第3話 乱世の習いである②
上山弾正には、若くして亡くなった正室とのあいだに
年は駒姫よりも二歳上の十八歳。
幸運にもこの
色白長身の美男子、弁舌はさわやか、文武兼備の誉れが高い。
母を六歳のころに亡くし、甘え先を早くに失ったゆえだろうか。
武者としては早熟といえた。
初陣は下川家とのあの最終決戦だ。
栗毛の駿馬にまたがる虎清は、槍を脇にかかえ敵陣ふかく単騎突貫し、あの武田信玄をして「稀有の武者」と唸らせた下川家の猛将「鬼権左」を、手傷を負いながらも一騎討ちで討ち果たした。
一年半すぎた今もなお、両家の生き残りで語り草となる印象深い死闘だった。
こうして当国無双の誉は、鬼権左から虎清に移った。
陣の要ともいえた鬼権左を失った下川家は、指揮系統がひどく混乱する。
逃亡する者、寝返る者もでた。
ついぞそのまま総崩れに至り、上山家が勝利を収めた――という経緯である。
虎清のまわりを固めるのは若き精鋭たちだ。
幼いころからともに育った遊び仲間と編成した
「あれなるは義経公のごとき鬼神の戦働きをする。今後上山に迂闊な手出しはならぬ――」
群青備えの当世具足で統一した若き騎馬武者隊は、今や他国だけでなく、しばしば些細なことで家臣同士の内訌や謀反があった領内でも恐れられる存在になった。
自然と内外が静まる。
いっぽう近隣の姫君のあいだでは、
「虎清様の心を射止めて正室におさまるのは誰か――」
と茶会の席が開かれるたび、キャッキャッと噂されてもいる。
いまだ領内は戦国大名と呼べるほどの法度や組織がなく、上山家を中心とした小領主たちの連合体制であるにすぎない。
昔ながらの守護と地頭の関係に倣った緩やかな主従体制だ。
となれば連座する小領主たちにとって、わが娘を上山家の嫡男である虎清の正室にすえ、義父として優位な座を得ることこそが大きな関心事でもあった。
しかしながら当の虎清は、どこ吹く風の態。
そろそろ正室を娶ってもよい年ごろにも関わらず、女子に対してあまり興味を示さないでいる。
まさに絶倫で淫欲いっぱいの父とは真逆。
とても禁欲的な生活を送り、酒もほとんど飲まなかった。
これも厳格な性格をした母に似てのことだろう。
とにかく噂が好きな上山家中の者たちは、酒の肴にこう語りあうのが常だった。
「若は本当に御館様のご子息であろうか?」
「これこれ、めったなことを言うでないぞ」
「さりとて、御館様は昔から御正室様を苦手にしておいでだ。御正室様の部屋へ渡ることも滅多になかったとも聞く。現にほれ、離れの屋敷までこさえて遠ざけてしまわれたではないか。御館様は御側室の家にいりびたる始末。なにより、若は御館様に似ても似つかぬ」
「まぁな、あのお二人の不仲はひどかったに違いない。御正室様がご生前のころは、なるべくご同席をさせぬよう、廊下で出くわさぬよう腐心したもの。家中一同がたいへんだったわい」
弾正は虎清の母を苦手にして、家臣たちの前では日ごろから「あれ」と呼び、疎んじる素振りさえ隠さなかった。
こうした前段もあって、弾正は正室腹の虎清に当たりがずっと厳しい。
下川家との戦でもそうだった。
虎清には満足な数の兵を与えず、清虎衆とともに輝かしい武功を上げたにもかかわらずねぎらいの言葉ひとつもかけず、むしろ重箱の隅をつつくように家臣たちのまえで
「御館様は若の才覚と武功を恐れておられるのだろう。あれではあまりにも若がお気の毒だ」
と皆が陰口した。
ところが、それでも虎清は歪まないのだからたいしたもの。
いつも文武の研鑽に余念がない。
今朝も城内の中庭で弓矢の稽古をしていた。
片方の肩と胸をはだけ、長い脚を大きく広げて立つ。
ゆっくりと弓を引けば、しなやかな筋骨が幾筋にも浮き上がる。
無駄な肉がいっさいない。
双眸に武者の眼光が青白く宿る。
白い肌の上に透明な汗の粒が転がり、弓をタンと弾くたびに飛散してキラキラと宙に漂う。
射、射、射――
「若、さすがッ。お見ごとでございます」
矢が的中するたび、かたわらにいる守役のジイと近習の者たちが賛辞を送った。
虎清が汗をぬぐいながら苦笑いをもらす。
「ジイ、やめてくれ。大袈裟だ。可笑しくて力が抜けてしまう」
「は、これはしたり。あまりにも見事でございましたゆえ」
「いやいや、これでは良膳の腕前に遠くおよばぬ。なにゆえ良膳はあのような
良膳は的に刺さった一の矢の
いつしか
「まァ、良膳は
「だが武者として負けるのは悔しい」
「それを誤魔化さないのも若らしくて良いと存じます。良膳の奴めはますます得意になるでしょうが、ガッハッハ」
豪傑笑いを中庭に響かせるジイの背に、輪郭がはっきりとした女子の声が鈴と降ってきた。
「まぁ、朝から雷のような笑い声で騒がしいですこと」
駒姫だ。
いつのまにか供の
ジイたちは慌てて片膝を落として頭を下げる。
「これはこれは駒姫様、おはようございまする。いかんせん、年寄りは朝だけ元気なのが取り柄にて、お許しくださりませ。それを取り上げたらほかに良いところが何も残っておりませぬ、ガッハッハ」
「御身は大事なお体ですから、無理はなさらぬことです」
「あ……はぁ。なんと!? この老いぼれめの体をいたわっていただけるとは、ありがたいことにて。恐悦至極にございまする。しかと肝に銘じました」
それから駒姫は愛想笑いひとつも浮かべずに立ったまま、睥睨するような視線を虎清によこした。
「――しかし、朝からご熱心ですこと。昨日は国境を侵してきた武田の残党百騎を清虎衆五十騎で追いはらい、首級を五十三も挙げたのだとか。さすがはわらわの叔父、下川の鬼権左を討ちとった虎清様であられます」
駒姫の表情はあいかわらず能面のように冷たい。
つまり先の言葉は祝いなどでもなく、あてこすりの嫌味だと受け取るほかない。
「ハハハ……左様にいわれますと心苦しく存じます」
「…………」
しんと張り詰めた空気が流れた。
近習がゴクリと生唾を飲む。
「では房、まいりましょう」
「はい」
ふたたび駒姫は打ちかけの裾をスルスルと流し、衣音を残して静かに廊下を渡っていった。
その背を見送りながら虎清が小さなため息を吐く。
「なぁ、ジイ」
「は?」
「やはり駒姫様は、儂を恨んでおいでかの」
「はて、それは……
「この一年半のあいだ、たまに顔を合わせるたび、ああして嫌味を言われる」
「戦とは勝者があれば敗者があるもの。これも乱世の習いでございます。お気になされますな。いずれ胸襟をひらいて話せる日もまいりましょう」
「うむ……どうかの。さりとて駒姫様は――」
「は?」
「もしも子を宿したら、儂の二歳年下だというのに弟や妹の母君となられるのか?」
「まぁ、それも乱世の習いでございますれば」
「乱世の習い――か。反吐がでる」
「は?」
「いや、なんでもない。今朝はもう少し打つぞ。矢をもて」
「ハッ」
今朝の虎清は無言のまま、いつもより多く矢を打ち込んだのでジイたちは小首を傾げた。
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