幕間

色つきの神

「カフェオレ。いつもどおりシロップは抜いてある」

「サンキュ。いただきまーす」


 珍しくカウンターに立つ気になったらしい菓子野かしのが胸元を大きく広げたシャツにカフェエプロンというアンバランスな姿で作ってくれたカフェオレを有難く頂戴すると、バス停からの数分で失った水分が補給されて頭が明瞭になってくる。

 あいにく露出した豊満な谷間に目が奪われることなどない。

 その先にいるのは地獄の閻魔大王すら受け入れ拒否のとんでもない怪物である。


次未つぐみもお疲れさま。また憑依アレをやったんだろう? つらかったり、痛いところはない?」

「うん、大丈夫。いつもありがとう、透色といろ

「こいつらはいつも無茶をさせるから。あんまり無理を言うようならちゃんと私に言え、脳天勝ち割って全身折り曲げて甕棺かめかんに詰め込んでやる」

「弥生時代かよ。こえー、あいかわらずこえー」

「うるさいぞ万年発情期野郎きみひら

「ひでえ文字にルビ振られた気がする」

「心当たりがあるからそう聞こえるんだ」


 喫茶店『ブラックキャット』。

 菓子野の夫──と言ってもいろいろあって籍は入れていないらしい──相楽さがら鋳錫いすずさんが経営するこの店は、昼間は有閑マダムのよき社交場だ。

 飴色あめいろの床板、ウイスキーやワインのボトルの並ぶ棚、心地の良い音を立てるグラスバルーンのコーヒーサイフォン。古風なデザインと優雅なクラシックが演出するオシャレ空間は、しかし夜になればオカルト愛好研究部第二の拠点として様変わりする。

 主な肝試しかつどう時間は夜だというのに、日が暮れると顧問の意向によって締めきられしまう北棟のオカルト部室。『ブラックキャット』なら星が輝きはじめてもとやかく言う人間はお巡りさん以外にいないし、今回は貴宮さんが保護者役を買って出てくれたので高校生である駆馬かけまも心置きなく参加できる。まあ、本来はあまり良いことではないが。


「おいしい。今日のブレンドは優しい口当たり」

「さすが羽衣ういチャン、舌がいいねェ。今日のはマイルドでもさらに飲みやすさ重視だ」

「なるほど。鋳錫さんにしてはめずらしい味。これも好き」


 ロンググラスのアイスコーヒーを飲む次未はそれだけで絵画に閉じ込めてしまいたいくらいのかわいさだ。思わず見つめていると恥ずかしがってそっぽを向いてしまうのも最高。今日一日の労働対価として受け取るには十分すぎるくらいだ。

 ゆえに『好き』を投げられた鋳錫さんへのトゲトゲした感情はなんとか角を取って胸の内に収めておく。別に嫉妬なんてしてないんだからねっ。


「口が落ち着いたところでさ。さっきのこと、話し合わなくていーの?」


 駆馬の言葉を受けて貴宮さんがうなずく。


「菓子野の耳にもいれておく必要があるだろう」

「は。私の?」


 ピクリと眉を吊り上げる菓子野。

 俺たちはこれから地雷を踏みにいかなければならない。

 逆鱗が何枚あるのかわからないレベルで沸点の低い菓子野サマである。この女相手に平然とできるのは夫である鋳錫さんと傍若無人な貴宮さんだけだ。

 震えあがるかわいそうな君平と俺。こわい。そそくさと話題の中心から逸れ、のんびりココアをかき混ぜている鋳錫さんのもと爆風が過ぎ去るのを待つ。ちなみに救援信号を言外に送ると鋳錫さんは何でもないような顔しながら嵐の女神の視界から外れるところへ誘導してくれた。ついていくぜ兄貴。


に限ってはお前の領分だろう」

⬛︎⬛︎しね


 ばきん。

 見事地雷が踏み抜かれて爆風が吹く。くわばらくわばら。

 手も触れていないのに厚手のマグカップが粉々になっていた。


「慎め、菓子野。忘れたわけじゃねえだろう」

「だったら二度と口にしないでください。私も知人を殺したいわけじゃない」


 鋳錫さんが慣れたようすでかけらを拾い集める。俺と君平はカウンターの裏に身を潜めておく。

 駆馬だけは目の前で起きた不可思議に嬉しそうな顔をしている。


「ほんっと不思議なんだよねえ。菓子野先輩、どうやってるの?」

「二十年修行すればお前もできるようになる」

「いっつもそれじゃん」

「駆馬、メッ。こっちにきなさい」

「そうだぞ駆馬。お前は命が惜しくないのか」

「いい心がけだ。粕谷も君平も兵馬俑へいばようごとく殉死したいらしい」

「ちがう、ゆるしてください。いのちだけは」


 ピイピイ泣きまねすると次未がしらっとした冷たい目で見てくる。せつない。


かなめ。そういうので傷つくひともいる」

「はいごめんなさい」

「いいんだ次未」

「透色……」


 次未とは別種の、菓子野の人形じみた顔が見事な微笑みをかたちづくる。


「やってることは確かに気味が悪いだろう。ひとらしくないちからを持ってる私が悪い。怖がられても仕方がない。私だって好きでこんなちからを持っているわけじゃないが、運命とかいうのは皮肉なものだ。私はいつも孤独でこうして涙を人知れず流すほかない。ああかなしい、かなしくて涙がおさえられそうにない、胸が痛くて張り裂けそうだ」

「めちゃくちゃ非難される」


 言いながら涙のひとつもない菓子野がカウンターから出てくる。もう能面に戻っていた。

 ちなみに今日も今日とて超ミニスカート──なんていうんだっけか、服飾用語はちょっとわからないがものすごく短いやつ──ついでにガーターベルトまでつけている。

 次未の絶対領域なら拝み倒すのに菓子野のものだからありがたみはうすい。

 高いヒールがかつんかつんと音を立てて、刺激されるトラウマが治ったはずの痛みを知らせる。そう、あの日も夜空に星が光る日だった。

 俺としては嫌な記憶がよみがえっていたのだが、次未にはそう見えなかったらしい。

 ジトッという効果音とともにそれはまあかわいい視線が俺を見た。


「要、ちょっと、目つきがいやらしい。よくない」


 えーなにその超キュートな言い方。


「もっと言ってくれていいぜ」

「な、なんで……!?」


 うんうん、次未のかわいい表情が見られたのでよしとしよう。

 嫌なことなど一瞬で霧散である。


「そろそろ話を進めさせてもらうが?」

「ウィッス」


 貴宮さんが指先でテーブルをたたきはじめたので本題に戻ることにした。このひとも菓子野に負けず劣らず恐ろしいひとだ。

 さて、金元樹里亜が最後に教えてくれた言葉について、俺たちはひとつだけ手がかりを持っている。二か月前に交通事故で死んだ女性、素人のテーブル・ターニングによって。

 だからこそ、この『ブラックキャット』に来た。

 そしてくだんの手がかりである菓子野透色は険しい顔のまま腕を組んでいる。


「金元樹里亜曰く『まっしろなかみさま』──これについて、菓子野透色、お前が知っていることを教えろ」


 こんどは爆風がなかった。

 代わりに冷ややかな、突き刺すような寒さが店内を支配する。

 もちろん比喩だが、親友である次未でさえ発言をはばかるほどの冷たさだ。


「私が知っていることはひとつですよ」


 菓子野の薄い色の瞳が、じろりと貴宮さんをねめつけた。


「私と同じだってこと」


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