第2話 乱世の習いである①
時は戦国の世。
昨日の朋は今日の敵。
親子、兄弟、主従であろうとも裏切るのがあたりまえ。
血で血を洗う時代が日の本の国にあった。
人は春に咲く花弁に涙をそそぎ、悲しい別れを恨んでは空を往く鳥に心を驚かせたという。
かたや海の外では、大航海時代が幕を開けた。
キリスト教の布教と交易圏の拡張をもくろむ宣教師たちは、いよいよ極東の果てにあった小島にたどりつく。
好奇心旺盛で心優しき人々との出会いに安堵したいっぽう、命を惜しむことなく勇猛果敢に戦場を駆ける戦士たちに戦慄した。
さて、
美濃と信濃の国境あたりらへんに、吹けば飛ぶような山あいの郷里群があった。
急峻な山々に囲まれ、往来に難儀するような陸の孤島の地勢であったが、そのぶんだけ外敵に荒らされることも少なかったので田畑はいたって豊かだ。
多くの人を受けいれられうるだけの穀物と山の幸がとれた。
人が集まってくれば、当然に争いもおこるというもの。
当地ではじつに二百年ものあいだ、九代にわたり覇権を争ってきた
弓矢を交えること実に四十有余回。
たがいに同じぐらいの規模と歴史をもつ国人領主ゆえに決着を長引かせてきたが、とうとう上山家が勝利した。
戦の決め手となったのは他でもない、当世の技術革新と経済力だった。
上山家が堺の商人から鉄砲を大量に仕入れて実戦投入したことにより、両家兵力の均衡が一気に傾いた。
時の流れに押し流される側とはとてもあっけないものだ。
「もはやこれまで――」
と見た下川家の当主と正室は、自害して果てた。
激しい戦ののち、両家のあいだで交渉がもたれた。
残された下川家の一人娘である
にもかかわらず乱世に生きる領主家の姫として生き残った家臣団を気丈にとりまとめ、戦後交渉の陣頭にあたったという。
「わらわは弾正さまの側室となりまする。主家を失った家臣たちが浪人となってしまっては、下川の先祖に顔向けができませぬ。どうぞわが家臣ともども、末永く召しかかえてくださいませ。きっと弾正さまのため、身を粉にして日夜尽くしまする」
「おおッ……それは願ってもないこと」
駒姫は上山家当主の
長らく敵対してきた間柄とはいえ、古くから同郷で暮らす者同士。
兵力と耕作の担い手が同一でもあるので、敗者を皆殺しするまでは踏みこまない。
それが当地で暮らして来た国人領主たちの暗黙の了解であり、土岐家、斉藤家、織田家、武田家、今川家といった巨大勢力に四方をかこまれる地勢にあって生き残るための知恵だった。
一連のできごとを後世の小窓から見ると非情な出来事に映るだろうが、当時あたりまえにあった「乱世の習い」に過ぎない。
こうした過程を経て戦国大名は大きくなってゆくのだ。
事実、まだまだ弱小ではあるが、上山家は大名と呼んでもよいぐらいの規模になった。
そして上山弾正という男。
まもなく四十七歳になる。
正室をすでに亡くしていたが、側室を八人も置いて十四人の子があった。
農民、商人、女中、武家の娘――
その目にとまれば見境なくすぐに手をつける絶倫として隣国に名を轟かせていた。
「好色の麒麟児」という異名まである。
駒姫の母は、絶世の美女として領内はおろか隣国で広く噂されたほどの女性だった。
若き日の上山弾正は、なんとしても駒姫の母を正室に迎えたいと考えていた。
が、力及ばず彼女は下川家に迎えられた経緯がある。
戦で勝利を収めたあと、弾正は当然に駒姫の母を上山家で迎えようと願っていた。むしろそれが主目的なほどでもあったが、彼女は夫とともに自害をしてしまった。
ひどく落胆した弾正だったが、娘の駒姫を一目見るなり歓喜の顔に変わる。
駒姫が母譲りの愛くるしい美貌と面影を備えていたからだ。
始終平伏したままで居ならぶ下川家の家臣たちは、忸怩たる思いに耐えて肩を震わせた。
上山家の家臣たちは呆れ、
「やれやれ、またはじまったぞ。駒姫はまだ十五ではないか。これから花の盛りを迎えるというのに、なんとむごいことを」
「これも乱世の習いなれば、致し方なしといえば左様であるが。さりとて、あの股間を見よ」
「な、なんとッ。すでに朕の棒を勃起しておらるるではないか」
「恐ろしいお方だ。まことに見境がない」
「ううむ……」
と陰から噂しあっているところ、駒姫の凛とした声音が響いた。
「ひとつだけ、願いごとがございまする。お聞き届けいただけますでしょうか?」
「願いごと、とな? さっそく甘えてくれるとは可愛いのう。何でも聞くぞ。遠慮なく申すがよい。なんだ、上方の着物か? はたまた甘い菓子を所望か?」
「下川家中では女子の初夜は十七になってからという習わしがございますれば、わらわはそれを守りたいと存じまする」
「な、なんと……!?」
弾正をはじめ、上山家、下山家の家臣団がいっせいにどよめいた。
十七までおあずけを喰らうという駒姫の申し出を聞いた弾正は怒った。
「それはならんッ、絶対に駄目だ!」
「――では、下川家の先祖に顔向けができませぬ。家のならわしを守り父と母を弔いたいという気持ちすら認めていただけぬのなら、わらわは父と母を追って果てるほかはございませぬ。グスッ」
「お、おお。それも困る。つい驚いてしまったゆえ、許せ……」
両家の家臣団が固唾をのんで成り行きを見守るなか、弾正の濁った溜め息が静寂をやぶった。
「――では、わかった。駒姫の言うとおり二年待とうではないか」
「さすがは寛大なお人柄で音に聞く弾正さま。ありがとうございまする」
戦国の世に日本を訪れていた宣教師ルイス・フロイスが「ヨーロッパでは夫が前、妻が後ろを歩くが、日本では夫が後ろで妻が前を歩く」と驚きをもって記したように、当世は必ずしも男が強かったというわけではない。
駒姫を見てすぐに股間を膨らませ、伏したおくべき交渉の目的を明かしてしまった弾正に戦国大名としての落ち度があったというほかない。
あれから一年半が過ぎた。
下川家の領地を得た上山家は近隣の小領主を従え、戦国大名たちの間で一目置かれる存在にまでなりつつある。
また駒姫は、ついに次の正月で約束の十七歳を迎えようとしていた。
着物の上からでもわかるほど胸と尻の起伏がふくよかになり、女の色気を漂わせるようにもなってきた。
弾正は駒姫の歓心を買おうとして流行の着物を買い求めては、ところ狭しと部屋に並べて披露した。
だが駒姫の反応はとても淡白なものであったため、まだ生娘ゆえに恥ずかしがっているのだろうと勘違いした弾正は、ますます股間を膨らませているという。
家中では軽蔑混じりにその噂でもちきりだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます