんとチドリに関しては謎メンタルだよな」

「はあ、やっぱ連れてくるべきじゃなかった」

「到着一時間で数十枚撮ってるやつの言うセリフじゃねえ~」


 白波に足を浸してはしゃぐ女性陣。駆馬もちゃっかり混ざっている。

 ともあれ、気持ちの良い天気でよかった。

 海といえば海難事故、怪奇現象の宝庫──オカルト部としては比較的なじみのあるシチュエーションは、眼前に広がるこの景色には似合わない。かわいい次未のため、わざわざそういうものが何もない場所を探してきた甲斐があったというものだ。

 リゾート施設にほど近いこのビーチはそれなりに警備なども整っていて、ネット上でも事故の噂はほとんどきかなかった。


「次未、楽しめそうか?」


 ぱっちりとひかるふたつの黒真珠。

 次未の白い足が白波をそっと踏む。

 俺の視界にはそこに何もないようにしか見えないが、それが次未の見ている景色と全く同じとは限らない。

 その黒い真珠には常に、常人に捉えられない『何か』が視えている。

 三度ほどまたたいた真珠が俺を見る。


「大丈夫。浮いてるのもあんまりいないみたい」

「そっか。キツくなったらちゃんと言ってくれよ?」

「うん……頼りにしてる、から」


 反則級のデレが脳天で爆発した。

 いいのか。霊感もなく、隣に立っていることだってできていないかもしれないのに、俺はそれでも頼りになるのだろうか。そりゃあ頼りになれたらと思ってはいるけれど。

 次未の手が右手にそっと重なってくる。


「結婚してえ……」

「もう……いつも冗談ばっかり」


 つんと鼻先を海へ向けてしまうかわいいひと。

 しかしその耳がさくらんぼみたいに赤くなっていたのは、俺の見間違いではないだろう。

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