第6話 初めての冒険と子猫の活躍(二)


 見渡すかぎり広がる緑の草原そうげんで、四人の新米冒険者が薬草を摘んでいた。

 テトル、タウネ、バックスの三人は、腰近くまである雑草の中から薬草をより分けるのに四苦八苦していた。

 ところでニャウはといえば、彼女一人だけで三人の三倍近くもの薬草を集めていた。

 なぜそんなことができたのか。

 テトルが薬草を見せてくれたとき、ニャウはその匂いを覚えたのだ。

 

 もちろん、普通ならそんなことで一面の草原くさはらから薬草を見つけだすことなどできはしない。

 けれども、【猫】という天職によって、彼女自身が気づかぬうちに類まれなる嗅覚を手に入れていた。

 その能力を使えば、生い茂る草の中から目当ての薬草を嗅ぎあてることすらできた。


「すごい! これって楽しい!」


 用意していた袋はすでにいっぱいになり、ニャウは用具入れのカバンにまで薬草を詰めこんでいく。

 そして、ふと気づくと、仲間の三人から遠く離れていた。


「うわあ、どうしよう! みんながあんなに遠いよ……」


 少女がそう洩らした時、背後の草むらがカサリと音を立てた。

 普通なら気づけないはずのその音に、ニャウは敏感に反応し、ぱっと後ろをふりかえった。

 そこには、黒光りする棍棒を振りかざした子どもがいた。

  

「きゃっ!」


 草に足を取られバランスを崩したのが幸いして、棍棒はニャウの右肩をかすめるだけですんだ。

 それでも、彼女は肩の激痛でその場にうずくまってしまった。

 このときになってやっと、目の前にいるのがただの子どもなどではなく、噂に聞いていた狂暴なゴブリンだと気づいた。

 春先だというのに腰布一枚の格好をしていることで、本当ならもっと早くそう気づくべきだった。


「ぎゃぎゃぎゃう!」


 ゴブリンはそんな声を上げ、再びニャウめがけてこん棒を振りおろした。

 うなりを上げ迫るこん棒を目にして、絶望で身動きもできない彼女は、心の中で叫んでいた。


(助けて!!)


 その瞬間、ゴブリンの顔が白い光に包まれた。


「ががっ!?」


 ゴブリンの頭を覆う光が薄れると、その顔には白い小動物がしがみついていた。


「えっ!? な、なんで!? もしかしてミャンなの!?」


 小動物は小さいけれど鋭い爪でゴブリンの顔をバリバリかきむしると、音もなく草原に降りたった。


「ふーっ、しゃーっ!!」

 

 白い小動物は背中をコブのように突きだし、体を横にするとゴブリンに向け威嚇するような声を出した。


「ぎぎぎぎぎ……」


 ところがゴブリンの方はといえば、すでに戦意を失っていた。血だらけの顔を両手で押さえ、草の上に倒れている。

 

「助けてくれてありがとう!」


「みゃん!」


 ニャウは、足元にすり寄ってきた白く小さな生きものを抱きあげる。それは鳴き声からしても、彼女の能力から生みだされたミャンに間違いなかった。


「こんなところまで、どうやって来たのかしら?」


 孤児院からここまで、人が歩いて一時間以上かかるのだ。小さなミャンがどうやってここまで来られたか不思議だった。

 頭をなでているニャウの手を、ミャンがかわいい舌でちろちろなめる。

 そうすると、ニャウが右肩に感じていた強い痛みがすうっと遠のいた。

 手で肩に触れてみても痛みは感じない。

 不思議なことに、肩の傷が治っていたのだ。


「痛くない……ミャン、あなたが治してくれたの?」


「みゃ」

 

 うなずくミャンは、まるでニャウの言葉がわかっているかのようだった。


『痛い痛い、母ちゃん、イビー……』


 その時、草むらに倒れているゴブリンから、そんな声が聞こえてきた。

 驚いたことに、ニャウにはゴブリンの言葉が理解できた。


「ど、どうして? さっきまでなに言ってるか、全然わからなかったのに」


 自分の胸元に視線を落とすと、抱かれたミャンが気持ちよさそうに目を細めている。

 もしかすると、この子がそばにいることで、ゴブリンの言葉がわかるのかもしれない。ニャウはそう考えた。


「ええと、ゴブリンさん、私の言葉がわかりますか?」


「うううっ、助けて……あれ? 人族の言葉がわかるぞ? なんで?」


「そんなことより、あなたどうして私を襲ったのよ?」


「そ、それは……人族っていうのは凶悪で狂暴な種族だから、出会ったら殺さないとこっちが殺されるって教わったんだ」


「教わったって、誰から?」


村長むらおさのジル爺だよ」


「凶悪なんてホント失礼ね。私は薬草を集めていただけなのに」


「薬草? おらの傷にも効くかな?」


「自業自得だけど、その顔ひどい傷ね。この薬草が効くかしら」


「薬草があるなら、一つもらえるかい?」


「まあいいわよ。たくさんあるから。そのかわり、もう私を襲わないでもらえる?」


「襲わない、襲わない」


 ニャウは腰の袋から摘んだばかりの薬草を何本か取りだすと、それをゴブリンの横に置いた。

 直接手渡すのは、さすがに少しためらわれたのだ。

 ゴブリンは薬草を手にすると、それを小さくちぎり、口に含んだ。

 彼はしばらくもぐもぐと口を動かしていたが、やがて薬草と唾とが混ざりどろどろになったものを手のひらへ吐きだした。

 そして、それを傷だらけの顔に塗りたくる。

 ミャンの爪でつけられた赤い線は、薬草の緑で上塗りされた。


「ああ、痛みがとれる……」


「よかったわね。だけどこの後どうしようかしら」


「も、もしかして、おらのこと仲間に話すのか?」


「どうしようかしら。そうしたら、あなた殺されるかも――」


「ちょ、ちょっと待って! どうか助けておくれ。おらが戻らねえと、母ちゃんやイビーが、きっとひどく悲しむ」


「イビーって誰?」


「おらの妹だよ。すっごくかわいいんだ。ほっぺなんかぷくぷくなんだぜ」


 その言葉でネムのことが思いうかんだニャウは、このゴブリンをどうにかしようという気はすっかり失せていた。


「いい? もう絶対に人を襲っちゃダメだよ。今回だけは見逃したげる」


「本当かい! あんたは命の恩人だ! 人族にもいいやつっているんだな」


「いきなり襲っておいてよく言うわね。でも、早くお家へ帰った方がいいよ。私の友達が騒ぎに気づいたかもしれないから」


「ありがとう! あのう……ねえさん、名前なんていうんだ?」


「私はニャウ。冒険者よ。それから、あなたをやっつけたこの子はミャンよ」


「みゃん」


 可愛く鳴いたミャンだが、それを聞いたゴブリンは、へっぴり腰となってしまった。


「お、脅かすない……。ねえさんの名前はニャウだな。覚えておくよ。ところで『ボーケンシャ』ってなんだ?」


「うーん、どう説明したらいいかな。薬草を採ったり、危険な魔獣をやっつけることでお金をもらう仕事よ」


「なんだ、仕事の名前なのか」


「それより、あなたの名前も教えてよ」


「いいよ。おらは、誇り高き森ゴブリン族の戦士ロンの息子ロタだ」 


「ロタか……ゴブリンの言葉で勇気っていう意味よね。いい名前だね」 


「へへ、いいだろ。父ちゃんがつけてくれたんだ。おらがまだ小っちゃな頃、その父ちゃんは人族に殺されちまったけどな」


「そ、そうだったの。それなら、あなたたちゴブリンが人族を恐れるのもわかる気がする」


「だけど、おねえちゃん、なんで人族だってのにおらの言葉がわかるんだ?」


「う~ん、なんでだろ? このミャンを抱っこしたら、あなたの言ってることがわかるようになったんだよね」


「へえ。人族が持ってるスキルってやつかな?」


「そんなことまで知ってるの? ジル爺だっけ、やっぱりその人から教わったの?」


「そうさ。長のジル爺は、なんでも知ってるすげえゴブリンなんだぜ! あっ、そうだ。ニャウねえさん、これ受けとってくれよ」


 ロタは首に掛けていた革ひもを外し、それをニャウに手渡した。

 なにかの骨だろうか、革ひもには白く輝く四角いかけらが結びつけられていた。


「ゴブリンとの間で何かあったら、これを見せりゃいいよ。じゃ、おらもう帰る。ニャウねえさん、またな」


「うん、気をつけて帰るんだよ」


 ロタは、草むらを縫うように街と反対の方へ駆けていく。

 小さな彼の姿は、すぐ草にまぎれて見えなくなった。


「おーい、ニャウ、どこにいるんだー?」


 大声が自慢のバックスが呼びかけている。

 

「ここだよー! すぐそっちへ行くからー」


 大声で答えたニャウは、ミャンを胸にかかえ仲間の方へ歩きだした。

 春の陽光に照らされた草原が、一面エメラルド色に輝いていた。




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