第4話 駒姫は憂鬱である

 駒姫の部屋は、城内東館の奥の奥にある。

 かつて弾正の正室――つまり虎清の母が、身籠るまえに過ごしていた部屋が長らく空いていたので駒姫にあてがわれた。

 弾正の命である。

 それだけで上山に仕える女中たちは駒姫がただならぬ存在であると悟ったし、姫をさしだして口惜しげにしていた下川の者たちも一応は落ち着いた。

 ところが城の奥まった場所にあるため、安全には違いないが人の気配がしない。

 移ってきたばかりのころはそのほうがよいとも思えたが、時間がたって慣れてくるといい加減飽きてきた。

 近ごろは今朝のように房とともに城内を散策して、ささやかながらの気晴らしにしている。

 下川の城にいたころの駒姫は、父と馬の遠駆けをしたり、母や房と城下の市をめぐったり、誰かをつかまえては碁を打って自由きままに過ごしていた。

 そうした懐かしくて愛おしい日々を思えば、上山に来てからの一年半は不自由きわまりなかった。

 部屋には弾正が各地から買い求めてきた贈り物が並んでいるが、ほとんど手をつけていない。

 駒姫は脇息に頬杖をついて品々をボンヤリと眺めた。


「なぁ、房よ?」

「はい、姫さま」

「虎清様を見たか?」

「はい……コホン」


 話の行方に察しがついた房は、先回りして咳払いを鳴らしてみたものの、駒姫がまったく気にした風もなくしみじみと続けた。

 

「今日もまた凛々しかった。まるで光源氏のようだったではないか。戦場へ赴かれるたび、どんどん武者ぶりがあがるように見えるのは気のせいだろうか。いいや気のせいではあるまい。男子とはそうしたものなのだろうなぁ……」

「はい……」

「虎清様の肩と胸の肉は、筋が浮いてたくましかったな。汗粒がコロコロと肌のうえを転がっていた」

「ええ……」

「あの乳首をみたか? 小さくて、ツンと立って桃色だったではないか。さっきは諸肌をさらされたままこちらを向くから、思わず目が離せなくなってこまったのじゃ。もしもあれを舐めたら――甘い味でもするのだろうかなどと思いだした止まらなくなってしまった」

「…………」

「虎清様に悟られはしなかったであろうか? いや、鋭いお方であるから見透かされてしまったのやもしれぬ」

「姫さま、いい加減おやめください。はしたないです。他の者に聞かれたらどうするつもりですか」

「よいではないか。ここには誰も来ぬ。虎清さまはいろいな。はふ……たまらぬッ」


 駒姫はブンブンと身をひねり、床のうえで悶えた。

 かたわらで房はただただ呆れ、目頭をもみほぐしながら言う。


「――ならばなぜ、あんなに嫌味なことを言ったのですか? 私は姫さまもやるなぁと思って後ろから見ていましたが」

「ちがう、ちがうのじゃッ。さっき言いたかったことは、わずか五十の手勢で倍の敵を蹴散らされるとはさすが虎清様。敵味方関係なしに武辺者を好む鬼権左のこと。今ごろは草葉のかげから天晴れなりと感服していることでありましょう――と言いたかった。しかも今回は旧下川領の郷を荒らしに来た野党だったというではないか。我らの民と田畑をお守りいただくとは、とてもありがたきことに違いない」

「そうです。下川を代表してそのお礼をお伝えするはずが、なぜああなったのでしょう?」

「それは……わからぬ。虎清様の前にたつと、いつもとは調子が狂ってしまうのじゃ」


 弾正と戦後交渉をやりおおせたとおり、駒姫はおしゃべりが苦手なほうではない。

 むしろ他の女子とくらべてみてもうるさいぐらい口がまわる。

 だがいかんせん下川家の一人娘として生まれ育ったがゆえ、年ごろの男子との程よい距離感を知らないうえ、男女間についての知識が皆無に等しい。

 年をかさねるにつれ、それがますます顕著になってきた。

 いいかげん房も面倒に感じることがなくはない。

 欲求がまったくないというわけでもないので、それよりは幾分かよいぐらいだが。


「なぁ、房よ」

「はい」

「下川家のならわしなどと嘘を言って猶予を作らせてもらったのはよいが、やっぱりその、弾正様とは初夜をともにせぬと駄目なのか?」

「何をおっしゃいますか? 当然です。旧下川家の家臣たちの行く末もかかっているのですから、今さらイヤですは駄目でございます」

「えー……だって、弾正様はジジイではないか? 体から酸っぱい変な臭いがするし、いくらなんでもキツイ。眠るときは目を瞑るからよいが息は止められぬ」

「そ、それはそうでございますが、これも乱世の習いでございますれば」

「房が代わればよい」

「駄目ですッ」


 十六歳の駒姫がそう言うのも無理のないことだが、房としては同意するわけにもいかない。

 

「ならば、わらわと年がつりあう虎清様がよいではないか?」

「はぁッ!?」

「何とかならぬのか?」

「いいえ、なりませぬ。下川が滅んだとき、家臣たちと相談して決めたことではござりませぬか? いまさらその取り決めを覆すとなったら、またしても争乱となって血が流れます」

「うーん、他人ごとだと思ってそれを言うか? はぁ……あーあ、やっぱり尼にでもなって父上と母上の菩提をとむらってやればよかった」

「またそれを言われますか」


 そうだ。

 戦がおわったあと、駒姫は房とともに出家して尼になろうと決心していた。

 ところが戦後交渉の前日。

 下川家重臣の生き残りたちが雁首そろえて興奮気味にやってきて、


「姫様、どうか下川の者たちのため、上山弾正の側室になってくださいませ。さすればなんとか、先方から五分の譲歩を引き出せるのではと存じまするッ」


 と提案してきた。

 当然に駒姫は心中で戸惑ったが、父と母が命にかえて守った家臣たちの懸命な申し出である。

 無碍にもできない。

 方針をめぐり家中が二分して、いまにも斬り合いがはじまりかねない不穏な空気も漂っていた。

 もしも駒姫が拒絶をすれば、家中で抗争が起きて上山と泥沼の戦が再開する。

 となればここぞとばかりに上山勢は殲滅戦をしかけてくるだろう。

 家が滅んだころの駒姫は、とにかくこれ以上の犠牲者をださないよう必死だったので、そのほうが自害して果てた父母の遺志にかなうかもしれないと思い、


「是非もなし。妙案である」


 とひとつ返事で承諾した。

 しかしながら駒姫は、いまだ男女のことを知らぬ生娘。

 あまりにも不憫だ。

 心身の準備をさせるため、「初夜は十七歳になってから」という嘘を姫に吹きこんだのは他でもない、この房だった。

 とはいえ――


「ときに房」

「はい」

「初夜とは本当に殿がたと添い寝をする儀式なのか?」

「はい……日の本に古来より伝わる由緒ただしき儀式です」

「ううむ、やはり何度聞いても恐ろしい……。するとつばくらめの夫婦が常世から赤子を籠に乗せ、十月十日じゅっつきとうかかけて運んできてくれるのだったよな?」

「ぎ、御意……」

「ふぅむ、いくらつがいとはいえ、つばくらめは大変じゃな。嵐もあるであろうに、己の身よりも大きい赤子を落とさぬよう大海を越えて運んでくるとは」

「そ、そそそそうなのです……」


 残念ながら房は、駒姫に子供だまし程度の性教育しか授けられていない。

 果たしてどうやって話を切り出せば、駒姫が己の不憫な運命を自然にうけとめてくれるのか、ひとり思い悩む日々を悶々とすごしてきたのだった。

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